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ヴェルベットはその強い意志のこもった目で玉座に座る偽りの王を見た。偽りの王はその視線にたじろいだ。静かに彼は玉座から立ち上がると、よろよろと脇に退いて、膝をついた。
王であったものは、真の王にその膝をつき頭を床に着けた。若き女王は、静かにその玉座に座った。
ジョン・ウォルターはそれを見て、絶望した。これこそが彼が恐れていた結果だ。
だが、この事態をもたらしたのは、彼自身が仕組んだローゼリア事件なのだと、彼は最後まで認めることはなかった。
憎悪の瞳で女王を見つめる元宰相を、衛兵たちが囲む。
「宰相殿を監獄の方にお連れしろ」
若き憲兵隊長の指示により、宰相は大公、国王とともに監修施設へと連れて行かれた。
かくして、偽の支配者たちはその力を失った。
真の王国の支配者たる女王は静かに王座に座っていた。
王国最初で最後の女王、ヴェルベット・シスノ・ラヴィアン女王の時代が始まった。
女王が真っ先に行ったのは、国内貴族の解体であった。爵位および貴族特権の剥奪をはじめとした多くの政策が行われた。それまで爵位によって役職を占められていた国の仕組みを変える、という女王の姿勢に賛同する者は若いものに多く、また能力ある平民層にも高い支持を受けた。
旧い体制下にあった貴族たちは、過去に犯した違法行為などを突き立てられ、渋々頷くこととなった。
それでもなお、声高らかに反抗した者たちは、そのいずれもが謎の死を遂げていた。総じて彼らは黒いうわさの絶えない者たちであり、後日調査されたところによると、多くの殺人・違法行為に加担していたようだ。いずれもが『VENGEANCE』による犯行であったらしい。
女王はそのことについて特に言及しなかったが、ある噂から復讐の女神は女王自身なのではないか、という噂が王都で語られるようになった。紅い髪の若き女王は沈黙を守り続けた。
女王の改革は続き、貴族政はその機能を失った。爵位はもはや過去のものとなり、平民・貴族という垣根は消えつつあった。また女王の奴隷解放宣言により、奴隷身分の者はその自由を保障された。
これに憤慨したのはやはり貴族や商人であったが、彼らはその口を閉じた。復讐の女神ではなく、それまで奴隷として過酷な扱いをしてきた者たちに復讐されそうであったからだ。
彼らは進んで憲兵所に行き、保護を求めた。彼らはいずれもが憲兵所の留置所に入り、正統なる裁判で裁きを下された。それまでは法律貴族による裁判であり、民衆はその様子を見れなかったが、女王の命により、裁判は一般に広く公開されるようになった。より公平で正統な裁判が行われるようになった。
国家反逆罪に問われたジョン・ウォルター、オルゼン大公はいずれもが死刑を言い渡された。
彼らの犯してきた罪は非常に大きいものであり、その一部とみられる資料からもその重さは垣間見えた。
とくにローゼリア事件のことは大きく取り上げられた。復讐の女神誕生のきっかけであったローゼリア事件を、女王は忘れはしなかった。
死刑を言い渡された二人は、監修施設からまた別の場所へと移された。王宮のはずれにある、高い塔。
通称裁きの塔。そこで死ぬまでの間幽閉されるのだ。
だが、彼らは安堵していた。ただこうして閉じ込められるだけだ、と。ならばまだチャンスはあるはずだ、そうやって己の野心に微笑み、機会を伺っていた。
彼らは未だに王国の支配者は自分たちだと信じていたし、なによりあんな小娘に出し抜かれるなど、我慢がならなかった。
勿論、そんなことを女王は許すつもりはなかったし、彼女は忘れてはいなかったのだ。
自分を地獄に突き落とし、多くの命を己が野心のために利用し、奪った者たちのことを。
彼女は女王である前に、復讐者であることを、彼らは知らなかった。
オルゼン大公はその剥げた頭をベッドに横たえていた。でっぷりと肥えた腹。彼は囚人ではあるが、死刑を実施されるその時までは生かされる。そして死刑の日程は決まっていない。
それまでにウォルターがどうにかするだろう、と高をくくり、安心して飲み食いをしていた。
若き女王の人気っぷりはここにいても聞こえてくるが、彼にとっては反吐が出るものだった。
女、それもあんな女が王など、認められるか。オルゼン大公は独り呟いた。
女など、子を産み、支配者たる自分のために快楽をもたらさせるためのものでしかない、そう思っていた。アンネローゼとて、そうだ。女は黙って男に従うべきである。それなのに、あの娘も、その娘も。
オルゼン大公は寝返りを打って、扉を見る。
今にもウォルターが来て、儂を救い出すだろう。きっとそうだ。何故ならわしこそがこの国の真の主なのだから。
老人の妄執は尽きることがなかった。そんな老人の耳の、扉の開く音が聞こえた。誰かがこの塔の中に入ってきたのだろう。
ウォルターか、と思い、体を起こした大公は扉を開けて、そちらの方に向かう。
扉の鍵を外し、きっと儂を逃がしてくれる、そんな希望を抱いていた。
そんな彼が見たのは、忌々しきあの娘であった。
「ヴェルベット・・・・・・・・・・・・!!」
「こんばんは、オルゼン大公」
妖艶な微笑を浮かべる少女。17歳になったはずの彼女は、彼を威圧するような冷たい瞳で彼を見ていた。
オルゼン大公は震えていた。自分の半分も生きていない少女の、この瞳。それは、大公に真の恐怖をもたらしていた。
大公は後ずさる。だが、開いていたはずの寝室の扉は閉まっていた。
目前の紅いドレスの少女は静かに微笑んだ。
「大公、こんな話を知っていますか?」
少女はそう言うと、美しい紅い唇から魅惑的な声で物語を語り出す。
「ある少女がいました。彼女は本当の両親と生き別れてしまいましたが、代わりに実の両親のように愛してくれる人たちがいました。穏やかな、豊かとはいえない生活でしたが、少女は幸せでした。
友達と走る野原、父の穏やかな笑顔や、母の生き生きとした顔。広がる農地。
そして、平凡に終わるはずの人生を、彼女は信じて止みませんでした。
けれど、ある日、彼女に悲劇が襲いました。野蛮な貴族の男たちが彼女の住む街を襲ったのです。
彼女の育ての親も、友人も、親しかった人々もみな死に、少女もその純潔を男たちに要らされた挙句、死の危険にさらされました。
その時、少女は死に、一人の復讐者が生まれました。
人は彼女のことをこう呼びました、『VENGEANCE』と」
そう言い、少女は笑った。
大公はその時、初めて知った。『VENGEANCE』の正体が、この少女なのだと。
この国を、彼の支配する王国に突如現れた異端者『VENGEANCE』。それが、自分たちが作り出したものだったと、初めて知ったのだ。
そして彼は悟った。彼女は決して自分を楽には殺さないであろうことを。彼女は待っていたのだ。
自分たちを殺す、その日を。ならば、みすみす法の手で死なせることを待つだろうか。いや、待ちはしないであろう。復讐者は自らの手で復讐を果たすものだ。彼女は、ただその時のために、生きてきたのだろう、と。
「頼む、楽に死なせてくれ」
大公は惨めな命乞いをしても無駄と知り、そう言った。大公は頭すら下げた。人に頭を下げることすら拒否し続けた男が。
だが、大公はニヤリと笑っていた。こうすれば、この女は油断する。そうしたら、儂が襲い掛かって返り討ちにしてくれる、と腹の底で考えていた。
年は取ったが、女如きヒイヒイ言わせてくれる。そう考えていた大公の前に、少女はしゃがみ込む。
そして、その手を宰相の方に置いた。
やった。油断したな、小娘。その瞬間顔を上げ、そのでっぷりとした巨体で襲い掛かろうとした大公は少女を見た。そして驚いた。
彼女は笑っていた。さもおかしそうに。
その瞬間、大公の肩に激痛が走った。肩を見ると、少女の爪が、大公の着ている服を貫いて皮膚にまで突き刺さっているのが見えた。その爪には、何か毒でも塗っているのか、何かが体に侵入してくる感触がした。
「な、なにをした・・・・・・・・・・?!」
「ちょっとした毒を」
そう言うと、少女は優雅に立ち、大公の顎を蹴り飛ばす。
身体の自由が利かなくなった大公は肉団子のように転がり、壁にぶつかる。
大公は両手足を延ばしてあおむけに倒れていた。そんな大公に近づくと、ヴェルベットはその右手を踏みつける。ヒールが大公の右掌を貫通し、血が飛び散った。悲鳴を上げる大公を気にも留めずに、少女はヒールをぐりぐりとまわし、その痛みを倍増させる。
「やめてくれ、頼む、やめ・・・・・・・・・・・」
泣き叫ぶ大公を、ヴェルベットは見た。
「ねえ、満足でしょう。60年以上もの間、好き勝手やってきたのだから」
そう言い、少女は大公の顔を、冷徹な目で見た。
「血の上に築かれたあなたの栄光。それを贖う時が来たのよ」
「いやだ、儂は、儂は・・・・・・・・・・・」
ヴェルベットは右手からヒールを抜く。そして、スカートの中からナイフを取り出すと、大公の顔の前に近づける。
「な、なにをするつもりだ」
「何をすると思う?」
そう言い、ナイフをかざすヴェルベット。大公は、自n7神の心臓をえぐるか、首を掻き切るつもりなのだと思った。
大公の顔からそれを伺ったヴェルベットは、にこやかに笑って言った。
「残念、不正解」
そう言い、少女は未だに血を流す大公の右手を掴むと、その親指の爪と肉の間にナイフを挟み込み。
「っ!!!!!」
大公は声にならない悲鳴を上げた。
そんな大公を見て、少女は言った。
「じっくり、じっくり、私の母や死んでいった人たちの怨みを思い知らせてあげるわ。大公殿下。そして、赦しを請いながら死んでいきなさい」
剥いだ爪を投げ捨てると、少女は次の指の爪を剥ぐ準備をする。大公は抵抗しようとしたが、身体の自由は聞かない。
身体は毒で動かず、知らぬ間に鎖と縄で拘束されていた。
大公は少女を見た。復讐の女神は残虐な笑みを浮かべて、ナイフについた血を舐めた。
夜は長い。少女による処刑はまだ始まったばかり。
大公の悲鳴が塔の中に木霊する。
それを聞く者は、同じ苦闘の中に収監されていたジョン・ウォルターのみであった。
元宰相は、その絶叫を一晩中聞いていた。耳を閉じても聞こえる、苦痛の声。それが止んだのは、朝日が出始めたころであった。
彼は震えた。恐らく自身の下にも訪れるであろう、その凄惨な死を。




