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皇国の影響力というものは計り知れないものである。経済的、軍事的に強い国、というわけではないこの国がなぜそれほどまでに影響力を持つのか。その理由はひとえに宗教である。
近隣諸国のおよそ9割の民が信仰すると言われる宗教の総本山であり、皇帝は教皇を兼任する。
皇帝の言は神の言であり、その言葉は多くの信奉者たちに知れ渡る。
かの人物の力は大きく、かつての王国内線と外国勢力との戦いの終結も、かの国の力あってのものだったという。
宰相ジョン・ウォルターは頭を抱えていた。まさかとは思っていたが、こんなことになるとまでは彼も考えはしなかったのだ。
現在王城の前、いや正確には王族・貴族用の監修施設の門前には大勢の民衆が押し寄せている。その多くは平民であろう。熱心な信奉者やそうではない、農民や下級身分の者たち。彼らは一様に怒りを示していた。
事の始まりは、お披露目も一週間後、となったある日のことだった。
国内外の客を招いての小さなパーティーをしていた宰相やオルゼン大公の下に、一人の男が現れた。
彼はパーティーであるにもかかわらず軍服を着用し、異様な雰囲気で彼らに進んでいく。王国の兵士や客人はその姿に怯む。
ウォルターも内心不審に思いながらも、異国の客人をもてなすような笑顔を浮かべる。
男はその顔を見ると、下衆を見るかのような目で返し、口を開いた。
銀の髪、褐色の肌。透き通る蒼い瞳の青年。名をエゼキエル。皇国の第二皇子であり、都合のつかない父と兄王の代わりとしてきたのだという。王都についたのは恐らく先ほどだろう。彼の王都入りをウォルターは把握していなかった。
よく通る声で青年は言った。
「宰相ジョン・ウォルター殿、それにオルゼン大公殿、国王陛下。我が父より賜った伝言を述べさせていただく。『あなた方をヴェルナ今日から破門する』」
青年の言葉に、城内の者たちが騒ぎ出す。各国の王、および貴族のほとんどが国民の支持を受けるため、もしくは王権の理由づけにヴェルナ教に入信している。信じていようがいまいが、それだけで国民は納得するし、無用な争いもなくて済む。
とはいえ、破門されたらどうなるか。今まで王が王たり得た理由がなくなる。王による支配は揺らぐ。
「ど、どういうことですかな、エゼキエル皇子」
口を開いたまま固まったオルゼン大公と国王に代わり、宰相が言うとエゼキエルは懐から複数の書類を取り出す。
「それは?」
「これは、あなた方がこれまでしてきた数々の悪行の証拠です」
そう言い、エゼキエルは周囲の人々を見る。そして声高々に言った。
「ここに記されているのは、宰相や大公などの一部の貴族による、悪行であり、これはヴェルナ教の定める倫理、法に明らかに違反している!」
そして、エゼキエルは国王を指さした。
「そして、あろうことか宰相と大公殿は偽りの国王を玉座に建てた挙句、自身の利益のためだけに今まで多くの人々を犠牲にしてきたのだ!このことを知った我が父は、神の意志を知り、三人を破門に処す、と判断した」
「その書類が、信ぴょう性のある者だと言えるのか!?」
オルゼン大公が喚いた。褐色の青年を往年の仇でも見るかのような目で見る。その視線をものともせずにエゼキエルは言った。
「これは我が国と親交のあった故ドラウプニル女史が残したもので、極めて信ぴょう性は高いものと見受けられる」
「そんな紙切れのみで、我らのみならず、国王陛下まで!まして、偽りの王だと!?ならば、本物の王はどこにいるというのか!!」
オルゼン大公が喚くと、一人の男がエゼキエルの後ろに立つ。灰色の髪の、長身の男性。シルヴァン・シスノ侯爵だ。
「それはあなたがご存じのはずです、オルゼン大公」
「そうか、貴様か。貴様がこのようなことを」
オルゼン大公はそう言い、彼に指を突き出す。皺が寄り、細くなった指だが、力強くそれはシスノ侯爵を指さしていた。
「せっかく拾った命を、今度こそ殺してやるぞ!」
オルゼン大公は周囲の視線も忘れてそう言った。宰相は顔を歪め、国王は言葉を失う。
「貴様が余計なことをしたせいで、全てがおしまいだ!俺の王国が台無しだ、殺してやるぞ、小僧!あのギルバートのようになあ!」
「大公、それ以上は・・・・・・・・・・」
「うるさい、ウォルター!大体貴様が、貴様が・・・・・・・・・・」
オルゼン大公の周囲に憲兵が集まっていた。
大公は彼らを見るといった。
「あの不埒物と異国の褐色肌を捕まえろ!」
大公の差別発言に、諸外国の客人が一様に嫌悪の表情を浮かべる。憲兵たちは大公の命令に従うように見えたが、それは一人の人物の声で止まった。
「そこまでです、オルゼン大公」
「き、キース!」
「様々な容疑があなたにはかかっています。先ほどの発言についても詳しくお聞かせ願いたい」
キースはそう言うと、手で合図をし、自身の信頼できる憲兵たちに大公の身柄を抑えさせた。
「く、くそぉ・・・・・・・・・・」
「宰相閣下、あなたにも、お話をお聞きしたい」
そして、キースは自らの父を見た。
「父上、あなたの芝居ももう終わりです」
「キース、何を言っておる?私は王だぞ、この国の、唯一絶対の、な」
「キース王子、お戯れはそこまでにしていただきましょうか」
ジョン・ウォルターはそう言い、キースに近づく。だが、そんな彼の前にヴェストパーレ伯が進み出て、宰相に剣を向ける。
「・・・・・・・・・・何のつもりだ、ヴェストパーレ伯」
「・・・・・・・・・・・・・・」
シメオンは黙って剣を向ける。脅しか、と高をくくったウォルターはそのまま、キースの下に向かおうとする。事態の収拾を図り、この場を有利にする計算が男の中ではなされていた。だから気づかなかった。
シメオンの目に宿ったその怒りの炎を。
シメオンは細身のレイピアを素早く振るい、宰相の両膝を貫いた。
宰相は悲鳴を上げ、その余裕のあった表情が崩れる。
血に倒れた宰相は、生まれて初めてともいえる痛みに呻いた。他人を利用し、のし上がってきて、傷を負ったことのなかった男は初めての痛みに戸惑った。
「ええい、シメオン、キース、シルヴァン!なんということを」
国王はそう言い、青い顔で役者たちを見た。
「ええい、正統なる王の前にひれ伏せ」
「正統なる王は、この方です」
そうキースが言った瞬間、広間に一人の人物が入ってくる。深紅のドレスを着た、若い女性。その髪はドレスに勝るとも劣らぬ紅い色で、その美貌に誰もが見とれた。
その人物の登場に、あらゆるものが驚いた。
その人物は、王都でも広く名を知られ、最近死の囁かれていたヴェルベット・ヴェストパーレなのだから。
「・・・・・・・・・・生きて、いたのか」
「ええ、おかげさまでね」
ウォルターの問いに、ヴェルベットはそう返す。そして、彼の前にしゃがみ込むと言った。
「どう?奪われる気分は?」
「・・・・・・・・・・・・」
宰相は憎しみの瞳で少女を見る。
「殺してやる」
そう言った宰相を無視して、ヴェルベットは玉座に向かっていく。
「貴様、何様のつもりだ!私は王だ、この王国の主・・・・・・・・・・!」
そう言い、なおもその座にしがみつこうとする王に向かって何かが飛ぶ。涼しげな表情をしていたヴェルベットの腕から何かが放たれるのを、多くのものが見た。その数秒後には、深紅の柄のナイフが国王の右耳すれすれに突き刺さっていた。王の髪の毛が数本宙を舞った。
「彼女こそ、真の王国の継承者。先王ギルバートの妹君、アンネローゼ様の遺された王女」
そう言い、エゼキエルは広間に集まった者たちに向かって宣言した。
「ヴェルベット・シスノ・ラヴィアン女王陛下だ」




