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キースは目前に座るシスノ侯を見る。そして、意を決したかのように聞いた。
「シスノ侯、アンネローゼ様のことをお聞きしたいのですが」
キースはシスノ侯の反応を伺う。いきなり聞かれて、どういう反応をするのか、それを見るためだ。
シスノ侯がそうそう簡単に感情を表に出さないまでも、何らかの手掛かりになるはずだ。
彼が事件にどう関与しているのか、まだわからない。もしくは、関与していないかもしれない。
「ほう、また懐かしい方のことを」
シスノ侯は穏やかに灰色の髭を撫でながら言った。その顔は、遠き日のことを思い出すかのようであった。
キースは注意してその顔を見る。シスノ侯のことだ、表に出る表情だけがすべてではないはずだ。
「それにしても、急になぜそんなことを?」
「いえ、ふと興味がわきましてね。行方不明になった叔母上がどうなったのか、その後も不明ですから」
「・・・・・・・・・・・・」
シスノ侯は少しの沈黙をしたかと思うと、口を開いた。
「あまり、新しいことは語れんが、そんなに聞きたいなら教えて進ぜよう」
そう言い、シスノ侯は語りだす。40年前、まだアンネローゼ王女が行方不明になる前の日々の話を。
王都は以前の美しい外観を取り戻しつつはあったが、未だにその傷跡は多く残っていた。
若きシスノ侯爵子息シルヴァンは兄王の死によって王となった親友とともに、王都の復興に当たっていた。周辺諸国との問題はいまだ、決着はついていなかった。王室補佐官のシルヴァンは、国王とともにその問題にも取り組まなければならず、休む間すらなかった。
「すまぬな、シルヴァン」
「いいえ、陛下。私は大丈夫ですから、お休みください」
「陛下だなんてやめろよ、ギルバートと呼んでくれ」
「しかし」
若き王は笑ってシルヴァンにいう。
「うるさい老人はいないんだ。大丈夫さ」
「・・・・・・・・・・わかったよ、ギル」
そう言い、シルヴァンは国王の座るソファーの向かいに腰を下ろす。
「それで、他国の状況は?」
「ドラウプニル家のミアベル殿のおかげで表立っては」
「そうか」
ギルバートはそう言い、ミアベルのことを思い浮かべる。寡黙で、美しき暗殺者であり、処刑される寸前だった彼ら兄妹を救った命の恩人。妹であるアンネローゼは、特に彼女に懐いていたものだ。
「そう言えば、アンネはどうした?いつもなら、ここに来る時間なのに」
「アンネローゼ様も、日々大人になっている、ということでしょう」
シルヴァンはそう言い、立ち上がる。
「さて、少し、風に当たってくるよ、ギル」
「ああ、俺も少し寝ることにするよ」
ギルバートはそう言い、ソファーの上で寝息をつく。相変わらず寝つきのいい奴、と笑い、シルヴァンは部屋を出る。部屋付の衛兵に、国王陛下のことを頼むと、彼は王宮の中庭へと向かう。
そこに、彼の愛する少女はいるだろう。
「アンネローゼ王女を、愛していたのですか?」
キースが問うと、シスノ侯は笑った。
「誰もが彼女を愛していた。可憐で、穢れのないアンネローゼ様をな」
私だけでなく、国民すべての希望だった、とシスノ侯は言った。
「だが誰もが知っていた。恐らく彼女は、この国からいなくなる、とな」
「他国との政略結婚、ですか」
キースの言葉に、シスノ侯は頷く。
「そのことを、王女は重荷に感じていたことだろう。まっとうな生活を送る、それが彼女の夢だったからな。金や権力。そんなものよりも、当たり前の生活を望んでいた」
それは現実を知らない小娘の言葉、というものもいたが、アンネローゼ王女は本気であったという。戦時下では贅沢などできず、王女自身も汚れに塗れて生活をしていた。
「さて、話の腰を折ってしまったな。続けようか」
庭先に彼女はいた。紅い髪の、美しい少女。王家の中でもその紅い髪のものは少ない。現国王は金髪だし、先王もその父も金髪だ。紅い髪は遠い昔の王、バルバロッサ王の遺伝だろう、と言われている。
彼女の紅い髪は、同じくバルバロッサ王の妹君の血を引くヴェストパーレぐらいにしか発現はしない。
そんなアンネローゼの隣には、シルヴァンと同年代の若き貴族、ギデオン・ヴェストパーレが立っていた。
冷たい印象の青年だが、多くの女性と噂になっている。また、案外情熱家であり、格下の貴族や平民とも分け隔てなく接することから、評判もいい。
シルヴァンは彼らに近づいていく。すると、影になっていたが、もう一人いたことに気づく。
彼の名はウェルテン・ローゼルテシア。男爵子息で、父親は地方領主。戦争のために徴兵され、そこでギデオンと知り合ったという。ギデオンの親友らしく、彼の率いる近衛兵隊に所属する。
ここにいるのも、王女の護衛、ということなのだろう。
「あ、シルヴァン!」
王女はシルヴァンに気づくと、手を振る。その手に持つ色とりどりの花を彼に見せながら。
「ただ今戻りました、アンネローゼ様」
「ほんとうにもう、シルヴァンは仕事しすぎだよ」
苦笑するシルヴァンに、王女は頬を膨らませて言う。それをウェルテンは微笑ましく見守り、ギデオンは無表情で見ていた。
「それより、見てこれ!綺麗でしょう!」
「ええ、この庭も随分きれいになりましたな」
荒れ果てた庭をここまで綺麗にしたのは、ほかならぬアンネローゼだ。彼女は草花に詳しい侍女のリンリ-とともにここで花を育ててきた。
何もできない自分だけど、と当時は嘆いていたが、今ではすっかり笑顔を取り戻していた。
ふと横目で見ると、侍女のリンリ-とウェルテンが互いに見つめ合っていた。どうやらこの二人は、王女の庭いじりの最中によく会うようになり、互いに気になる間柄になっているらしい。
人目もはばからず、こうして見つめ合っている。ばればれなのに、指摘すると真っ赤で否定するウェルテンは、とてもおかしかった。
「はい、シルヴァン」
そういい、少女は真っ赤なバラを手渡してくる。それは少女が最も好きな花で、咲かせるのにとても苦労した薔薇であった。
「私に?」
「ええ」
少女は笑って薔薇を差し出してくる。シルヴァンはひざまづいて、その花を受け取る。
「大切に致します」
「うん!」
アンネローゼはそう言うと、シルヴァンの手を取る。だが、そんな彼女にギデオンが声をかける。
「アンネローゼ様、そろそろ勉強のお時間です」
「ええ、せっかくシルヴァンが来てくれたのに?」
王女はそう言い、ギデオンを見るが、彼は無表情を変えずに、淡々という。
「アンネローゼ様」
「・・・・・・・・・わかったわよ」
そう言うと、残念そうに顔を下げた王女は見つめ合っていたリンリ-の袖を掴んで、自身の部屋に戻っていく。その王女とリンリ-を追いかけて、ウェルテンが続く。
ギデオンはそれを見ると、シルヴァンの方を向く。
「シルヴァン、いたずらに王女を惑わすな」
「俺は別に・・・・・・・・・・・」
「その気がないとしても、王女がお前に惚れているのは、隠しようのない事実だ」
ギデオンは、その瞳に感情を宿して言う。
「辛くなるのは、王女様だ。それを、考えろ」
「・・・・・・・・・・・」
そう言うと、沈黙するシルヴァンを置いて、ギデオンは王女たちのいる方向へと歩いていく。
ヴェルベットローズを、手に持ちながら、シルヴァンは呟いた。
「わかっているさ、そんなことはな、ギデオン」
そう言い、花の茎を強く握りしめた。薔薇の棘が手の皮膚を傷つけ、真っ赤な血が零れ落ちた。




