MYTH OF VENGEANCE 3
金髪の女性が抱く女児。髪はどこか赤みがかった色であった。幸せそうな一組の母子を見て、黒い喪服の女性はほほ笑んだ。
そんな女性に母親が何かを渡す。それは、バラの紋様を模ったナイフ。護身用とは名ばかりの、装飾過多なそれ。それは彼女が大事にしてきた母親の形見らしい。
喪服の女性に無理やり握らせると、母親は笑った。
その笑顔を向けられると、喪服の女性はもう何も言えはしない。
母親の腕の中で、女児が未亡人を見る。
母親に似て、美しい少女であった。
いずれは、母親そっくりの見事な紅い髪になるのだろう。深紅の薔薇の如き。
だが、その髪の色を見ることは敵わないだろう。その髪の色は、母子を縛る色だから。
最も好きで、嫌いな色。母親はそう言っていた。
ナイフを握りしめ、未亡人は二人を見つめる。
遠い回想からミアベルは現実に戻る。そこは森の中であった。
ヴェルベットの支えで何とか立っていられるだけの力しか、ミアベルには残されていなかった。
急激なまでに体力は衰えていた。それまではぎりぎり耐え続けてきたのだが、ヴェルベットと会ったことが刺激となったのだろう。
ミアベルは一言、ある人の墓に行きたい、といった。少女は黙って頷く。
本能で悟っていたのだ。この老人が、死ぬことを。
その願いをかなえないわけにはいかない。
彼女の家を出て、その墓へと向かう。王都にある共同墓地の方へは向わない。ミアベルが指し示すのは、王都の門の外。そこから少し歩いた森。
その森には特には何もないはずだが、そこに彼女の大切な人の墓があるらしい。ヴェルベットは黙って歩く。自身の腕にすがりつく師を伴い。
老人は語りだした。これから行く墓の人物の話を。
それは40年ほど昔の話。失踪したはずの王女。つまり現国王の妹の話である。
その後、行方知れずとなった王女をミアベルは保護した。しかし、王女としての責務、暗殺におびえる日々、そして夢見た自由。それらが王女の心のうちにあったのを、ミアベルは知っていた。
王女は何も言わなかった。ただ黙ってミアベルに付き従った。
そんな少女を見て、ミアベルは思ったのだ。間違っている、と。
自身の妹のように思い、可愛がってきた王女の姿。その笑顔を、本当の笑顔を、ミアベルは見たかった。
恵まれた生活、決して飢えることがない代わりに永遠に縛られ続けられる。国という柱に。
いずれは政略結婚もあるであろう。
その時、少女は涙することになる。ならばいっそ、このまま王女は行方不明になった方が都合がいい。
そして、ミアベルは王女を「見つけ出せなかった」。
彼女が見つけたのは、紅い髪の王女ではなく、くすんだ金髪の少女。それも平民の少女。
その報告を受け、誰もがそれを信じた。『黒い未亡人』は国の重鎮であった。王からの信頼も厚い。その人物が嘘をつくなど、ありはしない、と。
ミアベルの嘘を誰もが見抜けなかった。見事なまでの情報の操作や、暗示など様々な技能を駆使した。
そうしてミアベルは王女をその責務から解放し、一人の少女として面倒を見た、という。
森の中を歩いていると、一つの墓碑が見えてきた。それは質素で、名前すら刻まれていない、ただの大きな石にも見える。
その前につくと、ミアベルは膝をつき、墓石を見る。
「お久しぶりです、アンネローゼ様」
王女の名を、ミアベルは口にし、首を垂れる。
「ようやく、私もそちらに行けます」
そう言うと、静かにヴェルベットの方を見る。そして、老婆は笑った。
「ヴェルベット、もう一度、その顔を見せておくれ」
ヴェルベットは師の言葉に従い、その顔を近づける。すると、ミアベルはそれを愛おしむように撫でると、目を細める。
「ああ、本当に似ている。アンネローゼ様に、その髪も、瞳も、顔すらも」
ミアベルはふと撫でる手を止めて、ヴェルベットを見る。
「姓を、聞いていなかったね」
ヴェルベットは少し、迷った後に自身の本当の姓を告げる。
「ローゼルテシア」
「・・・・・・・・・・」
沈黙するミアベル。そして再びその手がヴェルベットの頬を撫でる。
「そうか、そうだったのか」
穏やかな顔でミアベルは呟くと、ヴェルベットを見る。
「いいかい、ヴェルベット。あんたは強い。そこいらの男どもよりも。『黒い未亡人』が保障するよ」
一息入れて、再びミアベルは喋りだす。
「あんたには、辛い思い出や困難な道が訪れるだろう。いずれ、お前は選ぶことになる。大きな選択を。だが、決して忘れないようにね、あんたを想い、大切にしてくれる人やしてくれた人がいることを」
ヴェルベットは黙ってその言葉を聞く。彼女にはその言葉の真意はよくわからなかったが、その重みが何となく感じられた。
「強く生きなさい。どれだけ踏まれても、けなされても、折れることのない誇り高いバラのように」
ミアベルはヴェルベットのスカートの下にあるナイフを撫でる。薔薇の文様をなぞる。
「ヴェルベット。誇り高き血を引く者よ。汝に、祝福あれ」
そう言うと、静かにミアベルはその瞳を閉じる。
そんな彼女の脳裏に浮かぶのは、笑顔を浮かべるかつての戦友たち。皆死んだ。遅れたが、自分も今、そこにいく、とミアベルは叫んだ。
戦友たちのはるか先にいた、夫と子供、そして、彼女の生涯の友、主だった女性が微笑んでいた。
「アンネローゼ様」
「ミアベル、こっちよ!」
いつか、そう笑って手を引いていた少女。その少女の遺したものは、まだあったのだ。
握られていた手が、静かに地に落ちる。ヴェルベットの胸の中で、静かに『黒い未亡人』はその波乱に満ちた人生の幕を閉じた。
かくして一つの神話は終わった。だが、それはすべての終わりではない。
新たな神話の始まりであった。
『黒い未亡人』の技術は『VENGEANCE』に継承され、彼女の中で生き続けるのだ。
夜が訪れ、やがて朝日が昇るように、物語は繰り返される。永遠の螺旋の中で。
この世界が終わるその日まで。
ヴェルベットは墓の横に、もう一つ小さな墓を建てた。墓とは言えぬそれの下には、彼女の師がいた。
どこか不思議な、だが優しい人。
何故だろう、彼女は最後自分にかの王女を見ていた気がするのだ。
ヴェルベットに決して多くは語らなかったミアベル。
だが、ヴェルベットはそれを気にはしなかった。
彼女が望むのは復讐のみ。それ以外は、関係ないのだ。
だが、今だけは。
ミアベルのために、祈りを掲げ、花を添える。
一本の深紅の薔薇を。
そして、ヴェルベットは去る。誰にも知られず、ここに眠る女性たちのもとから。
この時、ヴェルベットは思いもしなかっただろう。『黒い未亡人』の神話が、後に自身にとって大きな意味を持つものになろうとは。




