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ヴェルベットはモイラに会いに来たその貴族を見る。モイラは無理して笑っていた。相手はモイラを妾にしようとする貴族だろう。
彼女とは釣り合わない、肥満体の中年。少女は男の名を聞く。そしてその男の評判を、客たちにそれとなく聞く。男たちは少女の妖艶な仕草に気を取られ、ペラペラしゃべってくれた。
正妻はいるが、今ではすっかり冷めきっていて、娼館通いばかりで家にはほとんど帰らない。それなりの家で、王宮の財務官の一人だという。一方、汚職の疑いも持たれているらしい。だが、本人は一切気に留めていないようだ。
ヴェルベットは自分の容姿を最大限に利用し、情報を集め続けた。小物ならば、陥れるだけでいい。わざわざ彼女が手を下すまでもない。憲兵に密告すればいいだけだ。
だが、男は周到であり、犯罪の痕跡をほとんど残さなかった。だが、少女は見つけた。男を殺すに足りうる理由を。
「あいつ、前も妾がいたんだけど、いがみ合って殺しちゃったようだよ」
若い男が寝台に眠るヴェルベットを見て言う。
「そうなの」
「ああ、でもあいつコネでもみ消してね。その子の兄、だっけな。それが泣いてたなあ」
妾の死は病死とされたらしい。
「でも、どうしてこんなこと聞くの?」
「モイラは私の姉も同然。それを心配してはいけない?」
ヴェルベットが妖艶に微笑む。若い男は楽しげに笑うと、少女にキスをする。
「君、気に入った。僕の名前はキースっていうんだ。また、君を指名するとしよう」
「ありがとうございます、キース様」
週に一度の休日。死んだ妾の墓へと、ヴェルベットは赴く。
ぽつんと立つ墓。そこには一人の男がいた。悲しそうに呆然と立つ。その後ろをヴェルベットは通り過ぎる。男は泣いていた。そして、呪詛を吐いていた。妹への謝罪を口にしていた。
「俺が、しっかりしていれば」
その様子は悲痛であった。ヴェルベットは手に力を込める。
最初はモイラのためであったが、今は違う。
女性の無念、その兄の無念。それを晴らす。それが自己満足でも構わない。
権力を振りかざし、欲望のままに生きる者たちに死を。
モイラが行くのは三日後。そうなると、行動を起こすのは限られてくる。
どうしたものか、と少女は悩む。仕事は抜けられない。ならば。
そこで少女は思いついた。
「キース様」
少女は男に話しかける。
「明日、私を店の外に連れて行ってくださいませんか?」
「どうして?」
「理由は聞かないでください」
少女が言うと、キースは笑う。
「へえ、何かするの?」
「どうでしょう」
「あの男を殺すんでしょ?」
キースが面白そうに言う。
「いいよ、協力してあげる。君は面白いね、ヴェルベット。代償は、そうだな。君とのデートはどうだい?次の休日にでも」
「それくらいなら構いません」
ヴェルベットは頷く。青年は笑って手を差し伸べる。
「安心して、憲兵には何も言わないよ。僕も、まだ死にたくはない」
「私、人殺しなんてしませんよ」
「どうかな」
キースは笑って言う。しかし、その目は少女の奥底を見透かすようだった。
「君の瞳は、憎悪に満ちている。僕ら男に対するね。気を付けたほうがいい。戦場に行ったことのある者は、殺気に敏感だからね」
キースの言葉を黙って少女は聞き流す。
お得意のキースの願いを、店側が聞き入れないわけにはいかない。少女は無事、店を抜け出す。
そしてキースの屋敷に入る。
「これでアリバイはできたね」
家の使用人にも姿は見られている。
「二階の窓から抜け出せるようにしているよ。とはいえ、縄とか使って下りれる?」
「ご心配なく。慣れていますので」
「まったく、飽きさせない女性だな、君は」
そう言って男は少女の顎を持ち上げ、唇近くで囁く。
「綺麗な薔薇には棘があるが、近づかずにはいられない。その魅力はあまりにも大きい」
「ならば、近寄るべきではありませんね」
「かもね」
青年は少女にキスをする。
「じゃあ、行ってらっしゃい。待っているよ」
青年の言葉に何も返さず、少女は窓に向かって歩き出し、消えた。
男の屋敷に入り込む。屋敷内の使用人に怪しまれる心配があったが、どうやら人気はあまりないらしい。
正妻の部屋をうかがったが、彼女の姿はない。おおかた、彼女にも愛人がいるのだろう。
好都合であった。
少女は管理の甘い屋敷を歩き回り、男の寝室へと入り込み、身を忍ばせる。男はそろそろ帰るころだろう。王宮での仕事を終えて。キースのもたらした情報は非常に有難いものであった。
そのキースのことを考える。彼も貴族の子息だろう。それも結構な。
どうするべきか。今はまだ、協力的だ。だが、それは彼女に対してみせる一面でしかない。その本心はわからない。いざとなったら殺すことも考えなければならない。まだ、捕まるわけにはいかない。
少女はナイフを手に息をひそめた。
男はきつく着込んだ服を脱ぎながら寝室へ入る。でっぷりした腹が揺れる。
「ああくそ」
正妻が使用人に暇を出したらしい。それだけではなく、屋敷の管理も甘い。鍵がかかっていないし、窓は開きっぱなしだった。
「あの、傲慢知己め」
政略結婚での相手だ。不満は多々あった。相手は愛人がいたし、男も娼館に入り浸っていた。
まったく、と思い、男は寝室のベッドに転がる。
「まあいい、すぐにでも代わりは手に入る。さあ、どう可愛がってくれようか」
男は妄想の中で、妾となる女性の姿を思い浮かべ、下品に笑う。
「前の女のように殺さぬようにしないと」
「やはり、殺したのですね」
「だ、だれだ?」
いきなり聞こえた声に、男は驚く。
暗がりより、一人の少女が出てくる。男は少女を見て、息を吐く。
「なんだ、子供か。乞食か、今ならまだ許そう、さっさと出て行け」
「いいえ、出てはいきません。あなたに用があったのですから」
「儂に?いったい何の?」
「復讐、ですよ」
少女は右手に握ったナイフを男に向けて近づく。
「復讐、だと?」
「そうです、無念に死んだ女性と、その兄の」
「なんだ、貴様、あの件の関係者か?」
「いいえ」
「ならなんだ、あの件で儂を脅すのか!?」
「そんなことしませんよ」
少女は残虐に微笑む。
「もっと、苦痛に満ちたことですよ」
男は少女が本気だと気付く。自分は丸腰だ。だが、少女とは体格差がある。
男は起き上がり、少女に跳びかかる。しかし、少女は機敏な動きでそれを避けると、男の豊満な腹を突き刺す。
「うぁああああああああああああああ」
「痛いですか?」
少女はナイフを抜き尋ねた。男は転がる。痛みを抑えきれずに。
「なんで、儂がこんな目に!」
「わかっているはずですよ」
少女は紅い髪を揺らして近づく。男の目には、彼女は死神のように映っていた。
「いろいろとうまく隠していましたけど、あなたは色々とやりすぎました。その代償を、払ってもらいます」
「儂は貴族だぞ、王宮にも使えておる!法に守られる貴族なんだぞ!」
「だからですよ」
少女が一歩一歩と近づく。
「反吐が出るんですよ。犯罪者が法によって守られていることが。被害者が泣き寝入りすることが」
少女は声の調子を変える。怒りに満ちた声。美しい顔は、冷たく温度を感じさせない。
「だから私はあなたのような犯罪者を殺す」
「この、偽善者め!貴様も、犯罪者ではないか!」
「そうですよ、これは自己満足。でもね、理由なんでそれで十分」
少女の足が目前に迫っていた。
「さあ、この世へのお別れは済んだ?」
男の絶叫。
その後、少女は寝室を出る。そして優雅に屋敷を出ていく。
後には血に塗れた一人の男だったもの。
そして。
『VENGEANCE』という言葉であった。