MYTH OF VENGEANCE 2
ミアベルはヴェルベットに自身の持つ知識のすべてを授けようとした。
殺しの方法、ナイフの使い方、男を騙し利用する方法、罠の張り方、など知りえるすべてのことを教え込んでいた。
ヴェルベットは気配を消して座るミアベルの前を通る。目は完全に閉じられていた。そのミアベルに気配を悟られることなく、前を通る、という単純な訓練。だがそれは思った以上に困難であった。
わずかな空気の変化、揺らぎ。そんなものを感じ取るかのように、ミアベルの手が動き、ヴェルベットを捉える。
「それでは駄目よ。自身の気配を完全に消しすぎては、不自然になるだけよ。それでも最初よりはましね」
ミアベルは穏やかにそう言うと、立ち上がる。次にやるのは組手だ。
ヴェルベットは必要ないとは思ったのだが、ミアベルは一通りやるつもりであった。体に染み込ませれば、無意識にでも動くようになる。それが自身の命を救う。自身もそれで助かった、とミアベルは言うと、ヴェルベットは大人しく従った。
老齢の女性を相手に若い少女は苦戦していた。若さは経験には勝てない。ミアベルは最小限の動きでヴェルベットの攻撃をかわし、さらに反撃すらする。洗練された動きに、ヴェルベットは対処できずに、受け身を取りながら倒れる。
最初のうちは受け身すら取れなかったものだった。少女は苦笑する。いまだにこの人に攻撃を当てたことはない。ミアベルは整然としている。とても70近い女性のなせるものではない。
ヴェルベットは立ち上がり、もう一度、と思うが、ミアベルが手で制すると静かに姿勢を正す。
今日の訓練は終わり、ということだ。
ヴェルベットにも予定はあるし、ミアベルにも都合があるのだという。もはや日課となった訓練を終え、ヴェルベットは師に頭を下げると、自身の住む館へと帰っていく。
そんな少女の姿を、ミアベルは見つめていた。
少女は筋がいい。やる気もあり、賢い。ミアベルは今までも同じように訓練をしたことがあった。訓練したものはすべて男だったが、全員がヴェルベットのようにはいかなかった。
彼らは戦争で皆死んだ。そのことを、ミアベルは後悔したものだった。
だが、彼女は彼らとは違う。
ヴェルベットのことを思い、ミアベルは静かに寝台に体を据える。老齢の身には、動くのは辛い。それでも、彼女にだけは自身の持ち得るすべてを教えたかった。
近いうちに来るであろう死。それを目前にして、ミアベルは焦っていた。
『黒い未亡人』・・・・・・それは王国内では有名な話である。実話と物語が組み合わさって、いろいろなことが語られ、児童用の本にも時たま登場する。ヴェルベットもよく子供のころに彼女の話を聞いたものであった。
彼女が登場したのは、およそ50年前の王国貴族の反乱。後の貴族は再編の下にもなった争いが王国内で発生し、国内は大きく分裂した。
当時の国王を支持していた大貴族のお抱えの軍隊。そこに『黒い未亡人』は所属していた。
内戦状態に陥った王国を、周辺の国も放っておくことはなく介入。戦争は肥大化し、王国内が戦火に包まれた。
一時は国王一派の主要な者たちが捕まり、王族も二人の王子と一人の王女を残して殺害された。
その後、旧王都において処刑されそうになった王子たちを『未亡人』率いる国王派が奪還。
また、『未亡人』の交渉によって協力を取り付けた隣国の援助もあり、第一王子は王冠を被り、国王として即位。すぐさま反撃の狼煙を上げた。
その後、戦争は王国側に優勢となり、戦争が始まって10年後に再統一を果たした。
とはいえ、諸外国との戦争自体はいまだ終わっておらず、王国の危機は去っていなかった。
また、国王がこのころはやった病で急死したため、まだ15歳だった現国王が即位した。
国内では再び、反王派が動き出したが、それも『未亡人』によって防がれた、という。
これ以後、『未亡人』が歴史の表舞台に出ることはなかったが、当時の噂や創作では彼女は諸外国において工作をし、王国の勝利に貢献した、とされていた。
今から20年ほど前に戦争は終結。それ以降『未亡人』はその姿を消した。一説では戦時中に行方不明になった国王の妹だった王女を探しに、もしくはその責任を取って死んだ、と伝えられていた。
ヴェルベットは本を閉じる。なるほど、これのどこまでが本物かは不明だが、確かにこのような人物ならば、あの実力にも納得できる。これほどの人物がなぜ、ひっそりと王都に住んでいるのかはわからなかったが。
ミアベルには夫も子もいないようだ。彼女の指には指輪がしてあった。錆びついた指輪。それこそが彼女が『未亡人』と呼ばれる所以。
かつて結婚していた彼女は、その相手を戦争で亡くしたそうだ。その怒りが、彼女を『未亡人』にした、と子供のころに聞いた。それまでは剣術をたしなむ、貴族の少女でしかなかったらしい。
自分と似ている、とヴェルベットは思った。
だからこそ、彼女にはわかったのだろうか。ヴェルベットの抱える闇を。
ヴェルベットはナイフを見る。ミアベルが使っていたナイフ。それは今、自分のものとなっていた。
そのナイフの重み。そんなもの、ないはずなのに、ひどく重たく感じた。
ミアベルから教わったナイフ投げをする。風を切ったナイフはストン、と壁に刺さる。
狙いと寸分たがわずに。
ヴェルベットは満足そうに微笑む。時間はまだある。この調子でミアベルの持つものを自身のものにしていけばいい。そうすれば、いつかきっと。
ヴェルベットは大事そうにナイフを抜いて撫でると、机の中に大事そうにしまい、館の仕事をするために自室を後にした。
翌日、ミアベルの店を訪ねたヴェルベットだったが、珍しいことに彼女は不在であった。
仕方なく少女はそこで師の帰還を待つことにした。その間も特訓はしている。ここに来たのは訓練のためだ。師がいなくともそれは変わらない。
ヴェルベットは一人、ナイフを振るう。
結局、ヴェルベットがいる間にミアベルが帰ってくることはなかった。
次の日。ヴェルベットが訪ねると、ミアベルはいたが彼女は床に伏していた。
「おや、ヴェルベットかい?」
「ミアベルさん・・・・・・・・・」
ヴェルベットが彼女の横に座る。そんな少女の紅い髪を、ミアベルは撫でる。
「ふん、身体の具合が悪いのは知っていたが、まさかこんなに早くとは、ね」
「病気、ですか」
「まあね」
ミアベルはそう言い、体を起こす。健康そうな印象はなくなり、年相応の印象を受ける。ヴェルベットの心配そうな瞳を、笑って受け止める。
「そういうわけで、悪いがもう特訓はつけてやれそうにない」
そう言い、ミアベルは力なく横たわる。
「ヴェルベット」
「はい」
「明日、一日付き合ってもらえまいか?」
「・・・・・・・・・・・わかりました」
深くは聞かずに少女は頷く。それを満足そうに見ると、ミアベルは目を閉じる。
「そうか、では明日、来てくれ・・・・・・・・・」
そう言い、老婆は微睡みの中に沈んでいった。少女は毛布を掛けると、静かにその場を立ち去る。
ヴェルベットは感じていた。ミアベルの命が尽きようとしていることを。
数週間ほどの付き合いだが、その間に受けた恩恵は大きすぎるものだった。
今は独りであるミアベルだが、孤独なまま逝かせはしない。
少女はミアベルのナイフを撫でて、館に戻っていく。




