DEAR MY ELLIS
王都を包んでいた異常事態が収束して一週間。王都は普段通りの姿を取り戻していた。
ヴェルベットはジキストールやエリスらを出迎え、再び王都での生活を始める。
エリスらからはかつての故郷の様子を多く聞いた。ヴェルベットも陰ながら支援はしていたが、彼女らの話を聞くと、生活できるだけの環境に戻りつつあるようだった。
かつて自身が駆け巡った野原。花々の咲き誇る大地も、また元に戻るだろう。
ふと、遠い目をしたヴェルベットを見て、エリスは首をかしげる。屋敷の庭先のテーブル。満天の星の下、二人はコーヒーを飲んでいた。
「やっぱり、気になりますか?」
エリスがローゼリアの地のことを尋ねると、ヴェルベットは頭を振る。
「いいえ。今の私の生きる場所はここよ」
「そうですか」
「そう言えば、エリス」
ヴェルベットは真剣な眼差しで、エリスを見る。
「あなた、クロウドという人を知っているわね?」
「!?」
エリスが驚いたように目を見開く。その様子を見て、ヴェルベットは笑う。
「まったく、気づいていないわけがないじゃないの、エルマ」
絶句するエリスを見て、ヴェルベットは笑う。エリスは、自分がかつてのエルマとヴェルベットが覚えていないと思っていたのだから。
嬉しい半面、なぜ今更、という面持ちでエリスはヴェルベットを見る。
「記憶のないときの話はしたわね?」
エリスが頷くと、ヴェルベットは言う。
「その時、偶然会ったのよ。右頬に傷があって、失明しているようだったけど。彼はいつかあったクロウドだったわ」
「そんな、だって死んだって・・・・・・・・」
エリスが呟くと、ヴェルベットは笑った。
「でも、生きているのよ。この世界のどこかで今も」
そう言い、ヴェルベットはエリスを見る。
「彼を探しに行きたいなら、私は止めないわ」
「ヴェルベットさん」
エリスの頭を撫でて、ヴェルベットは笑う。だが、エリスは首を振る。
「でも、私は」
「いいのよ、エリス。あなたは自由に生きなさい」
そう言い、ヴェルベットは封筒を渡す。エリスはそれを見て驚く。たくさんの銀貨がその中に入っていたからだ。とても受け取れない、と言おうとしたエリスの唇に、ヴェルベットは人差し指を押し付ける。
「何も言わないで。大丈夫よ、きっと彼はあなたを受け入れてくれる」
そして、ヴェルベットは艶やかに笑う。
「彼と一緒に、戻ってきなさい。いつでも、いつまでも待っているから」
「ヴェル・・・・・・・・・」
思わず、昔の呼び方でエリスは呼んだ。少女たちは静かに笑った。
「今度こそ、幸せを掴みなさい」
「うん、ヴェル」
あの日と同じように、二人の少女は走って庭先に寝転ぶ。空には、変わらぬ満点の空が広がっていた。
二人は手を伸ばす。伸ばしても、その星は掴めない。
だが、届かないからこそ、人はその星に手を伸ばし続ける。諦めなければ、きっと。いつかは。
エリスはヴェルベットの横顔を見る。相手もエリスを見た。
年相応の笑顔を浮かべる二人を、星空が照らす。
次の日、エリスは一人、旅立った。一凜のエリスの花と、親友の思いを胸に。
ヴェルベットは事件後、クロウドについていろいろと調査したらしく、多くの情報を彼女に伝えてくれた。
それを頼りに、エリスは馬を進める。金の心配はなかったし、一人旅だからと言って心細くもなかった。
前にも経験していたし、今は希望がある。それにヴェルベットから身を守るための道具を過剰にもらっていた。
彼女愛用のナイフや、眠り薬、痺れ薬、煙玉など、何に使うかわからないものまであった。
そんな親友の心配りが少しばかりおかしくて、クスリと笑う。
思えば、いろいろなことがあった。辛いことも多くあったが、それでもこうして生きていられた。
全てはヴェルベットやキャシーといった人のおかげだろう。
それに、死んだと思っていたクロウドが生きているのだ。
自分を救ってくれた初恋の人。そして愛すべき夫。ヴェルベットの話では、彼も自分を探しているらしい。エリスも、彼のことは忘れたことはなかった。相手もまた自分を想ってくれていることを、幸せに思う。
早く会いたい。早くあって、好きだと言いたい。愛していると伝えたかった。
そして、奪われた時間を取り戻したかった。
自分のために、クロウドのために。そして、自分を想ってくれている親友のために。
エリスははやる気持ちで馬を進めていく。彼女の顔には、ただただ希望だけが宿っていた。
エリスは宿屋の主人に頭を下げ、村を後にした。
どうやら、件の人物は数日前に訪れたらしい。その宿で一泊したエリスは早朝、馬を駆って彼の後を追い始める。だんだんと、彼には近づいている。かれこれ、一週間がたっていたが、彼女は彼のことを諦めてはいなかった。
会いたいという思いは日に日に強くなっている。もうすぐ、もうすぐ会える。そんな思いがエリスの中に溢れて、止まらない。
胸元に大事そうにしまっているエリスの花を撫でて、少女は朝日に向かってかけていく。
夜になった。森の開けた場所にある泉の前で、エリスは水浴びをしていた。
ちょうどよく宿や村も見つからず、たまたま見つけたそこで身体を清めていた。
獣がよらないように、とヴェルベットの渡してくれた粉を撒いて安心して、泉に浸っていた。
心地よい水温に、少女は寛ぐ。夜の泉は、月の明かりを受けて神秘的に煌めいていた。
その綺麗な光景を、親友や夫に見せてあげたかった。
そう言えば、私たち、ハネムーンもまだだったな、とエリスは思った。それどころではなかったな、と苦笑する。そう言えば、ヴェルベットたちもまだだな、と気づく。
クロウドを見つけて帰ったら、ヴェルベットたちも送り出そう、とエリスは思った。あの事件以降、ヴェルベットはどこか、丸くなったような気がする。
どこか自分のことを諦めていた今までとは違って。
かつてのヴェルベットに、少しずつ戻りつつあるのかもしれない。もう、あの頃の彼女に戻ることはないのかもしれないが、それでも、エリスにとってはうれしいことだった。
彼女にも、幸せになる権利はあるのだから。
エリスは泉から出ると、髪を拭いて、火に当たる。
暖かい。
自身の身体を抱きしめる。はやく、あなたに会いたい。そんな思いを抱きながら、少女は独り、夜を過ごす。
次の日の正午ごろ、エリスはそこそこの規模の街に来ていた。街の門番に聞くと、それらしき人が先日来たらしく、まだ出ていないであろう、とのことであった。
エリスはようやく追いついたことを知った。そして、急いで彼を探そうと思った。ここですれ違いになってたまるものか、という気持ちで。
少女は人々に聞いて回る。右頬に傷のある男性のことを。
流石に人々も彼のことは記憶にあったらしく、どこに行った、あそこに泊まった、といろいろと教えてくれた。
そんなエリスも油断をしていたのだろうか。気を付けていたはずなのに、いつの間にか街の暗がりに来ていた。そして、数名の男たちに囲まれていた。
「へ、嬢ちゃん、人を探しているって?」
「そんなあことよりぃ、俺らあとあっそぼおおぜえ!?」
薬物でもやっているかのように顔色の悪い男も数人いた。エリスはヴェルベットからもらったナイフを出して、構える。そして、男たちを見る。
「来ないで。切りますよ」
「できんの、嬢ちゃん」
あざ笑う男たちに、エリスは力強く言う。睨みつけるエリスだったが、それは還って男たちの興奮を促すだけだった。
男たちは、エリスの構えるナイフなど気にせずに、襲いくる。
思わずエリスは目をつむり、悲鳴を上げた。助けてくれる人はいないにもかかわらず。
「助けて、クロウド!」
少女の声にこたえるはずはない、そう思っていたはずなのに、その人物はいた。
エリスは正面を見る。男たちの向こうに立つ人影。それは見まごうことはない、彼女の愛した人。
記憶の中の彼よりも、少し痩せてどこか影のある雰囲気を纏っていた。目から頬に走る傷は痛々しい。
クロウドは襲い掛かる男たちに向かって拳を打ち据える。男たちは不意を突かれて倒れる。反撃をする者もいたが、それを容易に受け止めるとクロウドは一撃で相手の意識を奪い取った。
どちらかというと、争いを嫌っていたはずの彼が、これほど強いことにエリスは驚く。
呆然と見るエリスを、クロウドは笑ってみる。
「久しぶりだね、エルマ」
そう言って、クロウドはエリスを抱きしめた。その瞬間、エリスの目から涙が毀れた。
言いたいことはたくさんあったが、言葉にできなかった。ただただ涙があふれてきた。
クロウドもまた、何も言うことなく、少女を抱きしめる。そして、少女の頬を掴むと、ゆっくりとその唇を重ねた。
地に伸びる男たちを放って二人は自分たちの世界に浸る。
二人を邪魔するものは、誰もいなかった。
その後、二人は宿で共に夜を過ごした。
寝台を共にしながら、二人は自分たちのことを語り合う。
互いに苦労してきたことを、笑いながら話した。こうして笑いあえるのも、生きてこうして会えたからだ。
エリスは笑う。咲き誇るエリスの花のように。どんな場所でも、可憐に咲く花のように。
二人は唇を合わせると、再び互いのぬくもりを求める。
明かりが消えて二人の部屋に月明かりがわずかに入るのみとなる。その中で、二つの影が交差した。
二人は街を出て、王都へと向かう。クロウドとともに帰ることを約束した。それに、あの時のお礼を彼とともに言いたかった。結局、エルマとして彼女に礼を言ったことはなかったからだ。
それに、ヴェルベットの両親の墓前、ローゼルテシアにもいきたい、とクロウドが言っていた。
どちらにせよ、今後のことはそれからだ。
エリスはクロウドを見て笑った。
大丈夫、もう、離さない。この手のぬくもりを二度と。
空を見た。広がる空は晴れ渡り、太陽の暖かな光が二人を包んでいた。
二人はゆっくりと歩き出す。二人の人生は今、本当の意味で始まったのだ。




