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VENGEANCE  作者: 七鏡
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54

横殴りの雨の中、二人の復讐者の戦闘は続く。端から見れば、幼気な少女が男に追われているように見えた。しかし、実際のところ少女は逃げているわけではなく、なおも戦闘をしていた。少女は毒を仕込んだ梁やナイフをまだ複数持っている。それを振り返り投げる。

男の方は両腕がしびれて使い物にならなかった。飛び道具は使えず、ただただ接近の機会を伺うばかりであった。飛んでくる武器に対しては鉄製の防具で防ぐ。しかし、決定的な攻撃を少女に行えずにいた。

先ほどから一定の距離を保った状態であり、ただただどちらかの体力が尽きるまで戦う、という様相になっていた。しかし、両者は一向に疲れを見せなかった。

それは強靭な精神がなせる物だった。常人ならば耐えられぬそれを、二人は持っていた。

二人の修羅の戦いは終わりを感じさせなかった。だが、この戦いを見る者はいなかった。

雨と霧に阻まれているのみならず、人が全くいない王都が舞台であったからだ。縦横無尽に走る二人を、天に浮かぶ太陽も月さえも見ることはできなかった。厚い雨雲がその視線を遮っていた。

観客のいない舞台で、二人の役者は躍る。


永遠に続くと思われたそれも、ついに集結の兆しを見せ始めたのはスラム街に入った時だ。

ヴェルベットはかつて自身が負けた地に戻ってきたのだ。そしてこの場所こそ、彼女が目指していた場所であった。

ヴェルベットは自身を流した川のそばに立つ。あの日同様に、川は荒れている。

雨はあの時よりも激しい。水の勢いに流木が砕かれる。

「シャッハ、ここで決着をつけましょう」

少女は静かに、闘志をみなぎらせてそう言った。シャッハも、そんな少女を見ると、闘志を隠しもせずに行った。

「いいだろう、だが、決着はお前の死で終わる」

シャッハは痺れの着れた腕を動かす。感覚のすべては戻ってはいないが、少女を殺すには不足はない。

シャッハはナイフを抜くと、少女に駆け寄る。ヴェルベットもまた両手に構えたナイフで斬撃を抑えると、カウンターの一撃を放つ。

それを鉄の防具で防ぐと、シャッハは一本のナイフを肘でたたき折る。

だが、少女は冷静に袖から次のナイフを取り出し、切りつける。シャッハのナイフとつばぜり合いをし、二人のナイフが共に折れる。二人は距離を取ると、半ばから折れたナイフを互いに相手目がけて投げる。

空中で二本のナイフがぶつかり、弧を描いて川に落ちた。その瞬間には、二人は動き出していた。

シャッハは片方の手に装着された鉤爪を少女の脇腹目がけて放つ。少女の脇腹から三筋の血が撒き散らされた。

だが、少女は笑った。痛みすらも愛おしそうに。そして、少女は一本のナイフをシャッハの首に向けた。

それはそのまま行けば、シャッハの首を切り落とし、その生命を永遠に葬ったろう。

だが、その未来は訪れなかった。

シャッハは痛みに倒れ込む。もう少しで川に落ちる、という位置に倒れ込んだ彼の前に、ヴェルベットは立っていた。

シャッハは傷ついた両脚を庇いながら、少女を見上げた。

「なぜ、止めを刺さない?」

男は言った。少女は自分を殺す気だったはずだ、と目に力を込めて。

両脚の傷は一見浅いが、少女はうまく足の筋肉を絶っていた。男はもはや這いずることしかできない。

そんな男を、悲しそうな目で少女は見る。そんな目で見るな、と男は言いたかった。

「あなたと同じよ、シャッハ」

「なに?」

「あなたも私を確実に殺せたのに、そうしなかった。なぜ?」

「それは・・・・・・・・・」

あの勢いの川の中だ、死んで当然だ、と男は思ったはずだ。だが、男はどこかで思っていたのだろう。

少女の生存を。

そしてヴェルベットは感じていた。この男は決して自分を殺せない、と。なぜなら彼は知っているのだ。己が間違っていることを、己を止めることのできる人物を。

「私たちは似ている。だからこそ、わかる。私たちは復讐と言いながら、結局は諦めているだけだった」

ヴェルベットは静かに言った。

「殺すだけでは、何も生まれない。それを知りながらも、復讐をせずにはいられない。だから、そんな自分を卑下して、幸福を得ようともせず、死にたがる。あなたもそうでしょう?」

「・・・・・・・・・・・」

「結局、あなたは死にたいだけなのよ。死んで楽になって家族とともに、ってね。そのために私に殺されようとしたのよね。自分から死ぬわけにもいかず」

「そんなはずは・・・・・・・・・」

シャッハは泣きながら言った。男は少女を見上げた。強い雨と涙で、その顔は見えないが、少女もまた泣いているように見えた。

「だからこそ、私はあなたを殺さない。殺さないことこそが、私からあなたへの復讐」

「馬鹿な!お前は何時だって殺してきた!今までのように、俺も殺せ!」

シャッハの絶叫に、ヴェルベットは静かに首を振る。

「今を持ってシャッハ・グレイルは死んだ」

そう言ってヴェルベットはシャッハの頬を撫でた。

「これからは生きて、己が罪を償いなさい。これがあなたに対する復讐よ」

シャッハは泣き崩れる。血まみれの自分の手を見ながら。

何のために、こんなことをしてきたのだろう。なんのために、こんなにも。

シャッハの中で、深く封じられていた自分が解放される。襲いくるのは、己の正義と良心。自身の手で奪われた無関係な命。それが、彼の心を切り裂く。

泣く彼を、少女は静かに見ていた。憐憫をその瞳に湛えて。

少女は手を差し出した。泣き崩れる、一人の憐れな男に対して。

本来なら、もっと早くにこの手を差し伸べればよかったのだ。ヴェルベットではない、ほかの誰でもいい。とにかく、誰かが手を差し伸べれば、男はこうまでならなかった。

男は加害者でありながら、被害者であった。

男は呆然と、少女の手を見る。しかし、その意味を知ると、笑いだした。

「ははは、こんな、こんな簡単なこととはな」

そう自嘲し、シャッハは立ち上がる。立ち上がることはできないはず、と驚いたヴェルベットに、シャッハは穏やかな笑みを浮かべた。

「あんたは、優しいな。本当のあんたは、きっと心もきれいなんだろう」

そう言い、シャッハは手を差し伸べる少女から離れるように後ずさる。ヴェルベットは小さく息をのむ。それ以上行けば、彼は川に落ちる。その岩をも砕くの中へと。

「だが、全ては遅すぎた。俺は、もう、まっとうな日々を送る権利なんて、ない」

そう言い、シャッハはヴェルベットを見た。

激しい雨の中で、シャッハは笑った。なんの曇りもない、穏やかな笑み。

少女はシャッハに対して制止の言葉をかける。だが、シャッハはそれに対し、ただ笑みを浮かべ、そして。



静かに、川の激流の中へと落ちて言った。



少女は伸ばした手を川に伸ばす。だが、その手にかかるのは、水しぶきのみ。

哀れな男の手が掴むことはなかった。


少女は失意の中、呆然と立ち尽くす。

これが、己の辿る運命なのかもしれない。そう思いながら。

少女は強く拳を握った。こんな孤独に死ぬことは怖い、と彼女は思った。



雨が止んだ。王都に光が戻ってきた。

雨期は去り、街に人が戻り、また変わらぬ日常が戻ってくる。



少女は独り、墓の前に立つ。そして、紅い薔薇の花びらを墓前において立ち去った。

その墓には、刻まれるべきシャッハ・グレイルの名はなかった。犯罪人で、行方知れずになった男の名など、誰も刻みはしない。ただ、その名は彼女の記憶の中で生き続ける。

彼が信じた正義。最後には暴走したが、彼の思いは本物であった。

たとえ誰もが認めずとも、彼女だけは認めよう。

少女は寂しげに笑うと、自身の帰るべき家へと向かっていく。

愛すべき夫と親友たちが、彼女を迎え入れてくれる。そんな日々が、無性に恋しくてたまらなかった。

今まではあきらめていた自分の人生を、大切にしていきたい。それが少女の偽らざる思いであった。





一人の男が、遠い異邦の地で倒れていた。

傷だらけで死んでいるかのように見えた男は微かに呻いた。

それを聞いた通りがかりの人々が男を抱え上げ、近くの民家に運び込む。

男は手を伸ばす。意識はない。夢の中で、彼は必死に手を伸ばしていた。

遠く輝く光。だが、それは届きはしなかった。

自分はまだ赦されていないのだな、と男は悟った。生きて、償え、という声が男の中に響いた。

男は深い眠りについた。眠りから覚めた時、それは贖罪の始まり。

シャッハ・グレイルとしての男は死に、新たな男の人生が始まる。

己の罪を贖うための、決して楽ではない第二の人生が。

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