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記憶を取り戻したヴェルベットはその後、ルニのいる村に戻った。そして、荷と馬をルニの家の前に遺して去っていった。深夜ということもあり、誰もにもその姿を見られることはなかった。
ローズとして過ごした日々は、王都におけるヴェルベットとしての生活とはまた違う充実感をもたらしてくれたが、そんな幸福につかっていたいと思うのは憚られた。
やはり自分には復讐が似合っている。人並みの幸せはいらない。ジキストールやエリスといった人がいる限りは。
だから。
ヴェルベットは遠くになってしまった村を眺める。涙が一筋、彼女の目から零れた。もう流さないと決めたはずのそれを拭うと、少女はその風景から目をそらし、独り道を進んでいく。
向かうは王都。そこで彼女は決着をつけねばならない。もう一人の自分との決着を。
朝方、ルニは玄関を出て少女の姿を探した。本来なら昨晩のうちには帰っているはずの少女はいまだ不在。夜遅くまで起きていたのだが、睡魔には勝てず寝てしまったが、彼女は孫ほどの年の少女を心配していた。
そんな老婆は家の前で縄でつながれた馬と少女に頼んでいた荷物を見つけた。
そして、荷物の上には一通の封筒と薔薇が置いてあった。上品な封筒に包まれたそれを、ルニは手を取った。そしてそれが少女の遺したものだと悟った。
老婆はそれを読み始めた。そこに書かれていたのは、少女の感謝の言葉と別れの言葉。
記憶を取り戻したこと、やらなければならないことが書かれていた。それがなんなのかはわからないが、老婆はどこかそれに納得していた。少女は本来ならここにいるべき人ではないのだから。
それを知っていたはずなのに、老婆の目からは涙が零れる。
「まったく、年はとるもんじゃないね」
涙腺が弱くなってやがる、と老婆は力なく笑い、手紙の最後の文を読む。
そこにはルニのことを本当の祖母のように思っていたことと、少女の名前が書かれていた。
「・・・・・・・・・いい名前だね」
そう言い、ルニは一緒に添えられていた深紅の薔薇を見る。
その薔薇は、少女とともに見つけ、彼女が少女に手渡したヴェルベットローズの花であった。
その薔薇の名を持つ少女に向けて、老婆は声援を送った。この空の広がるどこかで生き続けているであろう少女に。
つかの間ではあったが、充実した日々をくれた紅い髪の少女に。
「ありがとう」
老婆は一人、静かに言った。
王都。二週間の間、シャッハによる凶行は一時収まっていた。というのも、彼が殺すべき人物のほとんどが王都を離れるか、王城に逃げ込んでしまったからだ。軍人や憲兵は街から出ないようにみはるばかりで、シャッハには手を出さない。シャッハが飢えて弱るのを待っているようだ。
だが、彼が飢えることはなかった。王都の各所にある非常用の倉庫の場所を彼は知っていたし、そこを守るべき兵士もすでに事切れていた。よって彼が飢えるのは、少なくとも数か月、または一年以上待たねばならない。
他国による侵略などに備えた物資は見事にシャッハのものとなっていた。
シャッハはただただ待っていた。何を待っているのか、と問われても彼自身はわかっていないであろう。だが、何かを待っていた。
家族の墓を前に、彼は今日も叫び続ける。無情な世を恨むかのように、強く強く。
「ダニー・・・・・・・・」
叫び疲れたシャッハは、亡き息子の名を囁き、項垂れる。
いつしか雷鳴がとどろき、雨が降り出す。雨期特有の不安定な気候の中でも、シャッハは外に座り続ける。
頬を強い雨が打とうとも、彼はそこに居続けた。
強い雷鳴が再びなった時、シャッハは顔を上げる。何かを感じたのだろう、突然腰からナイフを引き抜くと後方に投げつけ振り返る。
シャッハは立ち上がり振り返った。
愚かな軍人が再び来たのか、と思ったが、それが違うことにすぐに気付いた。
自身の後ろに立つ人物はナイフを避けると、静かに笑った。その妖艶な笑み、そしてその特徴的な髪に、シャッハは呆然とした。
「まさか、生きているとはな」
「ええ、私もそう思うわ」
シャッハのその言葉に、少女は笑ってそう言いかえした。その姿は、まったく変わっていなかった。
シャッハは殺したはずのヴェルベットを、強い視線で睨む。
「戻ってくる、か。なるほど。恐れ入るな、その狂気」
「同じ言葉、そっくり返すわ。シャッハ」
両者は激しい雨の中でにらみ合う。
「やっぱり、私たちは似ているわ。その内に秘めた狂気。独善的な正義感」
ヴェルベットは呟く。シャッハは沈黙する。
「それを知っていて、私はあなたを止めようともしなかった。あなたが復讐に走るのを黙って見ているだけだった」
「まるで、お前なら防げた、とでも言いたいようだな。俺の家族を襲った悲劇を」
「そこまでは言わないわ」
ヴェルベットは憎しみを強く秘めたシャッハの視線を受け止めながら言った。
「それでも、私には責任があった。そして、それは今も変わらない」
「・・・・・・・俺を殺す気か?復讐する気か?」
「ええ、シャッハ・グレイル。あなたを殺す。無関係な人の血に染まったあなたを」
「同じ穴のムジナが・・・・・・・・・・・!」
ヴェルベットは真紅のドレスからナイフを抜き取り構えた。雨を大量に吸い込み、重くなっているはずのドレスだが、彼女はその重さを気にしてはいなかった。この雨の中でも、少女の魅力は一切変わらなかった。
死神のような少女を前にして、シャッハは震えた。それは恐怖からではない。
どこか、うれしさがあったのかもしれない。少女が現れたことに対して。彼女が生きていたことに対して。
シャッハは狂気に満ちた瞳を開き、少女を見る。そして、凶器を全身に隠しながらも、素早く少女に接近する。
「俺を殺せるならやってみろ!何度でも蘇れるというならば、俺が何度でも殺してやる!」
シャッハの繰り出した鉄の鉤爪が、少女の頬を切り裂かんとする。少女の美しき肌の表面を少しかすり、鉄の鉤爪は弾き跳んだ。
少女はわずかに身を反らすと、自身のナイフでシャッハの手を爪ごと切り落とそうとした。それに対してシャッハは咄嗟に爪を外し、難を逃れたのだ。
ヴェルベットの隙をついてもう一方の爪を突き出したシャッハだが、その時鋭い痛みが首に走る。少女から距離を取る。そして、すぐさま首に手をやり、そこに刺さっていた針を引き抜く。
ヴェルベットは艶めかしい唇から舌をチロリと出す。彼女が口に仕込んでいた針なのだろう。
シャッハは再び少女に接近する。確実に仕留めるために。シャッハはすべてにおいて少女に勝っている。全力ならば、すぐに片をつけられる。そう思っていた。
シャッハは両手にナイフを握り、少女の華奢な身体に突きつける。それは確実に少女の腸をえぐり取るはずだった。
だが、少女は軽やかにかわし、シャッハの両手を抑える。腕を覆っている鉄の板の隙間に爪を差し込み、その肌に深く沈める。シャッハは両腕に力を入れ、少女を振り払おうとした。その男の鳩尾に少女の履いたヒールのつま先が突き刺さる。彼の口から唾液が飛び散る。
腕の感覚が少しずつ麻痺するのを感じた時、シャッハはやっと少女を突き放した。
そして、泥の中に倒れ込んだ少女に向かって鉄の円盤を投げつける。だが、それはシャッハの狙った位置から大分離れた気に突き刺さって止まる。
シャッハは少女を引き離すのが遅かったのだと悟った。彼女の毒はすでに腕に広がっていた。
泥にまみれながらも、妖艶さを失わない少女は笑っていた。
シャッハはそんな少女に突進する。腕は使えなくても、まだまだ戦う術はいくらでもある。少女と違い、シャッハには鉄の防具がある。ただ体当たりするだけでも、少女にとっては致命的だ。
ヴェルベットはもろにその突撃を食らい、地に倒れ込む。その唇からは血が出て、全身の骨が悲鳴を上げた。
容赦なく少女の腹に脚を突き出し、踏みつけるシャッハ。少女は苦しみながらも、シャッハに対するその劇場を一切隠さずに、より一層強くしていく。
シャッハもまた少女を見る。確実に殺してやる、とでもいうように。
雷鳴が響く。
シャッハの足にナイフが突き刺さる。それのせいでシャッハの足から力が抜けて、少女が逃げ出す。
逃げる少女を、シャッハは追いかける。
墓の間を軽やかに移動する少女を、墓石を破壊しながらシャッハは追いかける。
降り続く雨の中、二人の復讐者の戦いは続く。




