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ヴェルベットは王都で売られている雑誌を手に取る。そこには大きく第二の復讐者の記事が書かれていた。
恐ろしいまでの惨劇を生み出す復讐者。その被害は連日に及び、死亡者数はすでに『VENGEANCE』がもたらした物以上になっていた。
記事はどちらかというとこの復讐者に否定的であった。殺された者たちは、そこまで重い罪を犯したものではないものも少なからずいた。飢えをしのぐために盗みを働いた少年までもが死んだ、という記事が大きく取り上げられていた。
そして民衆からは恐れられながらも、その存在を支持されていた『VENGEANCE』と違い、この第二の復讐者には正統性がなく、一方的な虐殺をしているだけだ、と弾劾されていた。
ヴェルベットはそこまで『VENGEANCE』を美化して考えてはいなかった。むしろ、社会において存在すべきではない、とすら思っていた。彼女は自身の存在が甲斐でしかないことを知り、だからこそ、自身の幸福すら諦めていたのだ。
ヴェルベットは復讐を辞めた。安らぎを得た。そして、王都を守るべき憲兵がその本来の機能を生かし始めた、それが理由ではあった。
しかし、その護るべき憲兵であるシャッハがその道を踏み外したことに、ヴェルベットは驚きを隠せない。
いつか彼女は、彼の中の正義が自身の復讐に通ずるものがあると指摘した。だが、まさかそれが本当になるとは思いもしなかった。
だが、世の中の理不尽さを彼女は知っている。この事態とて、十分に予測可能な事柄である。
ヴェルベットはその雑誌を閉じると、静かに目をつぶる。
誰かが彼の暴走を止めなければならない。
では、誰が止めるのだ?
キースの命令によって、スラム街には憲兵隊が配置され、昼夜問わず監視の体制が築かれた。
犯罪者や住民はそれを畏れるが、真の恐怖は彼らを狩る復讐者であった。死ぬよりは、憲兵に監視という名目で守ってもらった方がいい、彼らはそう考えていた。
さすがに復讐者も、憲兵相手には手を出すまい、とそう彼らは楽観視していたし、キースをはじめとした者たちもそうだった。
シャッハにとって憲兵隊はかつての仲間。殺すことはない、はずだった。
憲兵隊、そしてスラムの住民の悲鳴が、昼の王都に木霊した。
憲兵たちは皆、その悲鳴の下へとやってくる。そこで彼らが見たのは一方的な虐殺。
数人がかりで抑えかかる憲兵をいともたやすくたたき伏せ、その命を奪う無慈悲な虐殺者であった。
「シャッハ!」
憲兵隊での同期の言葉にも耳を貸さず、黒衣の復讐者は鉄製の円盤とナイフを投げる。
それを避けようとする憲兵だが、後ろにいた味方を守るために、動けなかった。そんな彼の首を切り裂いた円盤は、後ろの憲兵の腹を切り裂いた。
血の匂いが周囲に散漫する。もはや、正気を保ってなどいないシャッハを、憲兵たちは恐れ、逃げ出す。
逃げる者を追わずに、シャッハは本来の目的であるスラム街の住民たちを見る。
怯える彼ら。彼らがいるから、王都で犯罪が起きる。そして人が死ぬ。妻や愛する息子のような、無力なものが犠牲になる。
鉄の鉤爪は容赦なく振り下ろされた。
男も女も子供も、皆平等に死んだ。殺人鬼の前に、道理など存在しない。
その日、王都はその輝かしい歴史の一ページに、忌まわしき歴史を加えることとなった。
キースは項垂れていた。自身の判断が、この事態を招いた。シャッハを、甘く見ていた。そのために、多くの憲兵と市民が死亡したのだ。それだけでなく、憲兵隊はその殺人鬼の正体がシャッハであることを、実際に会うまで知らされなかった。このことも、今回の大被害につながった。
「なんということだ」
「まったくね」
「!!」
キースは屋敷の自室にいて、独りであったはずなのに、別の声が聞こえたことに驚く。だが、すぐに冷静になる。そう、彼女なら、容易にここまで来ることができるであろう、と。
「引退したのではなかったか、『VENGEANCE』」
「ええ、でも、戻らざるを得なかったわ」
紅い髪の少女は真剣なまなざしで、キースを見る。
「どうやら彼は、君以上の化け物のようだぞ」
「そうね」
そしてヴェルベットは何かを放る。それをキースはちらりと見る。
「これは?」
「心当たりがあるはずよ」
ヴェルベットは冷徹にいう。キースは肩を竦める。
「心当たりはない」
「シャッハを襲った悲劇の犯人。その情報。あなたはそれを秘匿した。違うかしら?」
「・・・・・・・・・・・」
「そりゃそうよね、大貴族とつながりのある男がこんな事件を起こしたことが明るみになってはたまらない。あなたはそれを秘匿して、スラム街出身の人たちの犯行と見せかけた。以前、憲兵に逮捕されたものによる復讐としてね」
ヴェルベットは冷たい瞳でキースを見る。『VENGEANCE』は死んではいなかった。ただ、その素顔を封印していただけであったのだ。
「本来ならば、復讐はそれでおしまいだった。でも、つまらないしがらみが事態をここまで大きくした」
「では、どうしろというのだ?私は王族だ、何でもかんでも理想でどうこうできるわけではない!」
キースの激昂を、ヴェルベットは初めて見るが、動揺はしなかった。むしろ安心したのだ。常に笑みを浮かべているこの男でも、人間らしさがあったのだと。
「そうね、でも、あなたは妥協したのよ。自身の理想にね。あなたは犯罪を憎んでいたはずよ。だからこそ、私を利用し、憲兵隊という組織の改革までした。それなのに、あなたは自身を妥協させた。その結果がこれよ」
「好きに言ってくれるな、ヴェルベット。復讐すら放棄し、日常を選んだ貴様が・・・・・・・・・・!」
「そうね」
穏やかにヴェルベットは言った。
「これも、私の罪なのかもね」
そう言ってヴェルベットはスカートの中から一本のナイフを取り出した。それはヴェルベットが捨てたはずのナイフ。復讐のために彼女が選んだ、最初の武器。
「だから、これは私なりのけじめ」
そして、ヴェルベットはキースを見て言った。
「シャッハ・グレイルの虐殺を止める。彼によって殺された罪なき人の敵討ちのために」
紅い少女の剣幕に、何も言えずにいたキース。そんな青年を一瞥もせずに少女は静かにその場を去った。
かつては協力者であった二人。そして、犯罪を憎み、憲兵であったキース。
どこで、道は分かれたのか。なぜ、こうまで人はすれ違うのか。
キースは無気力に窓を眺めながらそう思った。彼の答は、永久に出ることはないのであろう。
エリスは殺しのための準備をするヴェルベットを見る。
ジキストールは静かに何かを悟ったように彼女に言葉をかけた。だが、エリスはそれで納得はできなかった。
今までは、ヴェルベットは死ぬことはないだろうと思っていたが、今回ばかりはそうもいかない。相手は元憲兵。今までの相手とは違う。みすみす死ににいくようなものだ。
親友を死なすわけにはいかない。彼女には、幸福でいてほしかった。ほかのだれが死んでも構わない、ただただ彼女にだけは。それがエリスの思いであった。
「・・・・・・・・・行くんですね」
「ええ」
ヴェルベットはエリスの問いに頷く。エリスは涙を浮かべてヴェルベットの手を握る。行かないで、とだだをこねる子供のように。
それを笑って振りほどくと、ヴェルベットはエリスを抱きしめた。
「私は死なないわよ、エリス」
ヴェルベットは笑ってエリスに言う。その顔は、どこまでも美しく、晴れやかであった。
その顔を見て、エリスはただ頷いた。彼女には、それしかできなかった。
ヴェルベットは真紅のドレスに身を包む。そして、その表情を変えた。
そこにいたのは幸せの絶頂にいたヴェルベット・ヴェストパーレではなく、『VENGEANCE』であった。
復讐の女神は歩き出した。
悲劇の幕を下ろすために。




