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にわかに王都の話題を掻っ攫ったヴェルベット・ヴェストパーレ。そんな彼女に求婚が後を絶たない、という噂がまたも世間を賑わせた。
王都において知る者がいないほどの人物とまでなったヴェルベット。その美貌や能力は帰属にとってはとてつもない魅力であり、彼女を手にすることで家の繁栄につながると考える者は多かった。家の利益などよりも、あの美しき少女を従わせたい、と考える者も多かった。
彼女の裏の顔はいまだ知られていないために、男たちは言い寄ってくる。可憐に微笑むヴェルベットは微塵もその内に秘めた感情を表しはしなかった。
そんな彼女を自分のものにしようと、連日多くの男性貴族や商人が訪れるのだが、彼女は愛想笑いを浮かべるだけで頑として男たちを受け入れはしなかった。
男たちの金や権力も彼女にとっては何でもなかった。
ヴェルベットは恋などしないと思っていた。復讐が終わるまで、いや、それが終わっても、恋もしなければ、人を真の意味で愛することもないだろう。そんな思いすら抱いていたのだ。
ヴェルベットは復讐のために生きているのだ。それ以外にうつつを抜かせるはずがない。
ヴェルベットはその日、王都にある植物園を訪れていた。最近は仕事に、貴族の男連中に、と暇がなかった。そんなヴェルベットを心配してエリスをはじめとした女性たちが男たちの手からヴェルベットを隠し、送り出した。リースも一緒に行きたがったが、エリスの言葉で堪えて彼女を送り出してくれた。
たまには一人で、という親友の気持ちに感謝してヴェルベットは街に繰り出した。
無論、そのままでは目立つため、髪は着色し、化粧で本来の美貌を隠した。少し外見が変わっただけで、人はわからなくなる。あんなに必死だった男たちも、素通りしていく。
人間の心なんて、そんなものだ。ヴェルベットはそう思い、街を歩いていく。人の心は変わるし、永遠はない。いつか、私も復讐を忘れ、失った宝物を忘れる。そんな日が来るのかもしれない。それが怖い。
ヴェルベットはそんなことを考えてしまい、頭の中から振り払った。そして、植物園に入っていく。
王都にある小さな植物園。そこは自然にあふれている。ヴェルベットが幼少期より触れてきた植物があふれている。
あの日に帰ったように、ほほ笑むヴェルベットは、植物園の中を舞い踊る。
人は誰もいない。この植物園にはめったに人は来ない。それをヴェルベットも承知していた。
人目も気にせず、彼女は躍る。
花弁や草が舞い、あたかも彼女を祝福するかのように。風が彼女の髪を撫で、優しく囁く。
久しぶりの自由に、彼女は時すらも忘れていた。
そんな彼女の耳に、静かな音色が響く。優しい音だった。
彼女は植物園を見回す。そして、中央の噴水にいる一人の青年を見つけた。
両目を閉じた青年。ヴェルベットよりは年上だが、まだ若い。品のいい服装で、端正な顔であった。
首元まで伸びた金髪は風に揺れていた。彼の手にはハープがあった。
彼の手がハープを弾く。自然に響く音に、どこかヴェルベットは安堵する。
「あの」
ヴェルベットが声をかけると、青年は手を止める。そしてヴェルベットの方を見る。いや、その両目は閉じられたままであった。
「ああ、失礼。あなたが楽しそうでしたので、つい」
そう言い、青年は笑う。
「いえ、綺麗な音、ですね」
ヴェルベットはそう言い、噴水へと近づく。青年は再びハープを弾き始める。
「それはありがとう。これだけが、僕の取り柄、だからね」
そう言うと、青年はハープを弾くのをやめると、ヴェルベットの方を見る。
不思議と目は開かれていないのに、全てを見透かされている、そんな感じをヴェルベットは受けた。
「あの、あなたは目が・・・・・・・・・・」
「ええ」
ヴェルベットの言わんとすることを察し、青年は頷く。
「生まれつき、ね」
そう言いながら彼はハープを弾く。目で見えなくとも、その指は正確にハープを弾いている。
その音色を、いつまでも聞いていたい、とヴェルベットは思った。だが、ずっとここにいるわけにもいかない。
知らぬ間に時は過ぎ、日が暮れ始めた。そろそろ帰らなければならない。ヴェルベットはそう思い、青年に声をかけた。
「素晴らしいハープの腕前ね。素人でもわかるわ。また、聞きたいものね」
ヴェルベットがそう言うと、青年はにこやかに笑う。
「それはどうも、美しい人」
「目が見えないのに、お世辞?」
ヴェルベットが言うと、青年は首を振る。
「いえ、思ったままに言ったまでです。私は確かに目は見えませんが、それゆえに見えないものもあります」
そう言い、青年はハープを弾く指を止めて、ヴェルベットの方を向く。
「ふむ、もう日が沈んでいるようですね。空気の感じで分かります」
青年はそう言うと、立ち上がる。そして普通に歩きだした。ハープを背負い、杖をついて。
「機会があったら、また聞かせてくださる?」
ヴェルベットが問うと、青年は足を止めて言う。
「喜んで」
そう言うと青年は植物園を出て言った。ヴェルベットは不思議そうに青年を見続けていた。
そして、彼の名前を聞くのをヴェルベットは忘れていた、と少ししてから気づいたのだが、その頃には青年は夜の闇の中へと消え去った後であった。
帰ってきたヴェルベットの様子がどこか、違うことに気づいたエリスだったが、特に何も聞くつもりはなかった。機嫌が悪いわけでもないし、悪いことがあった、というわけではないようだ。
それをリースも感じているのか、エリスとともにヴェルベットを見るが、ヴェルベットはそれに気づいていない。
どこか上の空、といった感じである。これはいよいよ怪しい、と思ったエリスにヴェルベットが声をかける。
「エリス」
「はい?」
ヴェルベットは椅子に腰かけながらエリスに問う。
「この辺に・・・・・・・王都に盲目のハープ弾きなんている?」
「・・・・・・・・・・・思い当たる人はいませんが」
「そう」
そう言い、ヴェルベットは再び物思いにふける。
エリスは何かを感じた。それはかつて自分も一度だけ経験したものであった。
ヴェルベットがいくら年齢よりも大人びていて、復讐に身を燃やしていても、彼女はまだ十六。恋の一つや二つあってもおかしくはないのだ。
今はまだ、そこまでいっていないようだが、これは重要なことだ。
ヴェルベットにも、幸せになる権利はある。どこかそれを諦めているようなヴェルベットだが、エリスはそんなことにならないように彼女を支える決意さえしているのだ。
エリスの愛した人はもういない。理不尽に死んだからだ。それでも、彼を愛したことに後悔はなかった。
ヴェルベットはすべてを失った。ならば、新しい何かを手に入れればいい。
そうすれば、彼女も幸せになれる。
親友のことを思うエリスは密かにそんなことを考えると、ヴェルベットの部屋を出て館のほかの女性たちの下に行く。
まずは情報の収集である。そのあとで、計画を練っていく。
次の日、エリスから事情を聴いた館の女性たちはヴェルベットには内緒で動き回り、件の人物の調査に乗り出した。
ヴェルベットは相も変わらず、王都を奔走し、男たちの相手をするのだった。




