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貴族社会ではあるニュースが話題を占めていた。
普段ならスキャンダルや流行の話に染まる貴族たちの会話は一人の女性の話に集中していた。
ヴェストパーレ伯爵の娘として突如現れた少女、ヴェルベットのことであった。
前にキースとともに会場に来ていたことや、街にもそれらしき人物がいたこと、さらに娼館にいた、など様々な噂が錯綜し、この突如現れた紅い髪の少女は貴族の関心を瞬く間に奪った。
そんなヴェルベット・ヴェストパーレだが、普段はローズ姓を名乗り、館で過ごしている。館で生活する女性たちは皆、ヴェストパーレによる支援で路頭に迷うことはない。そればかりか、娼婦として生活していた彼女たちは新たな主であるヴェストパーレ伯の妹の提案した「新たな選択肢」を選んだ。
夜の仕事ではなく、真っ当な商売。それがヴェルベットの示した新たな選択であった。
ヴェルベットは彼女たちの流行へのセンスの良さなどを見込み、服や装飾などの店の展望を示した。
飽くまで試験的にやるもので、成功するかは不明だが、ヴェストパーレの名の下に生活の保障だけは確約した。
多くの女性たちはもともと好きでこの商売をしていたわけではない。それに、いきなり伯爵家の娘となったヴェルベットに驚きこそしたが、彼女の人となり、その手腕を知る者たちは彼女を信頼し、ついてきてくれた。
女性の地位向上をヴェルベットは掲げた。男性優位の社会である中、ヴェルベットの発言は社会でも大いに注目された。突如現れ、このような発言をする美少女を、社会は放ってはおかなかった。
キースは館に訪れていた。だが、ここはもはや娼館ではない。ヴェストパーレ庇護下の店なのだ。
キースは正面に座る若き傑物を見る。書類に目を通している彼女は、また、美しかった。
「まったく、とんだ人だな。いきなりこんな風にねえ」
キースが苦笑していうと、ヴェルベットは笑う。
「私も好きであんな真似をしていたわけではないの。これを機に一気に環境を変えようとね」
「それにしても、君がヴェストパーレとはね」
キースは感慨深げに言う。ヴェルベットはキースとシメオンが立場的にはライバルなのを思い出す。
「面白くない?」
「すこし」
そう言ってキースは含み笑いをした。ヴェルベットはそれを見ずに書類に目を剥ける。
「それで『VENGEANCE』は終わり?」
「いいえ、終わりはしないわ」
そう言い、ヴェルベットは書類から目を上げた。その目は、静かに燃えている。
復讐の目だ。
彼女の中の炎を見ると、キースは安心する。
「ならいい。あまり目立ちすぎないようにね。勘ぐる連中も出るかもしれないから」
そう言い、キースはヴェルベットの部屋を出る。
それを見ながらヴェルベットは思う。
いいや、目立った方がいいのだ、と。
もう、犯人を目立たずに探すのは不可能だと、ヴェルベットは思っていた。
彼女の復讐する相手は、ちっぽけな娼婦では見つけることは不可能。ならば。
こちらが顔を出せば、奴らが自然と私による。ヴェルベットはそう考えた。
そのための状況を作り出すために、ヴェストパーレと娼館の件を利用した。
勿論、ヴェルベットが男性優位の社会への不満を持っているのは事実であったし、この館を新たな女性の活躍の場にしようという熱意はあった。
だが、それも一面に過ぎない。真の目的は復讐なのだ。
ヴェルベットは静かに机に向かう。
恐らく、これで世間の目は私に集まっているだろう、と。
これで終わりにするつもりはない。もっと、注目を集める必要がある。奴らをおびき出す為には。
シメオンから次の夜会の招待状をもらっている。仮面舞踏会だそうだ。
仮面をしている中、奴らが接触する機会もあるかもしれない。貴族として復帰したのはそう言う夜会への参加も視野に入れてのことであった。
ここ最近、夢に見る両親や領民たちがヴェルベットに叫んでくるのだ。
「復讐を、復讐を!」
叫ぶ怨嗟は日に日に強くなる。彼女はその怨嗟を忘れはしない。あの日の悲劇を、忘れはしない。
夜な夜な出かけては、罪人への復讐を行うが、それでも胸の疼きが消えることはなかった。
彼女は血を求めていた。死した人々へ掲げる血を、血の贖いを。
ヴェルベットは机から一本のナイフを取り出す。丁寧に磨かれたそれは今まで一体何人の血を吸ってきただろう。そしてこの先、どのくらいの血を吸うのだろうか。
ヴェルベットはナイフをしまい、部屋を後にする。するべきことは多々ある。金も時間も有限である。
一刻も無駄にはできないのだ。
ヴェルベットは赤黒いコートを羽織り、街へと出て言った。
久々にあったキャシーはヴェルベットの顔を見た瞬間、飛びついてきた。
「ヴェル、あんた・・・・・・・・・」
キャシーをなだめるヴェルベットは、奥から出てきた店長を見ると、挨拶をした。
「こんにちは」
「これはこれは、ヴェルベット様、お久しぶりです。今日は何用で?」
「少し、商談を」
そう言ってヴェルベットはニコリと笑う。赤黒いコートを着て、ズボンをはき、髪を一本に束ねているため、美貌の青年にも見えるヴェルベットに、キャシーは少しどきりとした。それを気にせずにヴェルベットは店長に言う。
「実は、まだ私の事業は始まったばかりで、基盤が弱くて。なかなか、他店との契約も結べないのが現状です」
「ふむ、それでうちと?」
「はい。まだまだ未熟ですが」
そう言い、コートから説明のための書類を出そうとするヴェルベットに、待ったをかける店長。それを少し不安そうに見るキャシー。そしてヴェルベットに、店長は笑って答えた。
「いや、喜んで提携するよ。ヴェルベットさん。あなたの言う男性優位の社会、というのも我が国の悪い習慣だ。ぜひ、あなたの手でそれを変えてください。そのためなら、協力しますよ」
ほっとするキャシー。ヴェルベットは礼を言う。
「ありがとうございます」
「それより、疲れているのでは?少し、やつれて見えますよ。キャシーくん、コーヒーとお菓子を」
「はい」
そう言い、キャシーが奥に下がる。店長はヴェルベットに笑って言う。
「まだ商品としては出ないが、キャシー君の作ったお菓子をそのうちに、と考えていてね。よければ食べていってくれ」
「はい、喜んで」
そう言い、これならエリスを連れてくればよかった、とヴェルベットは思った。
ヴェルベットは店長を見て言った。
「一つ、持って帰らせていただいても?」
「おいしいです!」
夜、エリスはそう言い、キャシーの作った菓子を食べた。彼女はその童顔に笑みを浮かべていた。
はちみつ色の髪にお菓子のクズが憑き、ヴェルベットがそれを払う。
「それでお店の提携はどうなりました?」
「それなり、かな。まあ、最初はこんなものだろう」
ヴェルベットはそう言い、コーヒーを飲む。
「それより、何か動きはあったかしら?私が目立ち始めてから」
そう言うと、エリスの目が細められ、その雰囲気が少し変わる。
「ええ、どこか殺意を抱いた視線がこの館に時折・・・・・・・・・・」
「そう」
ヴェルベットは飄々と答えてコーヒーを飲む。恐らくは、殺したはずの自分が生きていることが知られたのだろう。
だが、それでいい。
「さあ、あぶりだしてやるわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
エリスは何も言わない。ヴェルベットの心中をすべて知っているわけではないが、彼女のその燃える瞳を見ると、その憎しみは十分すぎるほどに伝わってくる。
ヴェルベットは空に浮かぶ月を眺める。
ラースと男は自分たちが犯し、殺したはずの少女の存在に驚いていた。
「ヴェストパーレの娘だと?」
ラースが動揺していう。男も驚きを隠せない。
「まずいことになったな」
「あの女が俺らのことを放っておくだろうか?憲兵にでも言われたら・・・・・・」
「落ち着け、ラース」
男がラースに言う。
「脅せばいい。どうせ、あの女にそれほどの力はない。それに、ヴェストパーレとはいえ、俺やお前を敵に回せはしない」
「ああ、そうだな」
ラースは笑って男を見た。
「とりあえず、ラース。俺に任せておけ。あの女が絶対に口を割らないように脅す。必要なら殺してみせるよ、今度こそ、な」
男が嗤う。ラースも笑う。
「その前に、もう一度あの蜜を味わいたいなあ」
「へへ」
男二人は怪しく笑う。




