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夜、ヴェルベットはシメオンの言うとおり、ヴェストパーレの屋敷へと来ていた。
ヴェストパーレは王家の血も交じる名門である。現在は伯爵だが、かつては侯爵であったという。
数十年前の王国内部での改革によって貴族の再編がされ、伯爵位となったがその影響力はいまだ強い。
シメオンは同年代のウェルナー伯、つまりキースと並ぶ若手貴族として噂にもなるほどの男である。
が、一方で黒い噂も聞かれている。その一つとしてローゼリス領の話がある。が、これはあくまで彼の策略ではないことがヴェルベットにはわかっていた。彼がローゼリス領を手にしたのは、ヴェルベットの行方を捜すため。
だが、なぜヴェルベットを必要とするのかが、彼女にはわからない。ウェルナー伯はこのまま順調にいけば国の中枢にも関われるであろう位置にいる。キースと張り合えるだけの実力があるのだから。
権力争いで敗れるような男にも見えない。そんな男がなぜ必要とするのか。
仮説は色々とあるが、どれも的を得ない。シメオンが家族愛に溢れる男にも見えないからなおさらだ。
だが、これからあった時、仮説を言ってみよう、と彼女は思った。その反応で、たぶん、わかるであろう、と。
何はともあれ、ヴェルベットはヴェストパーレ邸に入る。
エリスをはじめとした仲間を救うためには、ヴェストパーレの支援は必要だ。そして、これから先復讐をしようにも、貴族の情報網は役に立つはずだ。キースの協力はあるが、キースは自分の真の復讐の相手を知らないし、知らせるつもりもない。これは飽くまで彼女とローゼリスの人々の復讐でしかないのだから。
中に入ったヴェルベットを、一人の人物が迎える。使用人は一切いなかった。この場にいないだけかもしれない。
「ようこそ、ヴェルベット様」
そう言い、壮年の男は頭を下げる。
「わたくしはホノフリース。先代からお仕えしております」
そう言い、ヴェルベットの手を取り、その顔を覗き込む。不思議と不快には思わずに、ヴェルベットも彼を見る。
「いやはや、見事な紅い髪ですな。ああ、先代を思い出します」
そう言い、ホノフリースは失敬、とつぶやく。
「それでは旦那様がお待ちです。こちらへ」
そう言い、先導するホノフリースにヴェルベットは黙って付き従う。
シメオンは机に座り、瞑想していた。
ヴェルベットがヴェストパーレに戻る。これは彼の中では大きな意味を持つ。いや、正確には彼ではなく、ヴェストパーレにとって、であるが。
そんな彼の耳にノックの音が聞こえた。忠実なホノフリースの声が聞こえた。彼は一言入れ、と告げる。
扉が開き、ヴェルベットが入ってくる。シメオンは目を開け、妹を見た。
「ようこそ」
「ええ、来て差し上げたわ、お兄様」
ヴェルベットに手前の椅子を差し、座るように促すと、ヴェルベットは真紅のドレスを揺らしながら歩き椅子に座る。
「それで、いい加減教えていただこうかしら、お兄様」
そう言い、ヴェルベットはシメオンを見る。
「何が目的なの?」
「何も」
シメオンはそう言い、深く腰を下ろす。その瞳を、ヴェルベットの瞳が覗きこむ。
「お前には何も望まぬ。ただ、ヴェストパーレの誇り、それを守りさえすれば」
「曖昧ね」
ヴェルベットはそう言い、腕と足を組む。挑発的に彼女は睨む。
「あなたにとって私は必要とは思えないけれど。政略結婚の道具?そんなわけもないか。そのためだけにわざわざ私を探すとも思えないしね」
「・・・・・・・・・・」
シメオンは黙り込む。
「あなた、前は奥さんがいたそうね。どこかの有力貴族の娘の。それが突然、去年別れた。原因は何かしら?」
ヴェルベットがそう言った瞬間、シメオンの拳が微かに力が入ったのを、彼女は見逃さなかった。
「・・・・・・・話は終わりか?なら」
「いいえ、まだよ」
ヴェルベットはそう言い、シメオンを見る。
「あなた、何軒か医者の下にもいっているわね。医者たちは何も言わなかったわ。あなたが口止めしているから。でも、何の用だったかは想像がつくわ」
「・・・・・・・・!!」
シメオンは驚愕の目で妹を見る。半分しか血のつながらない、娼婦の娘。にもかかわらず、彼女はシメオンの心を覗き込むかのように、その心に入り込んできている。そのことに、衝撃を覚えるとともに、彼女こそ、このヴェストパーレに必要な人材だと、確信する。
「もういい、下がれ。ホノフリースに屋敷の案内を・・・・・・・・・」
「あなたにはある問題がある。それも、貴族としては致命的な・・・・・・・」
「黙れ」
シメオンが低く言うが、ヴェルベットはその口を動かすことを止めはしない。
ヴェルベットは真剣なまなざしで、シメオンを見ていた。
「離婚の理由も、私を必要とする理由もこれで説明がつく」
「言うな、黙れ!」
シメオンの絶叫。だが、ヴェルベットはやめはしない。
彼女は冷酷な目で彼を見て言った。
「あなたには子供を作る能力がない」
「・・・・・・・・・・・・・!!!」
シメオンは声すら出ずに、ヴェルベットを見る。その反応から彼女はこの予想が当たっていることを知った。
「結婚したのは数年前。互いに政略とはいえ、まんざらではなかったらしいわね。両者、仲睦まじかった、と噂で聞いたわ」
そしてヴェルベットは言葉をとぎると、さらに続ける。
「しかし、そんな二人にはいつまでたっても子供はできない。二人は不安になった。愛する子供ができない。そして、ヴェストパーレの次代が生まれないことは大きな問題であった」
ヴェルベットは組んでいた足を解く。
「医者の下に行ったあなたは、恐らくこう言われた。『あなたには、ヴェストパーレの血筋を残すことはできない』と。
女性の側には問題はなかったんでしょうね。別れた後、彼女は別の男と結婚し、妊娠までしたのだから。
二人の間の愛は急速に崩れ去った。彼女はあなたの下を去り、そしてあなたはヴェストパーレの血が自分の代で途切れることを恐れた」
そう言い、ヴェルベットはシメオンを見る。シメオンは項垂れていた。紅い髪の中にちらほらと、白い髪が混じっているのを、彼女は見た。
「誇り高いヴェストパーレの血。かつては王族とも結婚した家が養子をとるわけにもいかない。まして、ヴェストパーレの血筋には特徴的な紅い髪が先天的に表れる。そんな人物、そうそういない」
赤髪は珍しくないが、ヴェルベットやシメオンのように、紅い髪はそうはいない。深紅の薔薇のような、この髪の毛の色は。
名の知れた大貴族ならば、一目でわかる。
長い歴史あるヴェストパーレ。それが自身の代で途絶えるなどと、シメオンには考えられなかった。
自分への失望もあったが、何よりも家の存続。それがシメオンの頭の中にあった。
そこで彼は思い出したのだ。亡き母が言っていた、腹違いの妹の話を。
「あなたはかけた。私の存在に。ローゼリス領襲撃とともに私も死んだと思われてもなお、あなたは私を探し続けた。家のために、ヴェストパーレ存続のために」
「・・・・・・・・・・・」
シメオンは何も言わない。沈黙は肯定であった。やがて、ゆっくりと口を開くといった。
「そうだ、その通りだ、妹よ。満足か?」
「ええ」
そう言い、ヴェルベットは兄を見る。どこか、憐れみを含んだ眼で。
「そんな目で見るな」
「悲しい人」
そう言い、ヴェルベットは彼を見る。
「血に縛られた悲しい人よ、あなたは。でも、あなたのその誇りは理解できる」
そう言い、ヴェルベットは立ち上がる。そして、シメオンの後ろに立ち、彼の首に手を回す。
「いいわ。協力してあげるわ、あなたに」
そう言い、ヴェルベットはシメオンの耳元に口を寄せる。
「あなたの思惑に乗って、ヴェストパーレの一族に加わりましょう」
ヴェルベットはそう言い、悪戯をするかのように笑う。
「いつか私の子どもが生まれたら、その時はヴェストパーレに捧げてあげるわ」
復讐の女神はその耳元で囁く、甘言を。
「その代わり、あなたは私の復讐のために協力してもらう」
女神はほほ笑んだ。シメオンは妹のその姿を、美しいと思いつつも、恐ろしくもあった。
この女が妹でなければ、シメオンは近づけないであろう。この女は魔性の女である、とシメオンは悟っていた。
人の触れてはならぬ、悪魔のような存在ではないか、と。
「これからよろしくね、お兄様」
そう言い、無邪気に笑う少女。深紅のドレスは、血のように真っ赤であった。
果たして利用されているのは、どちらであろうか?




