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深夜の娼館。
ヴェルベットはハボックの寝室にいた。寝室に倒れ込むハボックの服をはだけさせ、その胸に手を当てる。不安そうにほかの娼婦たちがそれを見ていた。
ヴェルベットはその後、ハボックの目を見て言った。
「感染症ですね。それも、結構重いものです」
そう言ったヴェルベットの声に、ハボックは苦痛を抑えながら聞く。
「・・・・・・・・・助かる、か・・・・・・・・?」
ヴェルベットにハボックは問う。ヴェルベットは断言はしなかった。
「王都でも症例の少ないものですから・・・・・・・・それに治療法はまだ完全には確立されていませんし」
そう言い、ヴェルベットは何かの薬を取り出し、それをハボックの口に垂らす。
「ひとまずは、これで。正式な医者を、明日の朝呼びましょう」
そう言い、ヴェルベットは後ろにいた新人の少女たちにハボックの世話を頼む。何かあったら至急呼ぶように、と言い置きをして彼女は自身の部屋へと向かう。
「あの人、大丈夫なんですか?」
そんなヴェルベットにエリスが声をかける。
「さあね」
「あの人にいい感情は持ってませんが、私たちがこうやって汚れ役ながらも生きていけるのはあの人のおかげですからね。さすがに、死なれては困ります」
「・・・・・・・・・・・・・・」
エリスははっきりという。
ハボックは確かに善人ではない。だが、悪人というほどの人物でもない。多少違法なことはしているが、殺人や人身売買などには手を出していない。借金の方で預けられる子女は飽くまで奴隷ではない、という扱いだ。
それに、この商人は俗物だが商売はうまい。今の娼館があるのも彼の手腕あってのこと。
仮に彼が死ぬと、ここにいる多くの女たちは路頭に迷ってしまう。貴族の寵愛を受けているものもいるが、そんな者たちもよくて愛人だろう。都合が悪くなったらすぐに捨てられる、後ろ盾のない者たちばかりである。
どうにかしなければならない。
「エリス、医者の手配はよろしくね」
「はい、ヴェルベットさん」
エリスは素直に頷く。ヴェルベットはハボックの部屋を振り返る。
「さて、どうしたものかしらね」
キースの支援を受けるのも手の一つか、と思ったが、これ以上彼に借りは作りたくない。ヴェルベットの中で彼は王族である、という方程式ができている。王族が孤児院ならまだしも、娼館などに支援をするだろうか?するわけはない。
何はともあれ、医者が来てからだ。ヴェルベットの診療は飽くまで簡単なもので、知識を少しかじった程度のもの。本業の下す判断とは違う。
対応はそれからでいい。
翌朝。街医者はエリスに連れられて娼館に来ていた。
起き上がれない主を医者が診る。ヴェルベットとエリスがそばに付き添う。
「で、どうなんだ」
ハボックが窮屈そうに呻くと、医者は目を細める。
「何とも言えませんな。状況はあまりよくはないですな・・・・・・・ここ数日で、感染症に感染するようなことは?」
「・・・・・・・・・」
ハボックは黙る。
「あるんで?」
「・・・・・・・愛人と、な」
「その愛人の方は?」
「知らん。連絡が取れんのだ」
ハボックがうつむいて言う。医者があごひげを撫でる。
「すでに死亡している可能性がある、か。これは危ないですな。医院に移します。そこで治療を」
「・・・・・・・・・・わかった」
ハボックは力なく言った。
「後のことは、任せた」
「はい」
ハボックは医者の呼びつけた、揺れの少ない特別性の馬車の中に運び込まれる前に、ヴェルベットに言った。
古参の娼婦は客の接待はできても、経営まではできない。ハボックはそれを知っている。
だが、ヴェルベットが優れた経営眼を持つことを彼は知っていた。時折話題に出すとき、彼女の目の動きが他とは違うことをハボックは見ていた。そして聞き出してみると、その方面にも詳しかった。
女にしておくのが惜しい、と思った。
ハボックはある種の信頼をヴェルベットに寄せていた。今まではハボックの手腕のみでやってきた。いきなりこのような事態になったが、彼女ならどうにかできるだろう、そう考えていた。
この女は自分をよく思っていないのはわかるが、女たちを路頭に迷わせることはしないはずだ、と確信が持てた。
冷たい目をした美女だが、同性に対しては冷酷になれない。それが、ハボックから見たヴェルベット・ローズという女の本質であった。
一方、店の方を任されてしまったヴェルベットは奔走する羽目になった。本業や復讐など、二の次であった。
いくらハボックからのレクチャーはあったとはいえ、所詮は素人。ヴェルベットと言えど、万能ではない。
先輩の娼婦たちもヴェルベットを気遣ったが、結局のところ、自分たちは何もできないことを知っていた。彼女らもヴェルベットに任せるほかないのであった。
「つかれたわ」
食堂にてぐったりするヴェルベットの肩をエリスが揉み、先輩の女たちが彼女の下に食事を運んでくる。
「お疲れ様」
「ありがとう」
それを受け取り口にするヴェルベット。疲れていても、その姿勢は崩れず、美しかった。
とはいえ、ハボックが戻るのは何時になるか不明なため、ヴェルベットの施した一時しのぎもいつまでもつかわからない。
ヴェルベットはその不安を口にしなかったが、娼館の者たちは皆、その不安を察していた。
「・・・・・・・・どうするかしら」
ヴェルベットは誰に問うわけでもなく呟いた。
翌日も休みなく、連絡や計算に追われるヴェルベットの下に来客があった。
その客の名を告げる守衛にヴェルベットは追い返すように言う。度々くる彼の存在に、ヴェルベットは辟易していた。
何もこんな状況の時、来なくとも、と思いイライラする彼女だったが、そんな彼女のいる部屋に、男が乗り込んできた。
その男は守衛を睨む。守衛は慌てて部屋を出る。
男はそれを見届けると、ヴェルベットの座る机の前のソファーに腰を下ろし脚を組む。
さも当然のように入り込み、座った男を忌々しく見て、ヴェルベットは言った。温度を感じさせない声で。
「何のご用でしょうか、‘お兄様’」
そう言い、眼前の人物を睨む。
眼前の青年は美しい紅い髪をしていた。ヴェルベットのそれと全く同質の色を湛えている。
若きヴェストパーレ伯シメオンはヴェルベットを見る。
「色々と大変なようだな」
「・・・・・・・・・・」
「もう、こんな生活はやめてヴェストパーレに来い、ヴェルベット。お前がいるべき場所はここではない」
「・・・・・・・・・・」
沈黙するヴェルベット。その目は何の感情も浮かべていない。シメオンはしかし、それも慣れたように肩を竦める。
「・・・・・・・なぜ、そうまでかたくなに拒む?復讐のためか?」
「・・・・・・・・・・」
「妹よ。どうしても、ヴェストパーレには戻らぬ気か?」
「はい」
そう答えてまた沈黙するヴェルベットに、シメオンはため息をついた。
「ならこうしよう」
そう言い、シメオンが袋を取り出す。ずっしりとした袋を、ヴェルベットの机に置いた。
「金が必要だろう、ヴェルベット」
「ええ」
「この娼館の支援を確約してやろう。お前がヴェストパーレに来ることを条件にな」
「お断りします」
「できるかな?」
シメオンはニヤリと笑う。ヴェルベットは唇をかむ。
支援は願ってもないものだ。相手がシメオン・ヴェストパーレでなければ、の話だが。
「さあ、どうする?」
ヴェルベットを見てシメオンは笑う。
彼女は考える。なぜこうまでして彼は自分にこだわるのか。妹だから、ではない。彼にそんな人間的な感情があるとは思えない。ならば、なぜか。
ヴェルベットはシメオンを見る。鋭い目で。
「わかりました。ヴェストパーレに行きましょう」
そう言うと、シメオンはニヤリと笑う。だが、ヴェルベットはさらに言葉を続ける。
「ただし、私はヴェストパーレ家のものとして個々の経営に携わることを条件に」
「・・・・・・・・・・・」
シメオンは沈黙し考える。
「いいだろう、好きにしろ。お前がヴェストパーレに来るならば、勝手にするがいい」
そう言い、シメオンは立ち上がり、ヴェルベットに背を向け言う。
「今日の夜、ヴェストパーレ邸に来い。待っているぞ」
そう言い、シメオンは去っていく。
「どうするんですか、ヴェルベットさん」
部屋のどこからかエリスが現れる。ヴェルベットはエリスの出てきた方向を見る。この部屋にある隠し部屋の扉が開いていた。盗み聞きしていた、というわけだ。
「どうもしないわ。利用できるものなら利用する。それだけよ」
「あっちは、ヴェルベットさんを利用しようとしてますよ?」
「それもわかっている」
紅い髪の少女は妖艶な笑みを浮かべて言う。
「わかっているわ」




