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九年目にしてようやく私は王都に帰ってきた。
ローゼリスに行こうかとも思ったが、やめた。また甘えるのも嫌だったし、何より、人を殺した私はヴェルと会うことはできない。
私は王都のとある娼館で働いていた。その娼館の主の目に留まり、私はそこに住み込みで働いていた。
まだ新人で、目立たない私にはそれほど仕事はなく、あっても雑用ばかりであった。
同年代のキャシーという青髪の少女と数人と知り合った。皆、奴隷だったり、借金の方だったりといろいろな事情を抱えていた。
彼女たちも、私と同じような苦しみの中にいたのだろう。苦しみを比べることはできないが、その気持ちはよくわかった。
だが、私は彼女たちとそれほど馴れ合うことなく、一線を引いた。同い年の相手にも敬語を使い、地味な格好をした。そして、目立たずに、陰ひなたに生きていた。
私はかつて家のあった場所に行った。当時のまま、私の家はあった。怪しまれぬよう、周りに警戒しながら、その家の窓からちらりと中を伺う。中では、大きくなったアルマが家族と笑顔で会話をしていた。
変わらぬ家族。本来ならそこにいたはずの自分は、いない。
私はここよ!そう叫びたかったが、それはしなかった。
アルマと同じ色だったはずの黄金色の髪はくすみ、薄いはちみつ色の髪へとなっていた。それに、私には不幸が付きまとっている。妹の幸せを、崩しかねない。
私は見守るだけ、決してその中に入ることはない。私は涙をのみ込み、決意した。
そう、それが、一番いいのだ。
聞いた話によると、両親は必死で私を探したという。その話を聞けただけで私は満足だった。
一か月に一度、娘の墓でその冥福を父母は祈っているらしい。私はその姿を一度、見た。
涙する両親を見ると、いたたまれなかった。だが、出るわけにはいかなかった。
私は影に生きる人間なのだから。
そうして、王都での生活は過ぎていった。
私にも、娼婦として一定の客はいたため、館を追い出されず、生きることができた。
男に抱かれることは、苦痛だったが、耐えた。私のような人間が生き残るには、これしか道はないからだ。
一線を引く私をほかの皆はあまり気に駆けなかったが、キャシーだけは私を気遣ってくれた。その姿に、いつかのヴェルを思い出し、邪険にもできなかった。
そうして十六歳となり、数か月たった時、館に新たな仲間が訪れた。
私は驚いた。やってきた彼女の顔を、髪を見て。
紅い髪。そして、どこか自信に満ち、影のある美しき少女。彼女は娼館の仲間たちの前で、静かに自身の名を言った。
「ヴェルベット・ローズです」
私は咄嗟に目線を下げた。ヴェルだ、あのヴェルが、なぜここに?
疑問はあった。そしてそれ以上に、私がいることを見られたくなかった。ヴェルが憶えているかどうかはわからないが。
ヴェルは稼ぎ頭の一人、モイラの案内の下、自室へと案内される。彼女が私の前を通る。彼女は、私に気づかなかった。だが、ふと、こちらを振り返った。ぎくりとする私だったが、彼女はまたすぐにモイラの後をついて、去っていった。
私はしばらくの間呆然として、キャシーに声をかけられるまでその場に佇んでいた。
私がヴェルベットとちゃんとした顔合わせをしたのはそれからしばらくしてから。
キャシーと会話していた彼女が、私の前を通りかかった時だ。
キャシーは私を見ると、私を手招きしヴェルベットに言う。
「この子はエリス。私らと同い年」
「はじめまして、エリスさん」
そう言い、優雅にヴェルはお辞儀した。
憶えていないのか、そのふりをしているのか。それはわからなかった。私は怪しまれぬように言った。
「エリスです。よろしくお願いします、ヴェルベットさん」
そう言うと、ヴェルベットは私のはちみつ色の髪を触り、ニコリと笑う。
「エリス。いい名前ね。エリスの花にちなんだ名前?」
「はい、強く生きろ、という意味だそうです」
私が言うと、ヴェルは笑った。あの頃のように。
「そう、私もエリスの花は好きよ。これからよろしくね」
そう言ってヴェルは去っていく。
たとえ、彼女が私を忘れていても、ヴェルはヴェルなのだ。私は思った。
ヴェルとはまた、友達になればいい。それだけのことだ、と。
しかし、私はローゼリス領がどうしたのかが、気になった。彼女がなぜ、ここにいるのか。
私の簡単な調査によると、ローゼリス領の人々は皆死んだらしい。賊に襲われ、一夜にして。今ではヴェストパーレ伯の領地として再生が図られているらしい。
私はヴェルが生き残ったのだと悟った。
その日から私はヴェルをひっそりとみていた。彼女の様子はどこか変だった。
何が変とは言えなかったが、何かが違うのだ。あの頃の彼女とは違うのは当たり前だ。
強いて言うなら、その身にまとう雰囲気が、常人とは違う。
一度私は殺意を覚え、殺人をした。その時のような「死の匂い」がした気がしたのだ。
その夜、ヴェルベットはどこかに出かけた。私はついて行くことはできなかった。
その翌日、ある一人の男の惨殺体と『VENGEANCE』の噂が駆け巡った時、私は確信した。
彼女の中に潜む、復讐の死神の姿を。
キャシーの恩師が死んだ翌日。
街の片隅に咲く、エリスの花を見た。小さくとも必死で咲く花を見て、私は誓った。
かつて、私に至福を与えてくれたヴェル。彼女の手目の力と私はなろう、と。
彼女の行う『復讐』は、間違っているかもしれない。だが、その復讐にはある種の正当性がある。
これが無差別な殺人なら、私も止めた。だが、そうではない。彼女は犯罪を憎み、撲滅しようとしているのだ。ならば。
私は手を握った。私も犯罪の被害者だ。私のような存在をこれ以上出すわけにもいかない。
キャシーのような、悲しみにくれる人を、もう増やしてはならないのだ。
だから。
「私にできることは少ないかもしれないですけど、何か手伝えること、ありませんか?」
そういってヴェルベットの手を強く握りしめた。初めて会ったあの時のように強く。
長い沈黙の後、ヴェルは頷き、呆れたように笑った。
キャシーの復讐が終わり、キャシーは館を去った。彼女は新しい人生を生きる。
私たちはそれを見送る。キャシーのことを、私は友人だと言思っている。一線を引いていたのに、ずかずか入り込んできた青髪の少女。彼女を見ていたら、自然と涙が毀れていたのだ。
私、まだ泣けるんだ。
そして、私はヴェルを見た。
寂しげに笑う彼女に、私は問う。
「ヴェルベットさん」
「なにかしら」
「誰にでも幸福になる権利はあるって言いましたよね、それはエリスにも、ですか」
「ええ」
ヴェルベットは迷いなく言った。私は彼女を見る。
「では、ヴェルベットさんは?」
「・・・・・・・・・・」
「ヴェルベットさんの幸福は、どこにあるんですか?」
「私の幸福は」
ヴェルベットは私を見て、寂しげに笑った。あの頃の、薔薇のように笑うヴェルは、そこにいない。
「復讐と、それによって救われる人々の幸福よ」
そう言って彼女は館の中へと入っていく。強く気高く、美しき紅いヴェルベットローズのように。だが、彼女のそのありようは哀しすぎる。
「そんなの、あまりにも悲しすぎますよ」
だから。
せめて、私だけは本当のあなたを見続けよう。そして、いつまでもあなたのことを思い、見守ろう。
たとえ、この世のすべてが敵に回ったとしても、私だけはあなたの味方でいよう。
あなたがヴェルベットローズのように、気高く生きるなら。
私はエリスの花のように、強く、どんな場所でも生きていこう。
そして、私は何時までもあなたを思い続ける。
私の最初で、最高の友達であるあなたを。
ずっと、ずっと。




