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暗い闇の底にいた。周りには見知らぬ大人たちと、自分と同じくらいの少女たち。。
織の中の少女たちを、男たちが目を光らせて見ていた。私はその目の中に宿る「それ」を知らなかった。
無理もない。まだ六歳で、何の不自由もなく過ごしてきた当時の私には、世界は明るく、苦しみなどないものと思っていたのだから。
そして、すぐにその「世界」が砕け散ることを、当時の私は知る由もなかった。
十年前。
私は両親と妹とともに祭を見ていた。何の祭かは、知らなかったし、思い出せないが私はうれしくてたまらず、走り出した。後ろで妹も私の後を追おうとして転び、両親が笑いながら妹をあやしていた。
私そっくりの茶色の髪の妹は泣いていた。しかし、私はすぐにけろりとして追ってくるだろうと、人ごみの中へと走る。後ろから両親の声が聞こえたが、私はもう六歳で、周辺の地理はよく知っていた。迷うことなんてない。そう思っていた。
両親とともに出歩いた王都は、光の部分でしかないことを、私は知らない。人の悪意を、私は知りもしない。
両親から離れ、祭りを見ていた私の意識は突如、失われた。大きな数人の男たちの姿が、微かに今でも記憶にあるくらいだ。
そして、それが地獄の始まりであった。
目を覚ました時、私は揺られる檻の中にいた。近くには私と同じような目に合っている女性たち。子供から大人までいる。
私は何が起きたかは知らなかったが、これが恐ろしいことであることは察した。
パニックを起こした私は泣き叫ぶ。助けて、お父さん、お母さん、と。
周りにいた女性たちが私をなだめるが、私はそれを聞かない。ただただ悲鳴を上げる。六歳の少女に理解させることは、難しい。
そのうち、大男が来て私の檻の鍵を外し、私を引きずり出す。そして私を打つ。私は一瞬悲鳴を止め、再び泣き出す。男は私の首元をもって私に言った。
「黙らねえと、パパんとこに返さねえぞ?」
そう言って光るものが、男の手の中に見えた。私は黙る。再び家族と会うために。そして、生きるために。
どれほどの時が経ったか。
いつの間にか私は揺れることのない檻の中にいた。周囲には同じ檻。
時々出る食料は水と数キレのパンくずのみ。少ない食事に倒れる人も多く、そんな人たちは男たちに連れ出されて二度と戻ってこなかった。
「商品」にならない人は、男たちが楽しんだ後、捨てるというのがほかの人の囁くことからわかった。獣の餌になるのだ。
私はその頃には、純粋無垢な六歳の子供ではなく、必死に生き残らんとする獣であった。
家族の顔を思い浮かべて、私は耐えた。いつか、この地獄から解放される時まで。
一人、一人と買われて去っていく。私もいつかはそうなるだろう。
その時まで生きてみせる。生きてさえいれば、そう思いながら、暗闇の中に私はその身を横たえた。
冷たい床に、震えながら自身の身体を抱きしめる。夜の寒さが辛い。
それでも、死ぬわけにはいかない。
檻から解放されたのは、おそらく私が七歳になったくらいの時。
私はある貴族層の男の「趣味」のために数人の少女とともに売り払われた。労働のために奴隷にされる男と違い、女の奴隷を買う目的など、限られている。男たちの欲望を満たす。そのためだ。
奴隷は人にあらず、家畜なり。よって何をしようと自由。これはある時代の神父が唱えた言葉だという。
私を買った男もこの言葉を言ったものだ。その顔に身の毛もよだつ獣の笑いを浮かべて。
私は真っ先に男に食われた。
成長しきっていない体を、男は欲望のまま貪り喰らった。
何度も、何度も、何度も。
地獄のような夜は、終わりはしなかった。
百の夜を、男と過ごした。苦痛に満ちた日々。
与えられる「餌」を私は食べる。家畜のように扱われながらも、私は生き続ける。この過酷な運命に抗い続けるのだ。
馬小屋で寝ることが多かった。男との行為の前には身を綺麗にされたが、それ以外はこの汚い小屋にいた。首輪をされ、鎖でつないで自由を奪った。
そこの壁に、傷をつける。こうして傷をつけて日にちを数える。いつか、救われるその日まで。
思い出すのは、家族の顔。まだ、その顔をはっきりと思いだせることに私は安堵した。
涙は流れない。もはや、枯れ果ててしまったかのように。
私以外の子たちは皆、死んだ。絶望の果て自殺した子、逃げようとして殺された子、男たちの暴行の末死んだ子。
だけど、私は生き続ける。汚泥を啜り、貴族や男にこびへつらいながら。
誇りはないし、何もない。絶望があった。だが、絶望があるからこそ、希望がある。
いつかは、ここから。いつかは、いつかは・・・・・・・・・・。
ないに等しい希望に、私は縋りつく。縋り続ける以外、私は知らなかった。
十二歳となった。体は成長し、子供も産める体になった。男はどうやら私に飽きて来たらしい。どうやら、私の外見が男の好みから離れたようだ。
わずかにだが膨らみ始めた胸、身体は女らしくなっていく。俗にいう幼女趣味の男は、私をそろそろ捨てるのだろう、そんな気がしていた。
死ぬ気はない。まだ、私は生きている、そして生き続ける。家族に会う、その時まで、死ぬわけにはいかない。
私は貴族の二人いる息子の一人に話しかけた。二男のクロウドである。彼は父や兄と違い、優しい青年であった。
私が無事、成長できたのも、彼の差し入れる食料があってこそだった。私より四歳年上で成人した彼は、時折、馬小屋でともに寝そべり、私と語り合った。家族と違い、理想に燃え、正義を信じ、ひたむきな姿。その姿は、私を励まし、希望を与えてくれた。
彼は優しすぎる人だった。そのせいで父や兄からなじられていた。それでも、彼は青臭い正義感を決して失くさず、私を支えてくれた。
「父は、君を処分するつもりだ」
クロウドはある日、私に言った。私も、そろそろやばいと感じ始めていた。
「でも、私にはどうすることもできないわ」
私が言うと、クロウドは笑う。寂しげに、悲しげに。
「そうだね、このままでは。だから」
そう言って彼は私を戒める鎖を外す。
「君を、この家から解放するよ」
「・・・・・・・・!」
クロウドはそして、私を抱きしめる。
「一緒に、ここから出よう。ここは、君のいる場所でも、俺のいる場所でもない。二人でどこか遠い、平穏な土地に行こう」
クロウドは言って、私を見つめる。熱っぽい瞳。その瞳に、胸の動悸は止まらない。
気づいていた。彼の気持ちも、自分の思いも。辛い日々を生き延びれたのも、家族の思い出と、彼があったからだ。
私は彼の言葉を待つ。私の心は六歳のあの頃に戻る。よく聞かされた、ありふれた物語。白馬の王子様と、姫様の物語。
まさに、彼は白馬の王子様だったのだ。
「君が好きだ、エルマ。僕と、一緒に生きてくれないか?」
クロウドは静かに、だが情熱を込めた眼差しで私を射抜く。私の応えはすでに、決まっていたようなものだった。
「はい」
短い答え。あまりの思いに、そう答えるしかなかった私を、彼は抱きしめ、唇を重ねる。
汚れた私を受け入れる彼とともに、その夜、私は6年もの間、地獄を味わった屋敷から去っていった。
彼に手を魅かれ走る先には、明るい日の出が見えた。
これほど、綺麗に思ったことは後にも先にもそれきりだったろう。
希望にあふれていた。これで地獄は終わった。クロウドとともに生きる。そして、いつか家族の元に戻るんだ。
もう、私に待つのは苦しみではなく、幸せだけなんだ。
そう思ってやまない私とクロウドは、逃げる。彼の父親の追手が来ない、自由な地に向かって。
エルマ・ミーガンは、その先にある未来を、未だ知らずにいた。
地獄は、終わりなどしない、ということを。
死神の嘲笑が、走る彼らの後ろで木霊した。




