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アルマは王都の共同墓地の中にいた。草原の中に佇む石碑。そのうちの一つ、ミーガン家の墓の前に彼女はいた。墓石はきれいに磨かれており、汚れは見えない。アルマは三週間毎日ここに来ていたが、特別掃除をしていたわけではない。なら、誰がしてくれていたのだろうか?
この墓の前で自分以外の人を、彼女は見たことがなかった。
しゃがみ込み、アルマは墓前を見る。
「終わったよ」
両親に告げるアルマ。犯人は捕まり、その背後にあった犯罪も撲滅された。犠牲者となった両親の無念は恐らく晴らされただろう。アルマは亡き両親を思い浮かべて、涙を浮かべる。
雨が降り出す。晴れ晴れとしていた空は灰色の雲に包まれていた。雨は、哀しみを流し落とすようにアルマに降り注ぐ。
そんなアルマに傘を差し出す者がいた。アルマはその人物を仰ぎ見る。
「ヴェルベットさん」
「アルマさん、ここは濡れるわ」
「・・・・・・・はい」
アルマはヴェルベットのさす傘の中に入る。ヴェルベットはアルマとともにゆっくり歩き、共同墓地を出る。
「これで、全部終わったんですよね」
両親の思い出も死もこれで終わったのだ。アルマが問うと、ヴェルベットは首を振る。
「終わりなんてないわ」
「え?」
アルマが驚きヴェルベットを見る。美しい紅い髪を珍しく束ねていたヴェルベットは微笑する。
「あなたとご両親の思い出はあなたが生き続ける限り、消えはしない」
「・・・・・・・・・・」
「死んでもあなたの中で彼らは生き続ける。それを忘れずに、自分の正義に従って生きていきなさい、アルマさん」
「ヴェルベットさん」
「シャッハから聞いたわ。兵学校に進むそうね」
「はい」
現在の学校を退学し、本格的にアルマは憲兵となることを目指していた。憲兵になるためには、通常の兵士養成訓練の後の、資格試験が必要だ。それは数年間にわたる長い道のりだ。決して容易なものではない。
ついでに、この王都から少し離れた場所に学校はある。田舎といってもいいだろう。訓練などの関係で、王都からは離れているそうだ。
今日、墓に来たのはそのための別れを両親に告げに来たからだ。
「安心したわ。あなたが夢を諦めないでいてくれたことに」
「いえ、これもヴェルベットさんのおかげです」
アルマが言うと、ヴェルベットは苦笑した。雨の音が微かに弱まる。灰色の雲間からうっすらと陽の光が漏れだした。
「私はきっかけに過ぎない。立ち直ったのはあなたの力よ、アルマさん」
雨は急に止んだ。ヴェルベットは傘をたたむと、それを手に持つ。
「ということはここからいなくなるのね」
「はい、数年ほどは」
「そう」
ヴェルベットはそう言ってアルマを見る。
「自分の夢、諦めずに追い続けなさい。あなた自身の正義のためにね」
「はい、ヴェルベットさん」
そう言って背を向けるヴェルベットにアルマは声をかける。
「あの」
「何かしら?」
「あなたの復讐は、いつ終わるんですか?」
アルマが問う。自分の中の、復讐は終わった。だが、紅い髪のこの人の復讐はいつ終わるのか。
終わりの見えない復讐。それはとてつもなく悲しいことだ。
「さあね。あなたが憲兵になっても、私は復讐を辞めていないかもね。その時は、あなたが私を捕まえなさい」
ヴェルベットは妖艶に笑い言った。アルマは苦笑する。
「ヴェルベットさんにはかなわないと思うけどなあ」
アルマは言う。ヴェルベットは身体的には自分と同じか、やや劣るくらいであろう。だが、その執念が彼女を『VENGEANCE』たらしめる。その時、彼女はヴェルベットという女性ではなく、美しく決して妥協を許さぬ、復讐者となる。
その曲がりなき信念の前には、いかなる正義も悪も、概念すらも捻じ曲げ、破壊する。アルマの中では、そう認識されていた。そしてそれは間違いないであろうと、確信さえしているのであった。
「ふふ、また会える日を楽しみにしているわ、アルマさん」
「はい。あ、あと・・・・・・・・・」
アルマは最後にヴェルベットに聞くことを思い出す。
「私の両親のお墓、いつ来てもきれいなままなんです。誰かが掃除しているんだと思うんですけど、知っていますか?」
アルマの問いに、ヴェルベットは少し考える。そして、美しく微笑んでいった。
「わからないわ。でも、それはあなたのご両親が素晴らしい人たちだった、ということね。そう言う風に死んだ後も尊敬される人間を両親にもてたことを、感謝しなさい。それではね、アルマさん」
そして、紅い少女は優雅に去っていった。決して手折られることのない、誇り高い薔薇のように。
何時の日か、彼女のように自分もなれるだろうか。アルマは思った。
そして、その時、彼女の正義と自分の正義は対立するのではないか、と。
答えは出ることはない。だが、少女は焦らない。彼女の未来は始まったばかりなのだ。
時間をかけて見つければいい。時間はまだある。
今はただ、自分を救った復讐者の背を見るだけでいい。
アルマはその背が消えるまで、ずっと、彼女を見続けていた。
「エリス、帰ったわ」
「お帰りなさい、ヴェルベットさん」
館の中のエリスの部屋の扉をノックして入ったヴェルベットを、エリスが迎える。
「アルマ、どうでした?」
「立ち直ったようだったわ」
ヴェルベットが言うと、エリスは安堵のため息をついた。
「そうですか」
「それで、エリス。彼女に言わなくてもいいの、自分のこと」
ヴェルベットが言うと、エリスは寂しげに笑った。
「いいんですよ」
ヴェルベットがアルマを助けたのは偶然ではない。アルマのことを彼女に話したのはエリスだった。
彼女の両親の死。そのことの調査を始めたのは、エリスの言葉があったからなのだ。
エリスの真意を、ヴェルベットは問わなかった。だが、ミーガン夫妻のことを調べているうちに、ヴェルベットは知った。夫妻にはもう一人、二歳上の娘がいた、ということを。
娘はアルマが四歳ほどのころに、人さらいに攫われてしまった、という。両親は必死に彼女を探したが見つからなかった。当時のことを知る、ミーガン氏の友人はそう言っていた。
娘は当時六歳。十年前の話である。エリスが持ちかけてきた話、そしてアルマとエリスの顔。
エリスとアルマの顔は似ていた。雰囲気は違うが、顔形などはどことなく似ていた。
彼女が、行方知れずとなったミーガン夫妻の長女なのだ、とヴェルベットは確信した。
アルマの言った、毎日墓を掃除する人物。それがエリスであると、ヴェルベットは理解していた。だが、それを言わなかったのは、エリスがそれを望まないであろうから。
友人の意思を、ヴェルベットは尊重した。
「私はアルマの姉のエルマ・ミーガンではなく、エリス。それに、娼館の姉なんて、アルマに言えるわけないでしょう?」
ヴェルベットが一度、アルマを連れてきたのは、エリスにとって驚きであった。彼女に、自分のことを知られるわけにはいかなかった。
「だから、いいんです」
童顔の少女はそう言った。
そんな少女をヴェルベットは抱きしめた。
「まったく、まだ十六の娘が、そんなに難しく考えないでよ」
「ヴェルベットさんが言っても説得力ないですよ」
エリスはそう言い、ヴェルベットを抱きしめた。
「今回はすみません。私の我儘で」
「いいのよ、私たち、友達でしょう?家族でしょう?」
「・・・・・・・・・・はい」
ヴェルベットの言葉に、エリスは静かに涙する。
十年前、攫われ奴隷として売られた。そして、地獄が始まった。六歳の少女は両親と妹の記憶だけを頼りに生き続けていた。王都に戻ったのはそれから九年後。今更家族と会おうにも、会えなかったが、その生活を影ながら見守ってきた。
だが、少女のそれも、今日で終わりだ。記憶の中の四歳の妹は、今や一人の少女。夢に向かって再び歩み始めた。もう、不安はない。
エリスの身体を、ヴェルベットはただただ力強く抱きしめた。
空からは灰色の雲は消え去り、輝ける太陽が地上にあるあらゆるものを照らす。
少女たちを祝福するかのように、光は降り注いだ。




