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王宮の外れにある離宮にて、キースは机で報告書を読んでいた。
「ふん、だいぶ膿は出たようだな」
報告書には違法取引の検挙者やその捜査状況などの情報が記されていた。キースも今までこの件に関する調査をしていたのだが、決定的な証拠を掴めずにいた。しかし、ヴェルベットが証拠を持ってきたことで状況も動いた。
シャッハが独自に動いていることも知っていたキースは根回しをしておき、その捜査が迅速かつ的確にできるように計らった。結果として検挙された者たちの大半は実刑を受けた。
当分、あの蛆虫どもの顔を視なくていい。にこやかな顔でそのようなことをキースは考えていた。
「兄上、今回の件、やはりあなたの仕業ですか?」
キースの執務室に入ってきたのは、腹違いの弟、第二皇子ラースだ。もちろん、キース同様皇子であることは巧妙に隠されており、とある貴族の子息という扱いである。この離宮はそんな秘匿される王子王女のための場所である。彼らは隠し通路を通ってこの離宮に足を運び、各々仕事や休憩をしている。
とはいえ、弟のラースがここにいるのも珍しい。そう考えてキースは察する。
「なんだ、お気に入りの娼館が潰れたのか?」
そう言うとラースの表情がゆがむ。図星のようだな、と鼻で笑うキース。そのキースに忌々しい目を剥けてラースは呟く。
「親父のお気に入りだからって調子に乗るな、汚らわしい平民の子が!」
ラースが罵倒する。その瞬間、キースの拳がラースの眼前に止まる。ラースは驚き、兄の顔を見る。キースの顔は穏やかであり、いつものような微笑を浮かべていた。しかし、その身から溢れるのは殺気であった。
「ラース、僕がなんだって?」
「・・・・・・・・・・・」
怒気を含めた声にラースは沈黙する。
「次に僕の母上を侮辱するならば、弟とはいえ容赦はしないぞ?」
「ち」
ラースは舌打ちをしてキースの執務室を出る。キースはそれを見届けると椅子に座り、机に向かう。
ふと、窓の外を見る。王族専用の墓場がある方向とは反対の、王都の共同墓地の方角を見ていた。
「母上・・・・・・・・・・」
胸元のペンダントを弄るキース。その顔からは普段の彼から想像もできないほどの哀しみが浮かんでいた。そして、キースの目には微かな怒りが見え隠れした。
「待っていてください、母上。あなたの夢見た世界を、私は作ってみせます。そのためなら・・・・・・・・」
「くそ、平民の子が!」
ラースは低く罵る。兄とはいえ、半分しか違繋がっていないうえに、その母親は平民。ラースの母は大貴族の娘で貴族主義者だった。ラースもその思想に影響され、生粋の貴族主義者となっていた。
そのため、特権を振り回し、平民を搾取する、ということに何ら疑問を抱かなかった。
奪うことは貴族の権利であり、平民はそのためにいる家畜だ。そんなことを考えてしまうほどである。
ラースは隠し通路を通って離宮を出る。離宮に行ったのは、この状況を作り出した兄への嫌がらせのためであった。ラースが遊び歩いているのと違い、キースは秘密裏に国の仕事を手伝っていた。普段は彼も遊び歩く放蕩息子だが、それはキースの本来の姿ではない。
「気に入らねえ」
ラースは呟く。できのいい兄。彼は父王にも期待されている。ラースやほかの兄妹よりも遥かに。ラースはそのことが気に入らなかった。
「あの兄貴を消せたらなあ」
ラースは呟きながら、行きつけの店へと入る。多くの裏の店が、閉じざるを得ない状況になったがここは違う。巧妙に捜査から逃れた。それにほかの貴族とは比べ物にならない大貴族の力が働いている。いかにキースと言えど、手出しはできないほどの。
「おい、いるか?」
そう声をかけて中に入るラース。店内は薄暗く、人気はない。そう思って引き返そうとしたラースはぬっと出てきた影に驚く。
「なんだ、あんたか」
ラースはその人物の顔を見て安堵のため息を出した。
「あんたも、捜査からは逃げられたか」
「ああ、ラース、あんたもか?」
「ああ」
二人は言葉を交わす。彼らは大貴族の子息。コネで犯罪の証拠を消し、法から逃げていたのだ。
「くそ面倒なことになった」
ラースが言うと、男も頷く。
「まったく、いつからこんな世の中になったのか」
「一年前は好き勝手できたのにな」
「その辺のごろつきどもも、急に真面目くさりやがって・・・・・・・・」
ラースが毒づく。そして怒りを含んだ眼で何もない空間を睨む。
「それもこれも、『VENGEANCE』とかいう馬鹿のせいだ」
「・・・・・・・・・」
男も沈黙して肯定する。
「くそ、数か月前までは・・・・・・・・・・・」
「そう言えば、あの件、その後報告は?」
男の言葉に、ラースは目を見開く。
「娘の死体、見当たらなかったそうじゃないか」
「ああ、だが、娘も死んだはずだ。杯一つ残らなかった、それだけだ」
「本当にそうならばいいがね」
男はラースを見て言った。
「雇い主の意向通り、娘は消した、はずだ」
ラースは歯切れ悪く言う。そのラースを男は一瞥する。
「もし万が一に、娘が生きていたら、厄介だぞ。お前の兄であるキースの耳にでも届いたら・・・・・・・」
「わかっている、だから俺の方でもいろいろと探りを入れている!」
数か月前、ある男に頼まれた二人は見知らぬ男たちとともに、ある領地を襲撃した。高い報酬と、美しい異国の美女の奴隷に心惹かれて。
領地を好き放題荒らし、物を奪い、女を襲った。さらにその領地の宝玉と言われた領主の一人娘を食い散らした。
あれはいい女だった、とラースは思いだし、嗤う。
「あの女、名前をなんといったか?」
男が尋ねる女。それは男たちが散らした領主の一人娘。紅い髪の、活発そうな少女。
「ヴェルベット・ローゼルテシア」
その肉感を思い出すように、ラースは呟いた。
シャッハは久しぶりの自宅へと向かっていた。捜査中は憲兵宿舎に泊まり込みで、ろくに休む暇もなかった。その甲斐もあって、王都にはびこる麻薬や奴隷取引の一斉摘発は成功に終わった。
あとは裁判を待つのみである。憲兵隊の仕事は終わった。その憲兵隊にも、この件に関与するものが少なからずいたことが発覚し、近々、大規模な改革があるらしい。これは憲兵隊に限ったことではなく、王宮内の組織も同様らしい。王室特務官キースベルトという、聞き覚えのないものの命令書が憲兵隊をはじめ各所に出されていた、という。
噂によると、今回の件でシャッハの昇進も考えられている、ということだ。シャッハとしてはそんな柄ではない、と考えていた。今回は、一人の少女に肩入れして捜査し、その結果この事態につながっただけで、自分は何もしていない、というのがシャッハの内心だった。何かをしたとしたら、それは復讐の女神である。彼女がいなければ、こうはならなかった。シャッハのちっぽけな「正義」では、これほどの事態にはならなかったろう。
シャッハが考えながら歩いていると、自宅が見えてきた。一般的な平民の家より、少し格調の高い二階建ての家の扉を、シャッハはノックする。女の声がして、パタパタという音が聞こえる。
そして扉が開かれる。シャッハは相手の顔を見ると、疲れた顔を何とか笑みに変えて言った。
「ただいま」
「お帰りなさい、あなた」
妻は疲れた夫をそう言って歓迎すると、彼の荷物を持ち、居間に向かう。シャッハもそれに続くと、バタバタという足音が聞こえ、居間から小さな子供が出てくる。
「おとーさん!」
「おお、元気だったか、ダニー」
走ってきた我が子をシャッハは抱き上げると一回転する。四歳の息子はうれしそうに歓声を上げ、父親を見る。
「おとーさん、お仕事終わったの?」
「ああ、しばらくは休みをもらったからなあ。何したい、ダニー?」
かまってやれないことを少し悔やんでいたシャッハは休暇をもらった。そして久々家族でどこかに行こう、と思っていたのだ。
シャッハは我が子をいとおしそうに見て、息子の言葉を待つ。だが、息子は色々としたいことがあって、言葉にできないようだった。
「わかったわかった、それは後にしよう。さ、飯だ飯」
息子を抱えてシャッハは居間に向かう。愛する妻が、待っている。




