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ある貴族の屋敷。
憲兵隊によって取り押さえられ、闇のうちに始末するはずだった下手人に逃げられ、その貴族は狼狽していた。
翌朝、シャッハ・グレイルという憲兵が男を逮捕し、詰所に連れてきたが男の精神は崩壊していた。どうやら拷問にあったらしい。誰がやったかは不明だ。
だが。貴族は冷や汗をかく。もし、だれかがミーガン夫妻の死が仕組まれたものだと知ったら?貴族は金をつぎ込み、ミーガン夫妻を消した。それというのも、自分の経歴に汚点を残すわけにはいかないからだ。足をつかないように、男を雇い、男を消すつもりだった。まさか、この事件を嗅ぎつける者がいようとは、考えていなかった。
貴族の男は内心気が気ではないのだが、落ち着こうとして机の酒とグラスに手を伸ばす。
薬物や奴隷など、表ざたにはできない「商品」の数々。そしてそれを記載した記録と顧客リスト。ミーガン氏には見られたが、ほかに知る者はいない。金庫に厳重に保管され、これが表に出ることもない。
男は心を落ち着かせるために、酒を仰ぐ。一気に飲み込み、物足りないな、と思ってもう一度グラスに注ぐ。
その時、窓の開く音がする。男はその方向を見た。
揺れるカーテンの影から一人の若い女が出てくる。貴族は油断していた。二階の寝室に侵入してくるとは。そして、よもや本当に誰かが来るとは、と。
「なんだ、儂を脅しに来たのか?」
紅いドレスの女を、どこかの回し者と思った男はそう言い、女を見た。男はグラスをもう一つとると、酒を注いで女に伸ばす。
「まあ、酒でも飲みながら話し合わんか?儂は表向きは善良でとおっておるのだ、わかるだろう?」
男が二つのグラスを持ちながら女に近づく。男は少女がただ脅しに来た、どこぞの組織のものだと思っていた。そして、金と権力で物を言わせればいいだけだ、と思って内心ほくそえんでいた。
そんな男を冷たい目で見た少女は、スカートをめくり上げる。男の目が、少女の健康な太腿に向く。その次の瞬間、男の両手のグラスが床に落ちる。グラスの割れる音と、水の落ちる音。そして、ボトリ、という二つの音。
男は違和感を感じ、自身の両腕を見た。そして、絶叫した。
男の両手はなかった。切断された断面からピンク色の肉と骨らしき白いものが見えた。血が噴き出す。止まらない血と、感覚のない両手に男は困惑し転がる。体にグラスの破片が刺さるが、その痛みなど、手の消失と比べれば、小さいものだった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ」
叫びだす男を、少女は乱暴に蹴り上げる。そして男の出っ張った腹をヒールの先端で突き刺す。
少女は抉るようにそれを回す。男はひぃひぃ泣きわめく。
「はじめまして、貴族様。私の名前は『VENGEANCE』・・・・・・・紹介はいいわよね?」
「な、なんおようだ・・・・・・・・・・・・・」
舌さえ回らない様子で、男は泣きながら少女を見る。
「用?決まってるじゃない、復讐よ。心当たり、ないわけないわよね?」
「・・・・・・・・・・・」
男は沈黙する。女を刺激しないように、という気持であったが、帰ってそれが少女を刺激した。
少女は足で男の腹をえぐる。
「い、ぎ・・・・・・・・・・!!」
「黙り込むなんて、口がついてないのかしら?」
少女は前にかがむ。その胸元が強調され、鎖骨が見えたが、男は恐怖で顔が引きつっていた。魅惑的な若い女の肉体。それは、彼にとって好物である。使用人や奴隷を何人も食ってきた男にとって、しかし、少女のそれはただただ恐ろしいものでしかなかった。
「あなたの持つ『お仕事』の書類。渡してもらいわよ」
「あれを、渡すなど、とんでもない・・・・・・・・!」
男は拒否した。少女の目が細められた。
「そう、なら」
少女の右手のナイフが男の右目につきつけられる。血がしたたり落ちる。男は理解した。この刃物が、男の両手を切り落としたことを。
少女のナイフは右目から下に下がり、口もとに当てられる。
「さあて、どこにあるか、吐いてもらうわよ」
少女はそう言うと、左手で男の顎を抑える。そして、右手のナイフを男の唇に当てる。
「しゃべりなさい」
「・・・・・・・・・・」
男は喋らない。脅しだ。喋ったら殺される。そう感じていた。
だんまりを決め込んだ男に、少女はため息をついた。そして。
躊躇なくナイフを男の口につき込み、口の肉ごと歯を一本抉った。
「―――――――――!!!!」
言葉にならない痛みに、男は目を見開く。その様子に満足したように少女はほほ笑むと、男の目を覗き込んで少女は再び問う。
「さあ、どこにあるの?」
男は少女に書類の場所と、金庫の仕掛けを素直に吐く。少女は寝室にあった金庫に近づき、仕掛けを解除する。そしてその中から書類だけを取り出し、パラパラと読む。
男はびくびくしながらそれを見ていた。そして少女は一通り見終わると、ニコリと笑って男を見た。
「本物のようね」
そして男の前を素通りし、窓に向かう。
「協力ありがとう」
男は安どのため息をつく。助かった、と。
「あら、何を安心しているの?」
「?」
窓により、そこから去ると思われた少女は再び男に寄ってきた。彼女の手には何かが握られていた。その何かを取りに行っただけだったことを、男は知った。
男は失禁する。自分がもう、ここで死ぬことを理解したのだ。
『VENGEANCE』は、男を赦す気がない、ということを。
男は目を閉じる。そして、死が一瞬であることを祈る。そんな男の耳に、悪魔のような宣言が聞こえた。
「楽に死ねると思っているの?だとしたら、大間違いよ」
少女の美しい鈴のような声。恐る恐る目を開けて男が見たのは、残忍に笑う、女神の顔であった。
「あなたは死ぬの、今まで犯してきた罪の分の痛みを受けて」
男の絶叫が室内に響く。
シャッハの下には、死亡した貴族の密輸や違法商売の記録があった。その後、自宅に送られてきたそれを見たシャッハは、信頼できる憲兵とともに捜査し、犯罪者の検挙をした。貴族や有力商人も多数含まれていた。シャッハの下にその貴族たちから賄賂などが贈られたが、シャッハはそれを拒否し、賄賂を贈ったとして逆に彼らを拘束し、事情聴取に及んだ。多くのものが国王の下の司法庁による裁判で有罪を受けたが、金に物を言わせた貴族の何人かは逃れていた。
しかし、そんな彼らに待っていたのは、もっと過酷なものであった。
法の手から逃げた貴族や商人はその後、立て続けに殺害されていった。現場の状況から犯行は『VENGEANCE』のものであることが確認された。
その大規模な捜査後、奴隷たちは解放され、王国による本格的な調査も始まった。
一組の夫妻の死から、王都にはびこる犯罪の芽が摘まれる大騒動になるなどとは、犯人の男も、死んだ貴族たちも考えなかったであろう。夫妻を殺した男は、二度と正気を取り戻さず、一生を寝台の上で過ごしたという。
ここに、『VENGEANCE』による復讐は終わった。




