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少女が拾われて数日が過ぎた。少女は馬車の中で眠りにつく。商人もさすがにまだ、手を出す気はない。そう感じて少女はようやく眠りについた。そして夢を見る。それは、二度と戻ることのない幸福な日々の記憶の数々。
美しい母、優しい父、戯れる年少の子供たち、同い年の友達。乳母や使用人が笑っている。領民たちが自分の畑で作った作物を渡してくる。誰もが、幸せそうであった。
だが、そんな夢の時間も終わる。突如、世界は火に包まれる。そして、少女の周りからすべてがなくなる。
少女は目覚める。馬車の揺れは止まっていた。
「お嬢ちゃん、起きたか」
商人が御者台から少女を見て言った。
「ここは?」
「ここかい、お嬢ちゃんは来たことがないか」
商人は少女にその光景を見せた。立ち並ぶ街々。そして中央の城。
「王都へようこそ、ヴェルベット」
少女は思った。ちょうどいい、と。国の中心ならば、あの男たちのこともわかるであろう、と。奴らの背後で手を引いたであろう貴族の存在も突き止められる。
「では、私の屋敷に行こうか」
商人の馬車が進みだす。少女は黙って揺られ続ける。
商人の馬車は王都の華やかで、派手な建物のある西地区を進む。そして、あるところで止まる。
「ここが、私の屋敷だ」
見るからに派手な大きな館。商人は少女を連れてそこに入っていく。ヴェルベットは黙って従う。
商人が重い鉄の柵を門番に命令して開けさせる。
「お帰りなさいませ、ハボック様」
「変わりはないな、ローン」
「はい、そちらは?」
「なに、新しい商品だよ」
囁く主従。だがそれはヴェルベットの耳に聞こえていた。それも知らずに男たちは話していた。
「さ、行くぞ、ヴェルベット。今日からここが、お前の家だ」
この建物が何かはわからないが、そういうところだと少女は直感した。だが、少女は抵抗を示さない。利用できるならば、何でも利用する。そう、自身の身体であっても。それほどまでに、少女の意志は固かった。なにより、何もない自分には願ってもないほどの好機であった。
「はい」
そして、二人は館に入る。
館の中に入ると、女性たちが頭を下げて並んでいた。皆、使用人の着る服装をしていた。女性たちはみな若く、綺麗であった。そして言った。
「お帰りなさいませ、ハボック様」
「うむ、出迎えご苦労」
そしてハボックは少女の肩を抱き、女性たちを見た。
「モイラ」
「はい、ハボック様」
モイラと呼ばれた女性が男の前に一歩近づく。ふわりとした茶髪の、母性的な女性であった。
「この娘の世話を頼む。名をヴェルベットという」
そして娘の方を向く。
「今日からしばらくお前の世話をするモイラだ。いろいろと教えてもらいなさい」
「はい、ハボック様」
少女はそう言い、男に頭を下げる。そしてモイラの方を見て同様に頭を下げる。
「礼儀正しい子ね。さ、部屋に案内するわ」
「では、皆、仕事に戻ってくれ」
男が言うと、そそくさと女性たちは「仕事」に戻っていった。
部屋に案内されると、すぐにモイラはヴェルベットに言った。
「あなたもついていないわね、こんな娼館の主に拾われるなんて」
モイラは赤紙の少女の頭を抱く。
「まだ若いのに」
「私、もう成人はしているわ。子供じゃない」
少女が言うと、モイラは笑う。
「成人したからって大人ではないわ、ヴェルベット。それに大人はそんなこと言わないわよ」
モイラが微笑んで言った。その顔に、少し母を思い出した少女は顔を背けた。
「個々での生活はきついけれど、それでも十分に生活できるようにしてあげる」
モイラは申し訳なさそうに言った。少女は頭を抱く彼女の背に手をまわし、抱きしめた。温もりに、涙が出そうになるが、堪えた。ただ黙って、少女は佇む。
愛おしむように少女の赤紙を撫でてモイラは言う。
「さ、まずはお風呂に入りましょう、ヴェルベット。きれいな紅い髪が汚れたままなのは、もったいないもの」
モイラは少女にこの館でのルールを教えた。
「あなたはまだだろうけど、ここにいる以上、仕事をしなければいけないの」
「仕事って?」
「館の維持。それと接待よ」
「そういうことね」
少女はモイラの言葉を理解する。
「ここいら一帯は花街なのよ。ここはその中でも高級の娼館なのよ」
モイラは言う。
「基本的に客からの指名ね。あとはお酒とか飲みに来た人の相手ね」
「・・・・・・・」
「あなたも、いずれは」
「わかっている。覚悟はしている」
少女は気丈に言った。
「そう」
モイラは悲しげに瞼を閉じる。
「ごめんなさい、さ、まずは館の掃除からしましょうか」
モイラは箒と雑巾を取り出す。
「朝から昼はみんな館の掃除、洗濯とかをやるわ。あなたも今日から参加してもらうわ」
掃除自体は苦ではなかった。領主の娘とはいえ、地方であったため、対面など気にはしなかったからだ。
良家の娘と思っていたモイラも、少し驚いていた。
「あなた、元は貴族かと思ったわ」
「どうして?」
「ここにいる子たちはほとんどがそう言う子なのよ。借金の方で入れられたことか、ね」
「でも、私は違うわ」
「そのようね」
モイラにはそう言ったが、ヴェルベットも一応貴族ではある。もっとも格の面では王都の貴族には及ばぬが。
「さて、お掃除も早く終わったことだし、買い出しに行こうかしら。ヴェルベットは王都は初めてなのよね」
「ええ」
「なら、案内がてら少し歩きましょうか」
ヴェルベットは二つ返事で了承する。自身の故郷の噂が聞けるやもしれない。少女は期待していた。
モイラとともに南地区を歩く。南は主に食料品や生活用品の店が並んでいる。そんな中で二人は必要なものを買い揃えていく。
人ごみの中、少女は己の求める情報を聞き取るために集中していた。聞こえてくるのは他愛のない世間話や交渉ばかり。うんざりする少女だが、なおも聞き取ることはやめない。
モイラが食料品を買っている最中、ヴェルベットは店の外で待っていた。そしてそこで自身の求める話し声を聞く。
「なあ聞いたか?ある地方領が襲われたの」
「ああ、あれか。気の毒にな。いい領主だったようだが、賊に入り込まれて領民もろとも・・・・・・だろ」
「ああ、あそこ、ヴェストパーレ伯の領地になるんだと」
「あの伯爵様か」
「ああ、いろいろ黒い噂も聞こえてな、賊もそれじゃないか、って」
「はあん、なるほどな」
「憲兵も手が出せないからな。なにせ、現国王とも血が繋がっているんだから」
少女はその話の全てを信じたわけではないが、貴重な情報ではあった。
店から出てきたモイラに、ヴェルベットは尋ねた。
「ねえ、ヴェストパーレ伯って誰?」
「ヴェストパーレ伯?ええと、確か今は若いシメオン様が当主をなさっていてね。王国内でも今期待されている貴族よ。それがどうかした」
「いいえ、何も。ただ、結構聞くから」
モイラはそう言うと納得したように頷く。
「まあ、容姿も整っているから、女性の人気は高いわね。妻になろうって貴族の令嬢も多いみたい」
モイラはそう言い、肩を竦める。
「もっとも、私たちには関係ないけれど。目をかけられてもよくて愛妾。それが、私たちよ」
モイラは悲しげにそう言った。
「モイラも、そう言う経験が?」
「え、あ、違うわよ。だから安心して、ヴェルベット。さ、買い物も済んだし、帰りましょうか。休日にでもまた街を案内するから今日は還るわよ」
「うん」
少女はそう言ってモイラの荷物を持つ。それにモイラは笑い、少女の頭を優しく撫でた。
少女はそんなモイラを見て、胸に何かがこみ上げる。だが、それよりも大事なことがある。
(シメオン・ヴェストパーレ・・・・・・・)
とりあえずの手掛かり。その名を少女は口の中で繰り返す。