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ヴェルベットに導かれるまま、アルマは夜の街を走る。頭はいまだに混乱している。『VENGEANCE』の正体がこんな女性であったこと。そして両親の仇。
整理のつかない心の彼女とは違い、復讐の女神の顔に曇りはない。
スラム街のある一軒の小屋に入ると、ヴェルベットは男を放り出し転がす。男は痛みに呻く。アルマはヴェルベットの後に続いてその小屋へと入る。
「ここは・・・・・・・・?」
「前にも使ったことがあるのよ。誰もいない、空き家。前は強姦魔が使っていたのだけれども、『説得』して私が使わせてもらっているのよ」
ヴェルベットが怪しく笑う。そしてアルマを見た。
「さて、アルマさん。私の正体は・・・もうわかっているでしょう?私はあなたの両親の復讐のために、この男を殺しに来た」
そう言ってヴェルベットは無様に転がる男を、靴の先端で蹴り上げる。男は唇を切り、血を流す。
「そしてこの男があなたの仇」
「・・・・・・・!」
アルマが憎しみの目で男を見る。男は震えて二人の少女を見た。アルマは握り拳に力を入れる。復讐の念が、彼女の中で膨らむ。それを見て、ヴェルベットは笑い、甘い言葉で彼女にささやく。
「アルマさん、復讐の機会を与えましょう。この男を殺して、あなたの復讐を果たさせてあげるわ」
そう言って男の髪を掴み、頭を持ち上げる。そして男の首の近くにナイフを押し付ける。薄皮一枚を軽く切り、血が滴りだす。
「私は・・・・・・・・・・・・」
アルマは迷った。あれほど憎いと思っていた仇。だが、いざそれを前にして命を奪う、ということにアルマは恐怖を感じた。震えながら、アルマは近づき、ヴェルベットからナイフを受け取る。
ヴェルベットが女神のように笑って言う。それは死神の囁き。
「さあ、殺しなさい。復讐を」
「ひいいいぃぃ、待て、赦してれぇ」
男が泣き叫ぶ。アルマはナイフを受け取ると、そのナイフを振り上げた。
アルマの目じりに涙があふれる。怖い。命を奪うことが。この男と同じ存在に墜ちるような気がして、アルマの心は揺れ動く。
復讐と良心の呵責。二つの感情がせめぎ合う。そして。
少女はナイフを振り下した。
ナイフは男の首の横にそれ、木の床に突き刺さる。男の目はそれを見る。そして、自身の命が紡がれたことを悟ると、安どのため息を出す。
「できない、私には、できない・・・・・・・・・・・・」
アルマは座り込むとそう言った。ヴェルベットは喜ぶ男の鼻面に裏拳を叩き込むと、アルマに近寄り、その身体を抱きしめる。
「そう、それでいいのよ、アルマさん。あなたは、それで」
そう言い、ヴェルベットは彼女の頭を撫でる。
「はぁ、はぁ」
男は泣いてそれを見ていた。すると、ヴェルベットの鋭い眼光が、男を貫いた。
「助かった、と思わないことね」
「ひぃ!」
男の眼前に三本の針が飛び、床に刺さった。ヴェルベットは舌なめずりをする。怪しく、艶やかに。
「この娘に免じて、命だけは助ける。でもね、黒幕のことを話してもらうわ。そして、二度とこんなことができないようにしてあげるわ」
「あ、あ、あ・・・・・・・・・・」
ヴェルベットが眼前による。復讐の女神の手が男の視界を覆う。そして、復讐の女神は男の耳元にその美しい唇を寄せ、宣告する。拷問の開始を。
思わずアルマはそれから目をそらし、耳をふさぐ。
復讐の女神は命だけは助けるといった。それは、命を奪われるよりも厳しい拷問が待つ、ということだ。
男の地獄が始まる。肉体と精神を、毒が駆け巡り、苦痛が襲う。永い夜の終わりを、男は願った。
しかし、非常なる処刑人は、ひと時の安らぎすら許さなかった。
翌朝、ヴェルベットは館の前にいたシャッハに男の場所を告げる。シャッハはヴェルベットとその後ろにいたアルマを見た。
「殺したのか?」
「いいえ、でも、それ相応の苦しみは与えてやったわ」
「・・・・・・・・・・」
シャッハは沈黙する。男はきっと、廃人寸前の状態なのだろう、と理解したためだ。
「それと、この事件、貴族がかかわっているわ、非合法なモノの取引でね」
「俺にどうしろ、と?」
ヴェルベットは男の吐いた情報の走り書きを渡す。
「いいのか、これを渡して?」
「もう暗記したから必要ない。物的証拠は私が集める。あなたはそれで捜査しなさいな」
「殺人鬼がおれに指図するか?」
「あなたは何時でも私を捕まえられる。なのにしない。どうしてかしら?」
ヴェルベットがそう言ってほほ笑む。シャッハはどきりとする。その顔に見惚れたのではない。彼女のその言葉が、自身を見透かしているような気がしたからだ。
「あなたは理解しているのよ、無意識に。あなたの中の正義と、私のする復讐。その根底にあるものが一緒だと」
「違う」
シャッハの呟きはしかし、復讐の女神の耳には届かない。女神の甘い言葉は続く。
「必要悪としてあなたの心は私を認めてしまっているのよ、シャッハさん」
そして、紅い髪の少女は笑う。満面の笑みで。
「いつかあなたも知るわ、理不尽な世の中への怒りを。その時、あなたは第二の私になるわ」
そう言い、ヴェルベットは背を向ける。そしてアルマの背を押しながら館へと入る。
「・・・・・・・・・・」
シャッハは沈黙して彼女を見送った。
(俺が第二の『VENGEANCE』になる、だと?)
あり得ない、と笑い飛ばしたいはずなのに、なぜかそれはできない。女神の囁いた言葉は彼の中で反響し続ける。いつまでも、いつまでも・・・・・・・・・・。
館に堂々と入ったヴェルベットは自身の部屋に少女を招き入れる。アルマは彼女に従いその部屋に入る。
「ここって、娼館、ですか?」
無論、アルマは入ったことはない。存在として知っているだけだ。
「ええ、そうよ」
「・・・・・・・・・・・」
「幻滅した?」
ヴェルベットはそう言いアルマを見る。アルマは何も答えられなかった。
「一つ、お話をしましょうか」
「?」
「私がなぜ、復讐をするのか、をね。今まで話したことはなかったけど、あなたになら話してもいいかもね」
ヴェルベットは寝台に腰を下ろす。隣をたたき、アルマに座るように促す。アルマは素直にそこに座るとヴェルベットを見る。紅い髪の少女は静かに語りだす。
「私は地方領主の娘だった。もっとも本当の娘ではなかったし、裕福でもない、小さな領地。名ばかりの貴族だった。それでも、私は幸せだったわ。世の中の穢れも知らずに、ただただ平穏だった。両親を殺されるまでのあなたと同じように」
少女の髪を指に巻きつけ、ヴェルベットは話す。アルマは黙って聞き続ける。
「そんな娘は十六歳の誕生日に、そのすべてを失った」
蘇る炎の記憶と、悪魔のような男たちの欲望の声が、ヴェルベットの中で叫びをあげる。
「囁かな祝いの中、皆気が抜けていたのね。賊が現れて、領民を殺した。私を愛してくれた人たちを、友達もみんな。祝いの席にいた私を、衛兵が逃がしてくれた。屋敷の両親のところに行った私は」
アルマは泣きそうな目でヴェルベットを見る。その目に宿る復讐の炎に、身を震わせる。
「そこで死んだ両親の死体と、男たちを見た。男たちは私を犯し、家と領地に火を放った」
何の表情も映し出さぬヴェルベットの顔。ただ、目だけが爛々と光り輝いていた。
「私は生き延び、復讐を誓った。運よく通りがかった商人に拾われてここに来た。そして、私は仇の一人を見つけて」
ヴェルベットはそこで言葉を切り、己の手を見た。
「『VENGEANCE』になった」
そしてアルマを見る。
「以後、私は犯罪者を憎むようになった。いえ、違うわね、犯罪者を殺すことに満足を覚えるようになった。私の中で囁く、復讐の怨嗟に従い、殺しをするようになった」
「ヴェルベットさん」
アルマが、ヴェルベットの手を握る。それを愛おしそうにヴェルベットは撫でる。
「私は、あなたの姿に自分を重ねていた」
紅い髪の少女はそう言った。
「だからこそ、あなたに私と同じ道を行かせるわけにはいかない」
「罪を、背負わせないため、ですか?」
「結局は、私の自己満足よ」
ヴェルベットは笑う。しかし、その目は悲しそうである。アルマには計り知れない、哀しみが。
「私は私の正義を貫く。そのことに後悔はない。けれど」
ヴェルベットはその手を握りしめる。
「復讐の中に身を置いたら、もう戻れない。二度とね」
その覚悟が、あなたにはある?そう聞かれたような気がして、アルマはビクッと震える。背筋を、悪寒が奔る。怖い。ただひたすらに怖かった。
「ヴェルベットさん、私は」
鳴く少女をなだめるようにヴェルベットは背を撫でる。
「わかっている、あなたは私とは違うわ。復讐に身をゆだねず、踏みとどまった」
アルマを撫でながら、ヴェルベットは囁く。
「そんなあなたこそ、街を守る憲兵にふさわしいのかもね」
ヴェルベットは立ち上がる。アルマはその背を見る。
「いつか、あなたのような人たちが、信じる正義を貫く時には、私は必要なくなる」
ヴェルベットが振り返り、静かに笑う。儚く、壊れてしまいそうな笑みであった。
「その日が来ることを、私は待っているわ」




