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憲兵のシャッハ・グレイルは娼館で見張りをしていた。それは『VENGEANCE』の疑惑があるヴェルベットに対するものだ。いつも犯行前に館を出るまでは確認できるが、いつも姿をくらましている。
証拠がつかめないのだ。本人はもう隠す気もないらしく、『VENGEANCE』であることを否定しない。
憲兵本部は、復讐の女神には見て見ぬふりである。
とんでもない体質だが、今に始まったことではない。こんなことだから、『VENGEANCE』の存在するのを赦してしまったのだろう。
シャッハは良くも悪くも頑固な男であり、犯罪を見逃せない男であった。真面目とは言い難いが、責任ある仕事であることは理解していたし、けじめもつけているつもりだ。シャッハは何としてもヴェルベットの証拠を引きずり出そうと、暇あれば娼館を見ていた。
ヴェルベットもそれを承知しており、この憲兵を常に撒いていた。だが今回は都合がいい、とヴェルベットは館から出るとシャッハを見る。そして、妖艶に微笑んだ。
「シャッハさん」
「・・・・・・・珍しいな、なんだ、自白する気になったか?」
「私の自白だけでは、逮捕できませんよ?」
「・・・・・・・わかってるよ」
不貞腐れて言うシャッハに、紅い髪の少女は笑った。
「一つ、働いていただけないかしら」
「あんたのために?」
「いいえ、一人の少女のために。憲兵を夢見て、その未来に絶望した少女のために」
「・・・・・・・・・・」
シャッハは沈黙する。非道の殺人鬼の少女だが、実際のところ彼女は犯罪者以外には優しい。そのことは監視していると自然と分かってくることであった。
「ミーガン家の殺人事件の被害者の娘よ」
「ああ、本部がろくに捜査しなかったあれか」
シャッハが頷き、ヴェルベットを見る。
「どうして捜査されないのかしら?」
「市民、それもただの平民の事件は、本部は動かない。それとも、何か裏で都合の悪いことがあるか、だな」
「そう」
「で、俺に何をしろって?」
シャッハはヴェルベットを疑惑の目で見る。
「まさか、復讐の手伝いか?」
「違うわ」
ヴェルベットがぴしゃりと言う。
「彼女の夢は憲兵よ。彼女がその夢を諦めているのよ、現実の憲兵に失望してね」
「将来有望な憲兵を救う犯罪者なんて、聞いたことがないぞ?」
「私だって、私を必要としないなら、こうして表舞台には現れなかった」
ヴェルベットは非難するように言った。
「別にあなたを非難するわけではないけれど、憲兵が仕事さえしていれば、ね。まあ、所詮、私の正当化に過ぎないわね、忘れて」
「いんや、その通りさ」
男は言う。
「今の憲兵は腐ってる。己の損得ばかりで、正義ってもんがない。俺も、数年前までは、子供のように正義を信じていたさ。だが、いつからだろうな、こんなふうに枯れちまったのはよぉ」
シャッハはそう言い、館の影から出る。
「なんもできないと思うぜ、俺は不器用だからな」
「それでも、あなたのような憲兵もいるということを彼女が知ればいい。そして、彼女のような若い人たちがこれから必要になる。そして間違った世間を正す、と信じているわ」
「・・・・・・・・・」
シャッハは黙って歩き出す。
「間違った社会が正された時、あんたはどうするんだ、『VENGEANCE』?」
「その時は、潔く闇に消えるわ」
少女は言う。
「でも、まだ消えるわけにはいかない。復讐の声はまだ、止まないから」
「・・・・・・・・そうか」
学校帰りのアルマを一人の男が孤児院の前で待っていた。男は憲兵の制服に身を包んでいた。年は三十代半ば、といったところだ。
「アルマ・ミーガンさん、だね?」
アルマはコクンとうなずき、その憲兵を見る。
「私はシャッハ・グレイル。ごらんのとおり憲兵だ。友人から頼まれてね、君と話をしたい」
「友人って誰?話って?両親を殺した犯人を見つけてくれたの?」
「いいや。残念ながら、まだだ」
「なら、帰ってください」
少女の冷たい言葉。だが、シャッハはめげずに少女に言う。
「ヴェルベット・ローズから、君のことを頼まれた」
「ヴェルベットさん?」
少女は振り向く。強くたくましい、紅い髪の女性。その姿を思い出し、彼女は立ち止まる。
「少し、話を聞いてくれないか?」
そこそこ高い菓子店で、アルマはシャッハと面向かって座る。シャッハはどこか疲れた表情をしており、そこそこ作りのいい顔の雰囲気を損ねている。
「君が将来、憲兵になりたい、とヴェルベットから聞いてね」
「でも、もういいんです」
「それだよ、それをヴェルベットは心配しているんだ」
シャッハが言う。
「君は、憲兵になって何をしたかった?」
「この街の平和を守ること」
そう言うと、シャッハは笑う。
「おかしいですか?」
「すまない。いや、その通りだよ」
シャッハの笑みは、自嘲の笑みであったと、アルマは気づく。彼の顔に陰りがさす。
「俺もね、若いときは恥ずかしげもなく正義のため、って言ってたもんさ。だが、俺の信じていた正義も、薄っぺらいものだった」
シャッハはコーヒーを口にし、少し味わうとそれを置く。
「数年前、幼い少女たちが連続で殺される事件があってな。俺はその事件を担当した。そして犯人も捕まえた。だがな」
シャッハは怒りに燃える目で、コーヒーの水面に映る自身を見る。
「そいつは貴族の子息で、子供たちは貧民層の少女。どちらの命が重いのかわかるな、そう当時の本部長は俺に言った。男の罪は揉み消されたよ」
「・・・・・・・・・!!」
「俺はその時、俺の正義を失くしちまった。永遠にな」
シャッハは少女を見る。
「俺はその後もできることはしてきた。だが、俺の心は老人のようになって、現状を変える気力も勇気もない」
「・・・・・・・・」
「だがな、嬢ちゃん。嬢ちゃんは若いし、なにより奪われた理不尽さを身をもって体験している。嬢ちゃんのような経験をした若い連中が、今の社会には必要だ」
シャッハはそう言い、コーヒーを再び飲んだ。
「俺が言うのはお門違いだ。だが、嬢ちゃんのような憲兵が必要だ。真の意味で街を守り、市民を守る憲兵が」
「大人の役目を子供に押し付けないでください・・・・・・・・!」
「そうだな」
シャッハは自嘲する。
「無責任な大人だな、俺たちは。だからこそ、嬢ちゃん、あんたはこうなるなよ」
シャッハは少女を見る。その目は真剣な色合いを帯びていた。
「同じような悲劇を繰り返さないためにも、な」
「・・・・・・・・・・」
「俺が言いたいのはそれだけだ。時間を無駄にしちまったかもな」
シャッハはそう言い、立ち上がる。
「ヴェルベットもお前さんを心配していた」
「そう、ですか」
「嬢ちゃん、あんたは今は自分一人しかいないと思ってるだろうが、嬢ちゃんが思う以上にお前さんを心配する奴はいる。それを、心の片隅で覚えていてくれ」
シャッハは憲兵服を整えると、最後に少女を見る。
「約束はできないが、俺の方で事件のことは調べてみる。期待しないで待っててくれ」
「・・・・・・・・・はい」
店を出たところでシャッハはヴェルベットに会う。日が暮れようとする中、紅い髪の少女は憲兵に目を剥ける。
「なかなか、いい説得ね、シャッハさん」
「そうかぁ?」
「ええ、あの子には、あなたのような人からの言葉の方が響くと思ったのは、間違いないようね」
「で、あんたはどうするんだ」
「知っているでしょう?私が何をするか、なんて」
「止めても無駄か」
シャッハが言うと、紅い髪の復讐者は頷く。
「止めたければ、私より先に捕まえなさいな」
「そう、だな」
シャッハがそう言い、夕日を見る。そして視線を戻した時にはすでに、紅い髪の復讐者はその姿を消していた。
「正義、ね」
正義といった自分の言葉は、しかし、誰の中にでもあるものだ。
そう、それは『VENGEANCE』の中にもあるのだ。
「復讐が正義、か。悲しいな、ヴェルベット」
彼女は知っている、復讐の無意味さも、罪に汚れることも、全て。それでも彼女はやめないのだろう、復讐を。
そんな不器用な少女のことを、悲しく思う。まだ自身の半分にも満たない少女の、その大きすぎる覚悟と罪。だからこそ、彼女は他者に自分と同じ道を歩ませたくないのだろう。
「何がそこまであんたを復讐に駆り立てる、ヴェルベット?」
応えなき問いを発するシャッハ。その問いは誰の耳に届くことなく、消えていった。




