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「悪いわね、マリア」
「いいえ、ヴェルベットさん、ゆっくりしてください」
レーン家の経営するバーに来たヴェルベットは出資者の娘であるマリア・レーンに声をかける。今日は父親とともに店の状況を見に来たそうだ。彼女の家は子供は彼女一人。そのため、女と言えどもこうして貴族の教育を受けている。そんな友人はこれから帰るのだという。彼女に手を振り別れると、ヴェルベットはアルマを促し、店内を進む。
「さあ、じゃあ、そっちに座って」
そう言ってテーブルの一つにヴェルベットが腰を下ろすと、落ち着かない表情でアルマも座る。
「ここって、結構高いお店じゃ・・・・・・・?」
「ふふ、そう見えるだろうけど、結構良心的な値段のお店よ。バーと言ってもあまりお酒も置いてないし、どちらかというと軽食店ね」
ヴェルベットはメニューも見ずにオーダーをする。しばらくすると二人分の飲み物が運ばれる。
「お酒ではないわ。まあ飲んでみなさい。おすすめだから」
そう言われて断るわけにもいかない。アルマはその紫色のジュースに口をつけた。
「おいしい・・・・・・・・」
「さっきの子のお父様は色々とやっている方でね。安価でおいしい物を作ることが好きなのだそうでね、これもその一つよ」
ヴェルベットはそう言い、自身もそれを飲む。
「・・・それで、どうしてこんな夜の時間帯にあそこに?」
「・・・・・・・・・・」
アルマは少しの沈黙の後、口を開く。
「私、仇を探してたんです」
「仇?」
頷くアルマを、目を細めて見るヴェルベット。
「三週間前、私の両親は強盗に殺されました。裕福というほどでも、貧相という家でもなく、ごくごく普通の市民でした。でも・・・・・・・・・・」
アルマは手を強く握る。痛くなるほどに、力がこもる。
「でも、憲兵はろくに調査もしてくれないし、犯人は一向に見つからないし・・・・・・。これじゃあ、両親の魂が浮かばれないですし、私も、悔しい」
アルマはヴェルベットを見て言う。アルマの目には、強い復讐が宿る。
「だから、見つけて私が復讐するの!『VENGEANCE』のように・・・・・・・・・犯人を見つけて私自身が、そう思ってあそこに。でも、私馬鹿ですよね、一人でそんなこと、できるわけないのに」
アルマはのどを潤す。思いを激白し、喉が渇いていたからだ。
「それに、もしかしたら『VENGEANCE』に会えるかも、そんなことが心の中にあったんです。本当に、馬鹿ですよね」
「そうね、でも、仕方のないことだわ」
ヴェルベットが愁いを秘めた表情で言う。
「大切な日常を失った時、悲しまない人はいない。奪われた幸福を、人は失って初めて気づき、それを取り戻そうとあがく。あなたの気持ちは痛いほどわかるわ」
「あなたも、大切な人を?」
アルマが聞くと、ヴェルベットは目を伏せる。
「ええ、そうよ。奪われたわ」
「復讐したくないんですか?」
「・・・・・・・・・・」
ヴェルベットは沈黙の後、アルマを見る。
「アルマさん、今日はもう帰りなさい。そして、あなたは復讐なんてものをしてはいけないわ」
「でも・・・・・・・・・!!」
「それが、あなたのためよ」
ヴェルベットが冷たい目で少女を見る。
「復讐に手を染めた瞬間、あなたはそこから抜け出せなくなる。あなたの先にある未来は、そこで一瞬で変わってしまう。復讐が終わった後に残るのは、穢れた己の手だけよ」
「それでも、私は両親の仇を討ちたい・・・・・・・・・!」
「それは諦めなさい。この世は理不尽なのよ」
「ヴェルベットさん・・・・・・・・・・」
アルマがヴェルベットを見る。先ほどまでの温かみは一切なく、冷たい視線がアルマを貫く。
「帰りなさい、アルマさん。あなたには、新しい生活があるし、希望に満ちた未来がある。ご両親との記憶を忘れずにいなさい。それがなくなったご両親の望みでしょうし、あなたにとって一番のことよ」
「あなたも大切なものを奪われて、そんな日常に戻れますか?!私には、無理です」
アルマが泣き崩れる。ヴェルベットは静かに目を閉じた。
「アルマさん、一ついいことを教えてあげるわ」
ヴェルベットは泣く少女の頭を撫でて言う。
「この王都にいる復讐者は決して、あなたのご両親を殺した犯人を赦しはしないでしょう。いつかはわからないけど、その犯人は奪った幸福の代償を払わされることになるわ」
ヴェルベットをアルマは見た。その瞳の奥にある、炎のような輝きに、自然と魅せられる。綺麗な、それでいてどこか寂しげな光が美しい女性の中に見えた。
「ヴェルベットさん・・・・・・・・・・?」
「だから、あなたが手を汚すことはないのよ」
そう言ってヴェルベットは顔を伏せた。
「後戻りができなくなるのよ、復讐はね」
それきり黙ったヴェルベットはバーのカウンターにいた従業員に合図する。従業員の一人が来ると、ヴェルベットはアルマを送るように言い、銀貨を数枚出した。従業員は恐縮すると、アルマを孤児院まで送るために、少女とともに店を出ていく。少女の目は、未だ悲しみに満ち、復讐の色を強く残していた。
「ふふ、私が復讐の空しさを騙るとはね」
ヴェルベットが自嘲する。
「おかしいものね」
アルマの心は一向に晴れることはない。
深夜を回っても、少女は眠れない。胸元に隠していた短剣を握り、少女は物思いにふける。
笑う両親の顔を、忘れることはない。奪われたものはあまりにも大きく、それを受け入れるには少女は幼すぎた。
「・・・・・・・・・・・っ」
悔しさで涙があふれる。男たちに囲まれて身がすくんだ。ヴェルべットに救われなければ、今頃は・・・・・・。
少女は自身の未熟を知ってもなお、復讐を求めずにはいられない。
「復讐の女神様・・・・・・・」
故に、彼女は彼女の願いを、復讐の女神に託すしかない。無力な自分に代わって、犯人を殺してください、と。
「どうか、私の願いを聞いてください」
そう言って少女は目を閉じた。眠りに落ちた彼女が見たのは、寄り添って死ぬ二人の姿。そして、光に去っていく両親。その光に手を伸ばしても、彼女はそれを掴めない。そして・・・・・・・・・。
『VENGEANCE』は血の復讐を終え、その場を立ち去る。
夜の空を見る。先ほど会った少女の顔が、自身の顔に重なる。
恐らく、彼女は復讐を諦めない。ヴェルベットは血を拭うと、ナイフの刃を見る。その刃に映る自身の姿は、あまりにもおぞましく、そして人間離れしているように見えた。
ここにいるのはヴェルベット・ローズではなく、『VENGEANCE』だ。だが、アルマ・ミーガンはまだアルマ・ミーガンであり、『VENGEANCE』ではない。
少女を、自身と同じ存在とするわけにはいかない。ヴェルベットはそう思った。
そう、復讐者は一人でいい。罪を裁くために、十字架を背負うのは、自分だけで十分なのだ。
鮮血のような髪を揺らし、ヴェルベットは夜明けを待つ街へと歩き出す。
「ああ、どうして彼女を復讐の道に進ませるだろうか?だって」
ヴェルベットは寝静まる王都を見る。彼女の目には、王都のあちらこちらで、復讐の怨嗟が泣き叫んでいる。これほどまでに、世は復讐で満ちている。
「復讐の声は、決して止むことはないのだから」
紅い髪の少女の呟きは、誰に聞かれることもなく闇の中に消える。復讐の女神は、その姿を闇の中に隠し、代わりにヴェルベットという仮初の姿で光の中へと帰っていくのだった。




