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狩人は突如暗がりから飛び出た少女を見た。
(馬鹿め、気が狂ったか?)
狩人は弓を構えて矢を放つ。狙いは外さない。この一撃で、決着をつける。彼の絶対の自信とともに放たれた矢は、少女を貫いた。
だが、少女が倒れることも、止まることもなかった。
「何!?」
驚く狩人。少女の心臓を狙ったはずの矢は狙いをそれ、彼女の腹部に刺さっている。必殺の一撃が外れたのはまだいい。だが、少女は矢を受けてもなお、狩人に向かってきているのだ。
鍛えられた強靭な肉体をもってしても、激痛が身体を襲う。にもかかわらず、少女の表情に苦痛は一切ない。そう、感情というものがないのだ。
(!!)
狩人は弓を構え、矢を放とうとした。だが、そんな彼のいる場所を少女は見ていた。そして、一気に距離を詰めてくる。
「ちぃっ!」
矢を放つ。だが、それは軽やかなステップで避けられたばかりか、お返しとばかりに針を投げ飛ばしてくる。もはや、針の届かない距離ではない。彼の優位は崩れつつあった。
「ぐあぁ!!」
彼は腕を前に突き出し、針を受ける。避ける余裕はない。彼は針を即座にぬくと投げ捨てる。片手がしびれ始める。彼は毒を受けた部分を矢の先端で抉り、毒を身体から出す。痛みに彼は呻く。
その間にも、復讐の女神は迫ってきていた。狩人は弓を構えるも、弓を張る糸をナイフで咲かれる。彼の得物は使えなくなった。
「くそ」
狩人は弓を捨てると、腰に巻いていたベルトからナイフを取り出し、少女の振り上げたナイフから身を守る。
少女と狩人の顔が近づく。ナイフによる攻防を繰り広げながら。
「痛くないのか、嬢ちゃん?」
「さあね」
ヴェルベットは無表情でそう言った。その時、狩人は見た。少女の中に宿る、得体の知れない何かを。その目の奥に輝く、不気味な、言いようのない恐怖を。
(おかしい、俺が恐怖する?)
狩人が自問する。
(ありえない、こんなことは・・・・・・・・・)
狩人の顔に汗が浮かび上がる。一方の少女は怪我を気にすることもなく、涼しい顔をしている。矢は、まだ福日に刺さり、血さえ流れ出ているというのに。
そんな男の唇に、少女は厚い口づけをしてくる。魅惑的なその唇。だが、それは悪魔の接吻だ。
男は少女を振り払い、その唇を拭う。だが、もう遅い。彼の神経を徐々に、だが確実に毒が回る。
「くそ、この、俺が・・・・・・・・・」
倒れる狩人。それを冷徹な目で少女は見る。そして、ナイフを片手に狩人を覗き込む。
「あなたは私を随分てこずらせたわ。さすがね。でもね」
少女は燃え盛る瞳を狩人の両目に映す。
「私はまだ死ぬわけにはいかないのよ」
少女はナイフを振り上げる。
「何をする気だ・・・・・・・・?」
狩人は聞く。もはや、彼は狩人ではない。死神に狩られる、獲物だ。
「安心なさい、殺しはしないわ、でもね」
ヴェルベットは笑う。人間離れした美しくさで、妖艶に。
「私の邪魔を、復讐を妨げたこと。贖ってもらうわ」
ナイフが、狩人の顔を切り裂いた。
「うあああああああああああああああああああああ」
狩人は、生まれて初めての叫びをあげた。幾度もの戦争を体験し、視線をさまよった男は、まさかこのような場所で、しかも女によって傷つけられるとは思いもしなかった。
狩人は血を垂れ流す右目を抑える。そして、残った左目で少女を見る。体を犯す毒により、意識は朦朧としていた。
意識を失う前に、男は少女を見た。その姿は、鮮血に塗れた女神のように見えた。
ヴェルベットは腹の刺さった矢を引き抜くと、それを捨てる。血が出てくるのも気にせずに、少女は歩き出す。
狩人は殺さない。怨嗟の声が命じるのは、狩人への復讐ではない。狩人を雇った者たちへの復讐なのだ。
少女はナイフを取ると、彼らの下へと向かう。彼らは信じているであろう。自分たちの雇った狩人が、『VENGEANCE』を倒すであろうことを。
少女は笑ってスラム街の闇を進む。
男は狩人が『VENGEANCE』を仕留めた、という報告を聞き、暗黒街の犯罪者たちの集まる場所へと向かった。そこで狩人からその首をもらい、金を渡す約束になっているからだ。
男は満面の笑みでそこに向かう。自分たちの商売を邪魔し、殺してきた目障りな復讐者。
(何が復讐だ。この世は弱肉強食!弱いものは死に、強いものが生き残る、それがこの世の真理だ)
男はそう思いながら、集合場所につく。だが、集合場所には明りがない。深夜だというのに、明りがないのはおかしい。
「もしや、俺以外まだ来ていないのか?」
そう思い、男は扉を開ける。護衛に連れてきた男たちには外を見張らせる。
男が室内に入り、近くにあった松明に火をともす。そして、部屋を見渡す。
そこに広がるのは、血で作り出された、惨状であった。
彼と同じく、闇に生きてきた男たちは凄惨な顔で死んでいた。原形をとどめず、ばらばらに引き裂かれた死体。そして、部屋の壁に描かれた一つの言葉が、彼に恐怖をもたらした。
『VENGEANCE』
「お、おい、お前たち!!」
男は連れてきた二人の護衛を呼び、外へと出る。そして、ここから逃げ出そう。そう思った男は一人の女を見た。美しい紅い髪と、天女のような顔。まだ未熟ながらも、色気を漂わせる少女。だがその手には、一本のナイフと、血に塗れた護衛の首が握られていた。後ろを見ると、首のない死体と矢で脳天を貫かれた死体があった。
「こんばんは」
「ひ、ひぃ・・・・・・・・・・?」
「はじめまして、私の名前は『VENGEANCE』」
少女は腹から血を流していた。そこ目がけて男は拳を突き出す。だが、その拳に少女のナイフが突き刺さる。
「ぷぎゃあ!」
「あら、レディに手を上げる気?失礼な人ね」
そう言って復讐の女神は嗤う。
「まさか、こんな女に俺たちは・・・・・・・・・・」
男は呆然とつぶやく。復讐者はニコリと笑う。
「そうよ、あなたたちはこんな小娘に殺されたのよ」
「何が、何が目的だ!?金か、地位か?」
男は涙を流しながら少女を見た。
「お願いだ、殺すな、殺さないでくれ!俺には家族がいる、娘もいるんだ!俺が死んだら、路頭に迷っちまう・・・・・・・・!」
男が泣いて言う。だが、少女は笑いを崩すことなく男を見る。
「そう言って命乞いする人々を殺してきたのを、私が知らないとでも?」
「・・・・・・・・・・!!」
「娘さんには残念だけど、あなたには死んでもらう」
「貴様に、何の権利があって・・・・・・・・・!!」
「命を弄び、奪ってきたあなたならわかるでしょう?この世には、理不尽なものがあるってことを」
少女は男の顔を見る。
「因果は廻ってくるのよ。さあ、懺悔の時間よ。今まで奪ってきた命の贖い、受けてもらうわよ」
男は、苦しみながら死んでいった。男の頭部を投げ捨てると、ヴェルベットはその場を去る。
翌日、狩人は失った右目を抑えながら、その血の惨状を見た。それは、今まで見た度の戦場よりも残忍にして、凄惨な様子であった。
「・・・・・・・・・俺は、間違っていたようだな」
狩人は静かに言った。
「俺の戦っていたのは、『獲物』でも、『狩人』でも、人間でもねえ・・・・・・・。まさにあれは『復讐の女神』・・・・・・・・・・。人間が触れていいものじゃあない」
少女の瞳に宿る『復讐』を思い出し、背筋を震わせながら狩人は言った。
「拾った命だ、失わないうちにここを去ろう」
次にあの死神にあった時、それは死を意味するであろう。
狩人は傷ついた右目を抑えながら、誰に知られることなく王都を去った。その後、男が王都に来ることは二度となかった。
狩人たちの狩りは終わった。だが、復讐の狩りが終わることはない。その怨嗟の声が、ヴェルベットの中にある限り。
彼女は復讐続ける。




