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宣戦布告をしてきた『HAWKEYE』は、日中やヴェルベットの職場を襲撃することはなかった。飽くまで彼は狩人であり、狂戦士ではない。どうしようもないほどに強敵を求める戦士であった。故にヴェルベットを殺すのではなく、『VENGEANCE』を倒すことに凝っていた。
ヴェルベットはそんな彼の気高い、もしくは愚かな性格に感謝する。おかげでまだ死なずに済んでいる。こうして武器の調合の時間も取れるし、罠を張る暇もある。狩人は優秀な男だが、地の利はヴェルベットにある。
「仕掛け終わりましたよ、ヴェルベットさん」
「悪いわね、エリス」
ヴェルベットがそう言うと、エリスは笑う。
「仕方ありませんよ、でも、あんな罠にかかるでしょうか?」
「さあね、仕掛けないよりはましでしょう?私がうまく誘導できれば、あるいは」
ヴェルベットはそう言い、自身のナイフを見る。
「今夜、ケリをつけるわ。いつまでも籠ってもいられない」
復讐の怨嗟は彼女の耳に響いている。だが、その怨みを果たすためには、狩人は邪魔だ。すでに多くの時間を、彼によって浪費している。これ以上の邪魔は彼女としてもうんざりであった。
「死なないでくださいね」
「ええ、死ぬつもりはないわ」
惨めに生きてでも、やるべきことがある。死ぬことは何時でもできる。死ぬのは、全てをやり遂げてからだ。
ヴェルベットは鮮血のような鮮やかなドレスに身を包む。
復讐の女神はその長い髪を夜風になびかせながら、館を離れる。彼女は狩人を『狩り』に行く。
ヴェルベットは人気のないスラム街にいた。彼女はそこにあった木箱の一つに腰を下ろし、今日の『獲物』を待っていた。
しばらくすると、一人の男が現れる。金髪の、鋭利な鷹の目を持つ狩人。彼は弓と矢筒を背負っていた。
彼はヴェルベットの隣の木箱に座り、葉巻を取り出して吸う。
「肺に悪いわよ」
「心配どうも。だが、俺が葉巻を吸うのは本当に借りたい獲物がいるときだけだ」
狩人はそう言ってヴェルベットを見る。
「これから殺しあうってのに、ずいぶんと綺麗な格好だな。あんたが『VENGEANCE』じゃなけりゃ、抱いていただろうな」
「そう?ありがとう、キスの一つでもして差し上げましょうか」
狩人は少女の潤いのある唇を見て首を振る。
「それは魅力的な提案だが、遠慮するよ。死神の接吻で死ぬなんざ、狩人としては二流のすることだ」
「それは残念」
ヴェルベットはそう言い、立つ。男も葉巻を地面に捨てて、足で踏み潰す。
「それでは、狩り合うとしましょうか、『HAWKEYE』?」
「そうしよう、『VENGEANCE』。今日は俺の最高の舞台となるだろう」
「どうかしら、私の踊りについてこられる?」
「望むところだ」
ヴェルベットは狩人に背を向けると、夜のスラム街を走り出す。男は弓を背からとると、彼女を追い始めた。
(ついてきたわね)
ヴェルベットはそのことに安心する。今はまだ彼女は狩人にとって『獲物』である。逃げる獲物を狩人は逃がしはしない。追いかけることは想定内だ。
問題は仕掛けた罠を狩人が知らないこと、そして仕掛けが仕掛けとして機能するか、ということだ。
ヴェルベットは走りながら袖から小瓶を取り出し、投げつける。
「ふん」
狩人はその瓶を矢で砕く。瓶の中身が飛び散る。
(さすがに、簡単には当たらないわね)
自身の攻撃が失敗するのも想定のうちだ。相手は今までの相手とは違うことを改めて思い知る。
「どうした、逃げてばかりか?復讐者!」
「吠えなさい、猟犬」
今にあなたを鳴かせてあげるわ、とヴェルベットは薄く笑い、軽やかに狭い道の中へと逃げ込む。
狩人は暗闇に矢を放つと、その道を進む。狩人は走り追いかけようとする。足元に張られた糸が切れる。
男は足元に張っていた糸の存在を認識すると、すぐにそれが罠だと気付き、全方向に意識を集中する。
そして、前方から飛び出してきた三本の矢を感知する。狩人はそれを矢で落とす。放たれた二本の矢が向かってくる矢のうち二本とぶつかり合い、互いに墜ちる。残りの一本を弓で受け止めると狩人は暗がりから抜け出し、スラムの大通りに出る。
ヴェルベットの姿は見えない。
「なるほど」
狩人は呟いた。弓から矢を抜き取ると、己の矢筒の中にそれを放り込む。
「どうやら、あれは獲物ではなく、俺と同じ狩人だったようだな」
狩人はそう言い、周囲を見る。周囲には普通なら気づかないであろう、糸や罠らしきものがある。狩人でなければ、見破れはしない。彼はまんまとおびき寄せられたのだ。『VENGEANCE』の狩場に。
「だがな」
狩人は楽しげに笑う。その両目は敵を探していた。
「最後に勝つのは、この俺だ」
ヴェルベットは暗がりにて狩人を待ち構える。狩人の弓矢は驚異的だ。だが、それさえなければ、彼女にも勝ち目はある。
ナイフと数種の毒物を塗った針。ヒールに仕込まれた寸鉄。両手の爪にも痺れ薬が塗られている。彼女の準備も万端だった。
あとは狩人がここに来るのみ。恐らく狩人は彼女の張った罠には引っかからないだろう。罠を避け、ここに来るはず。
そう思い待ち構える彼女は殺気を感じる。
(来たか)
彼女は音が近づくのを感じる。冷静に、慎重にナイフを構え、彼女は狩人の接近を待つ。
(もっとも近い位置に来るまで待つんだ)
ヴェルベットは息をひそめ待つ。だが、敵の気配が突然消える。
(!?)
ヴェルベットが息をのんだ瞬間、彼女が潜む暗がりの前方から風を切る音がした。ヴェルベットは咄嗟にそれに反応すると、身をよじる。ドレスの一部が引き裂かれたが、彼女自身に怪我はない。ヴェルベットは瓶の一つにマッチの火を近づけると、それを爆発させる。その煙を煙幕にし、状況を立て直すつもりだった。狩人とはいえ、この状況では弓を入れまい。そう考えていた彼女の足元を矢が通る。それは彼女の足の皮膚を薄く切り裂いた。
「俺はな、『VENGEANCE』」
狩人の声が響く。
「闇の中でも、煙の中でも、たとえ目が見えなくとも獲物を捉えるのさ。俺は全身の神経を使って獲物を見つける。俺の目が特別なんじゃあない。俺自身の全身全てが『鷹の目』なのさ」
狩人の声が響く中、ヴェルベットは者の陰に隠れながら距離を取る。そして、彼女は気づく。これでは、敵の思うまま、敵の距離に持ち込まれる、と。
「さあどうする。ここは俺の距離だぞ?」
狩人は闇の先にいる。その姿をヴェルベットは掴めないが、相手は違う。例え暗がりにいたとしても、者の裏に隠れていようとも、ヴェルベットを見つけ出し、その矢で狙い撃つことができる。
少女の持つ道具は狩人の弓に速度、威力、距離に劣る。このまま隠れていることも考えるが、それも不可能だろう。狩人は一か所にいるわけではない。位置を悟らせずに今も動いているだろう。先ほどのように、気配を消し、彼女の死角から狙ってくるかもしれないのだ。
『VENGEANCE』は、恐怖を感じた。久しく忘れていた感情。数か月前に喪ったはずの恐怖が、再び彼女の中に湧き上がる。
死の感触。燃え盛る炎の匂い。燃え尽きる、愛する両親、故郷の風景。落ちる涙。伸ばした手は、失われるそれらを掴むことができない。
走馬灯のように、彼女の脳裏にあの時の記憶が奔った。
(まだだ)
ヴェルベットの目は、諦めを浮かべていない。強い意志を持ち、闘志に溢れている。
(まだ、私は死ぬわけにはいかない)
九人の男たちの顔。そして、彼女の中で常に叫び続ける怨嗟の声が彼女を奮い立たせる。
『復讐を・・・・・・・・・・・・・・・・』
声が彼女の中で勢いを増していく。
『復讐を、復讐を、復讐を、復讐を!!』
少女はナイフを取り出す。
「復讐を・・・・・・・・・・」
呟き、少女は物陰から飛び出る。
すかさず、一本の矢が彼女に向かって放たれた。
月明かりで映る少女の影が狩人の放った矢に貫かれた。




