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キャシーは夢を見ていた。それは何年も前の夢で、そこにはまだ世間の汚さを知らずにいた幼きキャシーと孤児院の子供たち、そして彼女たちの良き父である神父がともに微笑んでいた。
懐かしく、そしてかけがいのない記憶。キャシーはこれが夢である、と認識していた。だが、辛い現実にいるよりも夢の世界に生きていたい。
現実は辛い。生きていくために体を売った。好きでもない男たちに媚びへつらい、精神をすり減らす。そんな毎日が苦痛で仕方なかった。そんな娼館での日々も、仲間がいたからこそ、乗り越えられた。同じような境遇の女性たち。彼女たちのおかげで生きる気力も湧いた。
だが、それももうどうでもいい。彼女の親である神父は死に、自分も神父を殺した男たちの慰みものとなっている。このまま、男たちのなすがままになり、用済みになったら・・・・・・・・そう考えると、キャシーの中に絶望が奔る。
(死にたくない、奪われたくない・・・・・・・・!)
絶望の中でキャシーの心は悲鳴を上げる。男たちが再びキャシーに迫ろうとした時だった。
男たちが驚き目を見開く先にいた人物。その人はキャシーを見ると呟く。
「キャシー」
キャシーはその人を見ると、力なく呟く。
「ヴェル」
彼女の最も親しいであろう同僚。紅い髪の美しく、可憐な少女。ヴェルベットがそこにいた。
彼女の姿を見てキャシーはここに来てはいけない、と言おうとした。だが、それを言う前に彼女は動いていた。彼女は男たちを撃退する。軽やかに、素早く。
キャシーはそこで意識を失った。ああ、この子は私を助けに来たんだ。そんな安堵で包まれた瞬間、キャシーは夢の世界へと旅立った。
そのおかげで彼女は見ることはなかった。地上でもっとも残虐で苛烈、そして美しい、復讐の女神による『復讐』を。
次にキャシーが目を覚ました時、彼女は見慣れた自分の部屋にいた。夢ではなく、現実だと知ると彼女はあたりを見る。彼女の寝台の隣には、ヴェルベットが椅子に優雅に座って彼女を見ていた。
「おはよう、キャシー」
「ヴェル、私は・・・・・・・」
キャシーの言葉を遮るようにヴェルベットがその頭を抱いた。
「もう安心して、あなたの悪夢は終わったのよ」
「そっか、あれは、夢じゃなかったんだね」
男たちに立ちはだかる少女は現実だったのか、とキャシーは思うとヴェルベットを見た。
「ねえ、ヴェル。ヴェルが『VENGEANCE』なの?」
「・・・・・・・・ええ」
少しの沈黙の後にヴェルベットは頷いた。
「そう、神父様の仇を取ってくれたの?」
「ええ、皆、死んだわ。あなたや子供たち、それに神父様が味わった以上の地獄を見せてね」
「そっか・・・・・・・・」
キャシーが静かに呟く。
「エリスは、どうしてる?」
「さっきまで一緒に見ていたよ。さすがに心配しすぎで起きっぱなしでね、キャシーが起きたら心配するだろうから寝るよう言ったわ」
「エリスはヴェルのことは?」
「知ってる。エリスの協力もあって、復讐をやり遂げれた」
「でも、これから孤児院の子供たちはどうなるの?」
キャシーがヴェルベットに問う。
「復讐しても、神父様は帰ってこないし、もう、孤児院も・・・・・・・」
「そのことなら」
そう言ってヴェルベットが一枚の書類を取り出す。
「心配いらない。国の援助を取り付けさせて、信頼できる後任があそこを引き継ぐ。子供たちは離れ離れにはならないし、孤児院も今のままだよ」
「ヴェル、どうやって・・・・・・・」
キャシーが驚いてヴェルベットを見る。ヴェルベットは妖艶に笑った。
「まあ、いろいろとね?」
ヴェルベットは笑ってそう言った。キースの根回しと、彼女直々に援助を「頼んだ」ことによって、援助を取り付けたのだ。後任は前任の神父と交流のあった友人の一人で地方に左遷されていた人物に頼むこととなった。善良で、賄賂を受け取らなかったために地方に飛ばされた人物で、信用にたる、とキースが判断して呼び寄せたのだ。
「借金も帳消しにさせたし、援助も今まで以上のものになる。だから、キャシー」
ヴェルベットがキャシーの頭を撫でる。
「もう、あなたが犠牲になる必要はないのよ」
「ヴェル・・・・・・・・」
「あなたが自分の身を犠牲にしてお金を稼ぐことも、もうしなくていいのよ。もう、あなたは苦しまなくていいのよ」
「ヴェル・・・・・・・・!」
青髪の少女は泣きながら、ヴェルベットの胸に顔をうずめる。ヴェルベットは慈愛に満ちた表情でその頭をいつまでもいつまでも撫で続けるのであった。
翌朝、ヴェルベットとエリスはキャシーを見送っていた。キャシーはこの館を去り、新たな人生を歩むのだ。幼き日の夢や、神父の守った孤児院の子供たちのこと。いろいろなことがある。傷ついた心と体を休める必要がある。それにキャシーはまだ若く、未来がある。ヴェルベットのその言葉に、キャシーは館を去る決心をした。
荷物を持ってキャシーは館の門の前に立つ。
「キャシーさん、どうかお元気で」
「うん、エリスもね」
キャシーとエリスが互いに抱きしめあう。二人の目は涙に溢れていた。
「また、今度、街のどこかで会いましょうね」
「うん、約束する」
そしてキャシーはヴェルベットを見る。
「ヴェル、いろいろとありがとう」
「何言ってるの、私たちは、友達でしょう?」
ヴェルベットはそう言い、キャシーを抱きしめる。
「さあ、行きなさい。世界は苦しいこともあるけれどそれだけではないわ。誰にでも幸福になるkンりがある。それは、あなたもよ、キャシー。強く生きていきなさい」
「ありがとう、ヴェル・・・・・・・」
ヴェルベットは彼女を離すと、一歩下がる。エリスが泣きながらキャシーを見る。
「それじゃ、これ以上あれだと泣いちゃうから・・・・・・・・・」
すでに泣きながらキャシーは言う。
「これで、さよならだね!今度は、三人で遊ぼうね!」
そう言ってキャシーは荷物を片手に去る。ヴェルベットとエリスが彼女の背に向かって手を振り、別れを告げる。
「さようなら、キャシーさん!」
エリスは大きな声でキャシーに言う。キャシーが一度振り返り、綺麗な笑顔を浮かべる。希望に満ちた顔であった。
彼女の背が見えなくなると、エリスはヴェルベットを見た。
「ヴェルベットさん」
「なにかしら」
「誰にでも幸福になる権利はあるって言いましたよね、それはエリスにも、ですか」
「ええ」
ヴェルベットは迷いなく言った。
「では、ヴェルベットさんは?」
「・・・・・・・・・・」
「ヴェルベットさんの幸福は、どこにあるんですか?」
「私の幸福は」
ヴェルベットはエリスを見て、寂しげに笑った。
「復讐と、それによって救われる人々の幸福よ」
そう言ってヴェルベットは館の中へと入っていく。強く気高く、美しき紅い髪の少女。だが、彼女のそのありようはあまりにも異質である。
エリスはそんな友人の背を見て、静かに言った。
「そんなの、あまりにも悲しすぎますよ」
そんな少女の呟きは、復讐の女神の耳には届かない。
王都における『VENGEANCE』の連続殺人は一時の終焉を迎えた。だが、犯罪者たちの恐怖は収まらない。何故なら『VENGEANCE』は捕まっておらず、また、その正体もはっきりとはしていない。
ただ一つ、にわかに語り継がれていることがあった。『VENGEANCE』は美しく、鮮血に染まった髪をした女性である、と。彼女は罪なき人々の仇を打つものである。犯罪者たちはその復讐の女神を畏れた。そして、闇の者たちにしいたげられた者たちは彼女へと祈る。自身や家族、友人たちの復讐を。
その祈りがある限り、復讐の女神は決して消えない。
紅い髪の少女は優雅にスカートを翻すと、夜の街へと消えて言った。




