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「御嬢さん、私のことは覚えているかな?」
個室に行け、とハボックに命令されたヴェルベットを待っていたのは一人の憲兵であった。最初の事件の際に彼女が面倒を見た若い憲兵は油断なく彼女を見ていた。その視線でヴェルベットは悟る。
(私の正体に気づいたか?)
だがおかしくはない。所詮ヴェルベットは素人で、痕跡を消せるような暗殺のプロフェッショナルではない。勘の鋭い者で、聞き込みを怠らなければ、彼女に行きつく者がいても不思議ではない。ヴェルベットは落ち着いてそう考える。
(さて、この場をどう乗り切るか)
このまま復讐を辞めれば、この場を乗り切ればそれで終わりだ。だが、彼女は復讐を辞めることは絶対にない。まだ足りない。流された血に見合う対価は、支払われていない。
「ええと、確かシャッハ・グレイル様でよろしかったですよね?」
ヴェルベットは年相応の少女を装って言う。憲兵は頷く。
「ああ、あっている。それで今日なぜ私がここに来たか、わかるかね?」
「いいえ、まったく」
ヴェルベットは表情を偽っていった。内心では、わかっている、と返していた。
「私がここに来たのは君にある疑いがあるからだ。もっとも、これは私が独断で調べて導き出したものにすぎないが」
「まあ、憲兵様はすごいのですね、探偵さんのようですね。でも、私に疑い?さっぱり思い浮かびませんが」
少女は美しい顔を歪める。まるで分らない、という顔の少女を若い憲兵はじっと見る。
「あなたは美しい、だが、本当の自分を隠している。私は数年前の戦争に参加していましてね、その際命のやり取りもしていました。ですから、感じるのです。うまくは言えませんが、殺気、もしくは空気ですね。死の匂いがあなたからする。前にあった時はわかりませんでしたが、今ならはっきり言える。私の中の疑いは強くなる一方です」
いつかキースが言っていた。戦場を経験したものならば、気づく者もいる、と。その通りだった。
「・・・・・・何の疑いが?」
少女が言うと憲兵はおもむろに口を開く。
「あなたが『VENGEANCE』と呼ばれる連続殺人犯、という疑いです」
「本気で言っているのですか?」
少女はおかしそうに笑う。しかし、憲兵は笑わずに少女を見る。
「自分で言うのもなんですが、私は力も弱いし、身体も男性には劣ります。犯行は不可能、ではないでしょうか?」
「かもしれません。なので現状は疑いであり、確信ではない。あなたの部屋を調べさせてもらっても?」
「それは命令ですか?」
「いいえ、正式な書類はないですからな。飽くまで『お願い』ですよ」
「お断りさせていただきます。というのも私は普通の市民で犯罪者ではないのです。個人の自由は守られてしかるべき、そうでしょう?」
「やはり、あなたは賢いし、普段は別の顔をかぶっているな。世間知らずのふりをして、とっさに考えるだけの頭を持っている。ますます怪しい」
「シャッハ様、もし私が殺人鬼ならあなたの身も危ないのでは?」
シャッハは肩を竦める。
「あなたは馬鹿ではない。ここで殺しはしないでしょう?」
「ええ、仮に私が犯人なら人気のない場所で殺すでしょうね」
ヴェルベットが無表情で言い、シャッハを見る。その目は冷たく、シャッハは表情に出さないが、心を震わしていた。
(なんて目をしてやがる)
少女の目は、違う。普通ではない。それをシャッハは身をもって知る。
「あなたは飽くまで自分は『VENGEANCE』ではない、と?」
「ええ、自身を持って言えます」
「では、今までの事件当日のアリバイは?」
「すべては覚えていませんが、キース様、という貴族のお客様が私のアリバイを証明してくださるはずです」
「キース・ウェルナー伯爵、ですか」
「あら、あの方伯爵様なの」
ヴェルベットは驚いて言う。伯爵であることは今知った。故にその表情だけは本物であった。
「ではウェルナー子爵と使用人の方々がアリバイを証明してくださると思います」
「そうですか」
シャッハは納得いかないように少女を見た。
「ちなみに、あなたは前に最近ここに来たばかり、と言っておりましたな。以前はどこに?」
「遠い田舎ですわ、あなたの知らないような、ね」
「・・・・・・・・・」
シャッハは沈黙し少女を見る。真実を探るような眼で少女を見る。だが、少女は何も読み取らせない。
「いいでしょう、今日のところは引きましょう」
シャッハはそう言い立ち上がると、少女を見る。
「ご協力感謝します、ヴェルベットさん」
「ええ、疑いは晴れたかしら?」
「いいえ、より深くなった、と申し上げましょうか」
「それは残念ね。では、またいらすのかしら」
「いずれ、令状を携えて、ね」
「ふふ、楽しみにしているわ、憲兵さん」
ヴェルベットはそう言うと、シャッハの頬に軽く口づけをする。
「誘惑する気ですかな?」
「まさか。あなたはこの程度の誘惑に墜ちる器ではないわ、シャッハさん。その程度なら張り合いがないもの」
「・・・・・・・・」
「では、仕事に戻らせていただきます。お見送りはした方が?」
「いや、結構」
「では、今度はお客様としてご来店ください。サービスは致しますよ」
ウィンクし、魅力的な少女は部屋を去る。それを見送り、シャッハは息をつく。
「ありゃあ、とんでもない狐だ」
シャッハが呟いた。自分の美貌をよく理解し、武器としている。それがありありと伝わってくる。彼女はそうやって男たちを殺害し続けてきたのだろう。
「さて、ウェルナー伯爵、か」
ウェルナーと言えばヴェストパーレほどではないが、若手貴族として注目される人物だ。それなりに力をつけている人物。その後ろ盾があるとなると、化けの皮をはがすのは難しいかもしれない。
「しかし、やるしかない、か」
シャッハは重い足取りで館を出ると、ウェルナー邸の方角へと歩き出す。
その後ろ姿を、紅い髪の少女は静かに眺めていた。
(キースのことだ、うまく言い訳はするだろう、問題は今後だ)
ヴェルベットは考える。恐らく、あの憲兵は自分を監視するだろう、と。懐柔は恐らく不可能だ。だからと言って罪のない憲兵を殺すわけにもいかない。
「どうしたものかしら」
「ヴェルベットさん」
「あら、エリス」
声を掛けられ、ヴェルベットは咄嗟に顔を変えると、童顔の同僚を見た。
「キャシーはまだ?」
「はい、ずっと孤児院の方に」
あれからキャシーは孤児院で子供たちと過ごしている。今は王国の保護があるが、いつ孤児院がなくなるかはわからない。子供たちが散り散りになることも考えられる。今のうちに孤児院を整理しているそうだ。
「許せません、犯人たちが」
「エリス」
「ですから」
エリスが強い瞳でヴェルベットを見た。
「私にも協力させてください」
「キャシーのこと?でも私たちにできることなんて」
「違いますよ、『VENGEANCE』、復讐ですよ」
「!?」
何故、という顔のヴェルベットに、エリスは笑う。
「気づきますよ、だってヴェルベットさん、優しいですから。キャシーさんの哀しみをよくわかっているから。だから必要以上に気を張っているように見えるんです。それに気づいてあとをつけたんです、この前」
エリスは笑う。
「怖かったです、正直言ってヴェルベットさんが。でも、ヴェルベットさん、そのあと泣きそうな顔をしていました」
エリスはヴェルベットの手を握りしめる。
「辛かったでしょう?一人で、戦ってきて。でも、安心してください。あなたは一人じゃないですから」
「エリス、私の手は血で染まりきっている。それでも、私に手を差し伸べるというのか?」
「ええ、私もキャシーさんもヴェルベットさんのこと、大切な友人だと思っているんですから」
「エリス・・・・・・・」
「私にできることは少ないかもしれないですけど、何か手伝えること、ありませんか?」
「・・・・・・・・」
ヴェルベットは沈黙してエリスを見る。エリスの体系や身長はヴェルベットに近いものがある。髪の色こそ違うが長さも調整さえすれば同じくらいに見える。
ヴェルベットは憲兵を撒くための方法を思いつく。そして、エリスを見て言った。
「私のアリバイ作り。それに協力してくれればいいわ、エリス。あなたまで手を血に染めることはないわ」
「私は、キャシーさんのためなら」
「それだけじゃないのよ、エリス」
ヴェルベットが静かに諭すように言った。
「これは私の戦い、私の復讐なのよ。だからね、血塗られるべきなのは私と敵だけ。あなたのような罪のない人々を守るために私は犯罪者どもを殺すの。だから、守るべきあなたが私と同じ場所に来てはいけないの。わかるわね」
「・・・・・・・はい」
「いい子ね」
ヴェルベットがエリスの頭を撫でる。
「ヴェルベットさん、知ってると思いますけど、私たち同い年なんですよ!子ども扱いしないでください!」
「ふふ、子供はそう言うのよ」
「だから・・・・・・」
「それより、アリバイ作りの準備をしましょうか。憲兵様もだませるような、確実なアリバイを、ね」
ヴェルベットがニコリと笑う。
彼女自身の復讐。そして、キャシーたちの無念を晴らすまでは、彼女は捕まるわけにはいかないのだ。
自分を友として見てくれる友人にこんなことを頼むのは気が引ける。だが、彼女は了承してくれた。
そんな友人がいることを、ヴェルベットはうれしく思った。




