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『探偵』西門倫三の日常

作者: 十海

この小説では、自殺の手口を詳細に描写している部分がありますが、自殺を推奨する意図はありません。

むしろ、こんなくだらない理由で自分から死ぬのはあんまりに愚かだろ、やめとけ、考え直せ! と言うスタンスでお届けしています。

あしからず。

 俺は西門倫三さいもんりんぞう。それなりに有能な探偵だ。

 時代錯誤と言われようが。勘違いと言われようが、基本はハードボイルド。

 意地でも貫きゃマジになる。メッキも磨けば銀より光る。

 子どもの時っから海外ドラマに出てくる探偵に憧れていた。大人になったら絶対、自分もああなるのだと。

 成長し、夢は叶った。尾行とか追跡は正直あんまり得意じゃないが、いざとなったら『奥の手』がある。事あるごとに使っちゃいるが、気にしてはいけない。

 もったい着けて出し惜しみするのは、タフな男のする事じゃない。

 ……ってことにしとく。

 

 有能なのは本当だ。事実、仕事には困っていない。今日も今日とて、事務所に依頼人がやってきた。


「彼の様子がおかしいんです」


 彼女は後藤早苗(ごとう さなえ)と名乗った。市内の大学に通う二年生だと言う。

 アイボリーの地にサーモンピンクを基調にしたアンティークな花を散らしたワンピースを着て、肩に羽織ったボレロは花模様と同じ色のレースの透かし編み、ぴたっと脚に張り付くデニムのレギンス。

 華美でもなければ野暮でもない、適度にカジュアルな服装で、髪形にもメイクにも気を使ってる。無駄に金を使うことなく自分の活かし方を心得た、良い娘だ。


 まちがっても彼氏に愛想尽かされるようなタイプじゃない。少なくとも俺ならほっぽり出すような真似はしない。

 バッグと口紅の色合いを、きちんと合わせられるような子を。


「……おかしい、と言うと?」

「大学にほとんど顏を出さなくなったし、バイトも休んでるみたいで……電話しても出ないし、メールしても返事が無いし……」

 

 何度も言いよどみ、同じ言葉を繰り返し、肝心な事になかなか触れようとしない。

 もどかしいことこの上ないが、それだけ迷っているのだ。こう言う時は、急かしてはいけない。じっと彼女につきあって、何度もぐるぐる回った。中央にでんと据えられた『真実』の周りを。


「まだ警察に相談するような段階じゃないって言うか。事件性がないって言うか。私たち、付き合ってまだ半年で……ご両親に連絡できるような間柄じゃないし……」


 次第に円は狭まってゆく。待てば自ずと核心に至る。

 テーブルに出した来客用のコーヒーいい具合に冷めきった頃、ようやく、彼女は決定的な一言を口にしてくれた。


「浮気、してるのかも知れない」

「……なるほど」


 うなずいて、続く言葉を促す。

 それを疑うことも。こうして人に調査を頼むのも俺にとっては日常だ。『変なこと』『おかしなこと』ではないのだと無言のうちに受け入れ、事務的にメモを取る。

 一度口にしたことで何かが吹っ切れたのだろう。ぽつり、ぽつりと後藤早苗は言葉を続けた。


「明確におかしいって言えるほど、彼の行動は変じゃないと思うんです。ただ、人付き合いを避けてるみたいで、きっと私を遠ざけてるのも、その一部って言うか、私だけがはじかれてる訳じゃないとは思うんですけど」


 ぎりぎりのラインで留まっているのか、あるいは彼女の願望か。


「ただ……」


 きゅうっと膝に置かれた手が握りしめられる。ふわふわと柔らかな花模様の布が、くしゃりと皴になる。


「私以外に、つきあってる女の人がいるんじゃないか。私の知らない所で、彼が別の人と会ってたらどうしようって思ったら、怖くて、心細くって。だけど自分で確かめるのは、もっと怖いんです」


 一生懸命言葉を選んだ結果、彼女の抱えている不安は均一化し、ひどくありふれたケースのように聞こえた。

 だが言わんとすることは判る。根っこで疼く、痛々しいほどの心細さ、悔しさが伝わってくる。

 今、目の前にいる後藤早苗自身から。言葉のみならず、まなざしや声の変動、震える肩やにじんだ涙。こらえ切れずに『くっ』と詰まる息づかいからも。


「わたし、へん……ですか?」

「いや。極めて自然なことです。不安を抱くのも。それを解消したいと願うのも」


 きつく引き絞られ、今にも裂けそうなほど張り詰めていた彼女の心が。表情が、ほわっとゆるんだ。


「素行調査として承りましょう。期間は一週間で三万五千円。必要経費は別途請求します。報告書の作成料は、まあサービスってことで」

「……はい、お願いします」


 わかってる。

 今どき一時間いくらで調査料を請求するご時世に、個人経営の事務所にしちゃ、破格のお安さだ。

 だが儲けの大小は問題じゃない。経験こそが重要なのだ。事件に関わり、解決するその過程こそが俺の糧となる。


 増してこんなチャーミングな若い娘が、見ず知らずのうさんくさい探偵風情を相手に、せつせつと不安を訴えるまで追いつめられているのだ。

 ここで「見捨てる」なんて選択をしたら、俺の生き方そのものを裏切ることになっちまう。


 ほっとけないね。


「では契約成立。彼氏の住所氏名と電話番号、できれば写真をお借りできますか?」

「啓人。志島啓人(しじま けいと)


 それが後藤早苗の恋人の名だった。住まいは駅からほど近いアパート。1ルームにバス、キッチン付きの典型的な独り住まい用の集合住宅、おそらく壁はそこそこ薄い。

 近所のつきあいも薄そうだが、浮気相手を引っ張り込むにはいささか不向きな環境だ。


 そう、てっきり普通の浮気調査だと思っていたんだ。

 この時点では、まだ。


     ※


 依頼を受けその日から調査を開始した。

 念のため、ご本尊に張り付く前に志島啓人の通う大学と、バイト先の書店で聞き込みをしてみたが、確かにどちらにも顏を出していなかった。大学は無断欠席、バイトは辞めている。期間を突き合わせるとまずバイトを辞めて、続いて大学を病欠名義で欠席しているようだ。

 この二週間と言うもの、友人はほとんど姿を見ていないと言う。


「電話しても出ないし、メールの返事も返ってこない」


 恋人の早苗だけに特に冷たいって訳じゃないのか……ある意味、公平だ。

 一番身近で、身を案じてくれる存在との繋がりをまず切り捨てて。それから人間関係を外側から順に断ち切って行ったってとこか。

 当人の意志でやらされているのか、あるいは別の誰かの指事を受けてそう『させられている』のか、現段階では不明。


 女に引っかかったのだとすれば、かなりタチの悪い女だ。

 ……いや、待て、落ち着け、先入観は禁物だ。まずはこの目で確かめないと。


 翌日は朝から志島啓人の住むアパート前で待機した。

 張り込み用に用意した白のトヨタはいささか俺の趣味にはそぐわない。だが肝心なのは、何処でも見かける、ありふれた車であることなのだ。


 見慣れたものは、違和感を感じさせない。記憶にも残らない。

 近くの駐車場の空きスペース、車通りの少ない住宅地の路上、コンビニの駐車場。怪しまれぬよう、少しずつ移動しながら見張る。


 しかしアレだね。尾行のつもりが、思いっきり張り込みになってやがる。そもそもこの男、ほとんど家の外に出やしねぇ。

 依頼人の話だと、割と頻繁に通販で本だの『それ以外の趣味のモノ』を買っていたらしいが……たまたま空き日に当たったのか、あるいは嗜好が変わったのか、配達員が訪れることはなかった。

 日没後、昼間からずっと締め切られていた窓の遮光カーテンのすき間から灯が漏れて来た。契約上、張り込むべき時間は夜の7時で終了。だが気になったので夜中までそのまま観察してみたが……ちらとも外に出る気配は無し。


 冗談抜きで部屋から一歩も出ずに一日過ごしやがった!


「……帰るか」


 いい加減、腹も減ったし咽もかわいてきた。馴染みのバーとはさほど距離は離れていないものの、これからのこのこ顏出したんじゃ閉店ぎりぎり、飲むにしろ食うにしろ落ち着かない。

 大人しく直帰するか。

 キーを回し、エンジンをかけながらざっと頭の中で冷蔵庫の中味をチェックしてみる。

 ……ほとんど空っぽだ。腹にたまりそうな物と言ったら思いつくのはせいぜい、ポークの缶詰めがいい所。飯もパンもありゃしない。


「しょーがねぇ」


 車を出し、最寄りのコンビニに向かう。ここからは歩いても5分とかかるまい。

 煌々と灯る青い看板の脇を抜けて店の中へ。この種の店はだいたい間取りが同じだ。何がどこに置いてあるのか、初めて入る店でもすぐにわかるのがありがたい。

 真っ先に栄養ドリンクをカゴに突っ込み、ついでに雑誌をチェックしていると……


(ぬ?)


 ちりっと首筋の毛がそばだつ。とっさに手にとった雑誌を顏の前に掲げ、ページの陰から入り口に目を見やると……ひょろ長い体格の若い男が一人。雲を踏むような足取りで入ってきた。

 顔色は青白く、油染みた髪の毛は長々と伸び、耳の周りや目の上にへばりついている。明らかに見ていて邪魔なんだが、はらいのけようって気にもならないらしい。


 頬も顎も半端に伸びた無精ヒゲに覆われている。気が向いた時にしか剃ってないのか、もともとの体毛が薄いのか。

 着ているグレイのスウェットの上下は、本来なら品のいい、良質なものなのだろう。だが何日も着たまま洗っていない。そのせいで着ている人間の体に合わせてぼっこりと膨れ、膝や肘の周りが伸び切り、歪んでいる。


 だが、まちがいなくあの男。

 志島啓人だ。

 おっそろしいね、身なりに気を使わないってのは! ここまで落ちるか。

 依頼人から見せられた写真では髪もヒゲもきちんと手入れして、ぱりっとした服着てにこにこ笑ってたってぇのに。しかしまぁ……あれだ。女がいるって線は薄いな。


 男なら苦笑で済ませるだらしなさも、女が。それも浮気相手が見ちまったら一発で愛想を尽かされる。

 それ以前にこの年季の入りっぷりときたら。耳の後ろに溜まった垢から察するに、こいつの不精は昨日今日に始まった物じゃあるまい。


 電話をもらって慌てて取り繕った所で、完全にリカバーできるとは思えない。

 第一あの肌の荒れっぷりはどうだ? まともな食事を取っていないと見た。

 

 にごった目を宙にさまよわせ、ふらふらと志島が歩いてくる。すれ違う瞬間、覚悟していたようなすえた臭いやあせ臭さは感じなかった。


(え?)


 ただ、ねっとりと人の脂の混じった、そのくせ妙に甘ったるい香りがした。

 体臭なのか。それともデオドランドスプレーだけは律義に噴いているのか。しかしこんなフレグランスは、今まで嗅いだことがない。

 何とはっきり判別はつかないが、そこはかとなく『和風』なイメージをまとった香りだ。


 それとなく距離を取りながら、自分も買い物をするふりをして観察した。

 志島はペットボトルに入ったお茶と弁当、菓子パン、オニギリを無造作にカゴに突っ込み、ふらふらとレジに向かう。栄養のバランスも味のとりあわせもあったもんじゃない。手当たり次第、そこにあったものを適当に突っ込んだって感じだ。


 念には念を入れて、買い物を終えた志島を尾行してみたがまっすぐにアパートに戻っただけだった。引きこもりでも一人暮らし。自分で自分の飯の面倒は見ないといけないって訳だ。心配してくれそうな彼女と友達も自分から遠ざけてるんだからな。


   ※


 それから三日間、張り込みを続けたが志島啓人の行動は、ほとんど変化がなかった。

 判ったことは、二つ。志島啓人は孤立している……しかも自ら望んで。浮気の可能性は極めて低い。

 入れ込んでる相手がいるとすれば、それは生身の人間ではない。少なくとも直接顏を見て、手の触れられる相手では、ない。


「……やっぱ引きこもりか?」


 浮気よりはマシな結果なんだろうな、依頼人にとっては。だが。

 何なんだろう、このざりっとした違和感は。まだだ。俺は、まだ大事な何かを見落としている。


 調査開始後、四日目。志島啓人の行動に変化が訪れた。

 やっこさん、ようやく重たい腰を上げてコンビニより遠くまで外出したのだ。身なりは相変わらずだったが、しかし顏つきが変わっていた。

 薄い唇を引き結び、落ちくぼんだ目の奥に妙にぎらつく光を宿し、足取りはまっすぐで迷いがない。ぼんやりしているどころか、むしろ一途すぎて、恐ろしいくらいだ。


 鬼気迫る形相で出かけた先は、ホームセンターだった。

 しかも続けざまに四軒はしごして、買ったブツは全部同じと来てる。

 七輪と練炭。

 一番小型のを選んではいたが、さすがに徒歩で持ち歩くのはきついと見える。一軒の店で一つ買ってはアパートに引き返し、また出かけては別の店でもう一つ。

 車を使わず、徒歩で移動してくれるのは尾行する身としては楽だが、何だってこんなめんどくさい買い方をするのか。


 最後にコンビニでマッチを買った。ガムテープも一緒に。

 その間、休憩も食事も一切なし。食料や水の買い出しも、無し。

 引きこもり生活で体力が落ちている身で、よくぞここまで動くものだ。事実アパートに戻る頃には志島は息を切らし、足を引きずり、歩くのもやっとと言う有り様だった。


 やれやれ、ようやくご帰参か。

 車に戻り、コンビニで買ったチョコバーをペットボトルの水で流し込む。

 しばし目を閉じ、彼の今日の行動を思い返した。

 人との繋がりを絶ち、家にひきこもる。用心深く別々の店で購入した練炭と七輪。マッチは点火用、ガムテープは……


「目張りか!」


 はっと目を開く。

 夕暮れの薄明かりの中。太陽はまだ西の空をぼんやりと照らし、青と橙とがせめぎあう。暗くはあるが灯をつけるにはまだ早い。

 光と闇のせめぎ合うあいまいな薄暗さの中、カーテンのすき間、窓の奥の暗がりでゆらゆらと、オレンジの小さな光がまたたいていた。

 予感的中!

 車から飛び出した。


次へ→



 鉄筋コンクリート建てのアパートの二階へ駆け上がる。 

 呼び鈴を鳴らすが応答無し。くすぶっていた不吉な予感が、どす黒い炎をあげて燃え出した。立て続けに何度も何度も鳴らしたが、反応はない。

 無視するつもりか、あるいは反応できないのか? あいにくとドアは頑丈な金属製だ。安普請なら、簡単にぶち破れるものを。『奥の手』で錠前だけ吹っ飛ばそうかと思ったが、音を聞かれちゃ厄介だ。

 ない頭を必死で捻って考えを巡らせる。外に回ってベランダから入るか? いや、もっと早い道がある。

 呼び鈴を鳴らす。ただし、今度は隣の部屋の。

 さて吉と出るか凶と出るか。


「はい?」


 賭けは吉と出た。隣の住人は在宅だった。のっそりとでてきたのは眠そうな顏の若い男。身分は志島と似たり寄ったりってとこだろう。うさんくさげにこっちを見てる。

 こう言う時はとにかく勢いだ。寝起きでぼーっとした頭の中に、矢継ぎ早に言葉を叩き込む。


「あ、俺、隣の部屋の志島啓人の友達なんですけど。学校出てこないんで心配して来てみたら、呼び鈴押しても返事がなくて」


 底の浅い出任せだが、聞かされた方はそこまで勘ぐる余裕も興味もなかろう。


「……はぁ」


 思った通り、面倒くさいって面してやがる。

 そうだな、押しかけた得体の知れない野郎からいきなりこんな事言われたって、協力するのは乗り気じゃなかろう。一秒も早くドアを閉めたいはずだ。極めてありふれた反応、だが手はある。対岸の火事が我が身に燃え移れば話は別だ。

 思わせてやればいい。

 放っておけば、自分の不利益になると。


「さっき、窓から見たらなんか、部屋の中が燃えてるっぽくて!」

「なっ!」


 いいぞ、顔色が変わった。さらに畳みかける。


「ほら、何か臭いませんか?」

「そう言えば、ちょっと焦げ臭いような」

「やっぱり。ちょっとベランダ通らせてください。早く消さないと!」


 慌ただしくチェーンが外され、ドアが開けられる。通り抜けるのにちょっとも沢山もあったもんじゃないんだが、この際捨て置く。


「ありがとう!」


 一旦踏み出し、数歩戻って視線を合わせる。


「あ、救急車呼んどいて」

「は、はいっ」


 土足ご容赦、時間が惜しい。フローリングの台所、それに続く六畳間を一気に駆け抜け、ベランダへ。


「よっと」


 間仕切りに手をかけ、床を蹴る。この程度の高さなら越えるのは造作もない。楽々と目的の部屋のベランダに到着、カーテンのすき間から中をのぞきこむと……

 思った通りのやばい光景が広がっていた。


 七輪がぐるりと楕円形に並べられ、中で練炭がぼうっとオレンジの光を放っている。円筒形にいくつもの小さな穴の開いた、干からびた蓮の花そっくりの形をしている。

 中央の布団に横たわってるのは、志島啓人……この四日間、俺が張り付いてきたご本人。だがコンビニで見かけた時とは大違い。いつ風呂に入ったのか見違えるほどさっぱりと身ぎれいになって、ご丁寧に白い服なんか着てやがる。

 そしてガラス戸やドアのすき間にはびっちりと、ガムテープで念入りに目張りがしてあった。


 もはや一刻の猶予もない。

 ガラス戸にはしっかり鍵がかかっている。となれば入る方法は、一つしかない。

 ベランダには観葉植物の鉢がいくつか並んでいた。世話もされず、すっかり見る影もなく干からびて、何が植わっているんだかさっぱり見当もつかないが、大事なのは、このずっしりした植木鉢だ。


「おらぁっ!」


 持ち上げて、振りかぶり、力いっぱいガラス戸に叩きつける。

 派手な音を立ててガラスが砕け散った。枠に残った破片を拳でたたき落とし、手を突っ込んで鍵を外す。力任せにガラス戸を開け放ち、部屋の中へと飛び込んだ。

 志島はぐったり目を閉じたまま、微動だにしない。間に合うか。

 破片を踏みにじって部屋の中を駆け抜ける。間取りは確か隣と同じはずだ。風呂場とおぼしきドアを開け放つと、幸いなことに。本当に幸いなことに、湯船にはお湯が張ったままになっていた。


「うぉりゃあああ!」


 片っ端から七輪を持ち上げ、(ちょっとばかり熱いがこの際無視だ、我慢だ、心頭滅却だ!)浴槽に叩き込んだ。一つ、二つ、ええいまどろっこしい、残りは二ついっぺんに! 

 じゅううう、じゅ、じゅ、じゅぉわぁ……

 水に落ちた練炭は獣の悲鳴みたいな音を上げ、さほど広くはない部屋の中にもうもうと水蒸気が立ちこめた。ビニールの燃える、ツーンとした臭みに顏をしかめる。

 何度嗅いでも好きになれない……セロリそっくりで。


「う……けほっ、けほっ」


 よし、咳き込むってことは生きてるって証拠だ。のしのしと歩み寄り、布団に横たわる色男の襟首をひっつかんで引き起こす。


「そら、起きろ! しゃんとしろ!」

「う……あぁ……」


 ベランダに引きずり出そうとしたその時だ。


「ダメェ」


 女の声を聞いた。

 赤い色が翻り、首筋にチクリと尖ったものが食い込む。


「こ……の……っ」


 人形だ。黒の地色に赤の模様が入った着物を着た、おかっぱ頭の和人形。大きさは30センチあるかないかってとこだろう。しかしこの顏は何だ? うりざね顔で、細い目。すうっと通った鼻筋に赤い唇……まるっきり人間の女じゃないか!

 幼女の体に成熟した女の顔。歪んだバランスの人形が、あおざめた顏で目を吊り上げて、俺ののど笛をかきむしってやがる。

 ちっぽけなくせに、カミソリみたいに鋭い爪がシャツを切り、皮膚を裂く。


「ヨクモ、ジャマシタワネェッ! 許サナインダカラ!」


 ふっくら赤い唇がくわっと耳まで割れ裂ける。中にはびっしりと鋭い牙が生えていた。

 お世辞にも気味の良い眺めとは言い難い。正直、背筋がぞぉっと冷えたがこの程度の怪異は慣れっこだ。

 むしろ、安心する。


「やっぱな。『てめぇ』が絡んでやがったか」


 ばっくり開いた口がのど笛にかじり付くより早く、右手を懐に突っ込んだ。ぞろりと引きだしたのは二十センチほどの長さの懐中電灯。ずっしりと重いアルミの軸を握り、かちりと回すと……ボトムの部分から、内部に仕込まれた銀色の刃が飛び出した。

 色だけじゃない。混じり気無しの『銀』の刃が。


「エ?」

「食らえ!」


 横殴りにちっぽけな頭に叩きつける。めり込んだ場所からクモの巣みたいに細かいヒビが走り、ぽんっと破裂した。


 びしゃあっと真っ赤な液体が飛び散る。顏に、腕に、床の上に。

 まばたきした刹那、景色が変わっていた。


(なっ?) 


 足下が板から畳敷きに変わっていた。左手には波打つ表面のつやつやした柱に支えられた床の間。廊下との境目は障子、背後には金びょうぶが広がっている。

 一面に飛び散る血、血、血………その中に白無垢の娘が転がっている。じっとり血を吸った綿帽子から、こぼれる髪は乱れたおかっぱ。足袋からのぞく足首は青白く、既に死人の肌の色。

 婚礼の席に突然降りかかった惨劇。その一幕に放り込まれたかのような錯覚に囚われる。

 だが。


 俺は、知っている。

 俺が飛び込んだのはこの部屋じゃない。

 

「往生際悪ぃぜ」


 仕込みライトを握り直す。

 もうちょっと勉強しといた方がいい。生きた体から飛び散る血はこんな『きれいな』形には、飛ばない。

 理想的な血しぶき。理想的な惨劇。

 こいつはただの舞台装置だ。


「……失せな」


 二撃目で、残りの胴体も残さず砕け散った。ぶわっと着物に縫い込まれていた綿が飛び散る。

 からからからりと乾いた音を立て、うつろな破片が降り積む先はフローリングの床の上。

 それが、現実だ。


「あ……れ……僕……は? うっく、げぇっほ、ごっほっ」


 ひっくり返っていた青年が起き上がり、咳き込んでいる。

 急いで玄関のドアを開け放ち、台所と風呂場の換気扇を『強』で回した。部屋の中に充満していた、無色無臭の危険極まりない気体を追い出すために。


「間一髪だったな、青年。あやうく向こうへ引っ張られる所だったんだぜ?」

「あ………」


 思い当たる節があるのだろう。志島啓人は顏を引きつらせ、ぎゅっと服の上から自らの左胸を握っている。表情から判断する限り、こいつは俺の言葉の意味を理解しているようだった。


 落ち着いてから見回すと、部屋の壁はあます所なくガラス戸付きの飾り棚で覆われていた。

 中には食玩、カプセルトイとおぼしき小さなフィギュアから、掌サイズの着せ替え人形、はては球体関節式の本格的なものまで。ありとあらゆる種類のヒトガタが、所狭しと並んでいる。

 うつろなほほ笑みを浮かべ、うつろな眼差しを向けている。絵の具で描いた目はまだいい。本物そっくりの人造の目玉を入れた奴はそれこそ、ちっぽけな人間に見られているようで、妙に落ち着かない。


 ちっぽけなのは手のひらに乗るサイズ、でかいのは70cmほどはあるんじゃなかろうか。

 なるほど、通販でせっせと買い集めていた『趣味のモノ』ってのはこれか。即座に合点が行った。この中にならあの日本人形の一つや二つ、混じっていても不思議はない。


 救急車のサイレンの音が近づいてくる。隣の奴は律義にリクエストに答えてくれたらしい。

 かちりとハンディライトの軸を回して、元通り刃を収めた。人に見られたら用途の説明に困る代物だが、幸い、今の志島にはそんな事を気にしてる余裕はなさそうだ。


「……ありがとうございました」

「礼なら……」


 彼女に言えと、言いかけてそれとなく言葉を差し替える。


「隣の奴に言っとけ」


 返事を待たずに部屋を出た。

 俺が何者で、何故、このタイミングで押しかけてきたのか。理由を説明するのは、俺の役目じゃない。


  ※

 

 後日、後藤早苗が事務所を訪れた。彼氏の自殺未遂にショックを受けてはいたものの、思ったよりしっかりしていたのだが。

 困ったことに彼女は、浮気調査を依頼したことを悔やんでいるようだった。


「私……私、彼を疑っていました。でも、本当は悩んでいたんですね。苦しんでいたんですね。あ、あんな事をしてしまうほど……」


 自分を責めちゃいけない。気にするな。どう言ったところで彼女の罪悪感は消えない。あまり慰めにはなるまい。

 だからほほ笑んで、肯定するに留める。


「あなたが俺を雇ったことが、結果として彼の命を救うことに繋がったんだ。結果オーライって奴ですよ」

「は……い」

「それだけ覚えておけばいい」


 嘘は言っていない。


「そうだ、後藤さん。あなたを遠ざける少し前に、彼は——新しい人形を手に入れてはいませんでしたか? どこからか買うか、誰かからもらうかして」

「人形!」


 顔色が変わった。


「そうです。黒地に赤い模様の着物の日本人形。心当たりは?」

「買ってました! ネットオークションで落札したって……私、やめてくれって言ったんですけど、ずっと身近に置いて、可愛がっていて。それはもう、見ていて薄気味悪くなるくらいでした」


 BINGO。

 あのコレクションを見ても引かなかった彼女をドン引きさせたくらいだ、どれほど偏執的に入れ込んでいたかは容易に想像が付く。

 やはり、あいつが『器』だったんだ。

 恐らくオークションのページを目にした段階で引っかかってたんだろうな。

『連中』の目くらましは巧妙だ。たとえ絵でも写真でもいい。己の姿を目にした獲物を引き寄せる。

 明確にではないものの、早苗は察していたのだろう。美しい少女人形が、志島啓人から自分を遠ざけ、彼を死に誘っていたことを。

 女性ならではの勘の良さで。『あれ』が女を象った姿をしていたからこそ、より鋭敏に。


「心配ありませんよ。あの人形があなたを患わせることは、二度とない」


 早苗はほっと安堵の息を吐き、表情をやわらげた。


 人形は『今にも動き出しそう』だからきれいだの可愛いだの言ってられるんだ。

 実際に動いちまったら、恐怖以外の何者でもない。


   ※


 こうして、事件は解決した。


 後日、聞いた話だが早苗は「気味が悪いから」の一言で、彼氏の人形コレクションを……フィギュアもガレキもドールも球体関節人形もまとめて一切合切、処分したそうだ。志島も異論は唱えなかった。

 この一件でさすがに懲りたらしい。

 ネットオークションかと聞いたら、彼女はきっぱりと電話越しにこう答えた。


「まさか! そんなちまちまやってられません。まとめて近所のリサイクルショップにたたき売って来ました」


 ……賢明な判断だ。


 ある意味、後藤早苗は正しかった。実際の所、彼はロクでもない女に引っかかっていたのだから——相手が人外だったってだけの話。

 別に珍しいことじゃない。俺がじぃ様から受け継いだ『才能』は否応なくこの種の輩と引き合い、響きあう。勢い、手がける事件は『この世ならぬモノ』が絡む多くなる。

 悪霊、怨霊、幽霊、妖怪、妖魔、悪魔。言い方はそれぞれだが、煎じて詰めれば要するに、敵意を持った『あっち側』の存在ってことだ。

 宿命なのだとじぃ様は言うが、俺としちゃそれも悪くないと思ってる。

 恐怖を忘れることはできないが、立ち向かうことができる。

 奴らを狩る時、内側からわき起こる怒りと、高揚感こそが教えてくれるのだ。その力が自分にはあると。


 俺は西門倫三。

 それなりに有能な探偵で、そこそこに優秀な……『狩人』だ。


(『探偵』西門倫三の日常/了)

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