第一話っぽいもの
――私は、一目見た瞬間に、その少年に心を奪われた。
夜の闇と同化するような漆黒の髪に、透き通る白い肌。金色の澄んだ美しい瞳。顔全体のバランスがよく、まるで人形――いや、人形なんかよりも遥かに精密で、神が創った選ばれた人間に違い無い。
そう、私は思った。
今にして思えば、少年は人間の形をしていただけで、人間なんかより遥かに美しく高貴な心を持った何かに違い無いと思う。
その少年は実際のところ、そうであったに違い無いのだけれど――。
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「うー、さっむ……。もう六月だけど雨の日は堪えるわねぇ……あー、やだやだ。何おばさん臭いこと言ってるのかしら」
別に隣に誰かいるわけでもないのに、独り言を発する。その時点で既におばさん臭さを感じるどうしようもない、今年で二十一歳な私。全然おばさんなんかじゃない年齢ながらも、友人達にもよく『あんたっておばちゃん臭いわよね』と言わしめる二十一歳であった。
雨は止む気配を一向に見せず、三日前から降り続いている。おかげで辺りは水浸しで、水溜りだらけだ。歩き難いヒールによって踏みしめられる地面からはパシャパシャと、差しているビニール傘の上に滴る雨の音がひたすらにする。横を走る車や、自分自身でスーツを汚さないように気をつけながら歩いているものの、傘から滴る水滴と横殴りな雨によってスーツの上も下も既にぐしょぐしょだった。
会社から自宅までは歩いて三十分ほどかかる。おかげでスーツはぐっしょり。こんな雨の日くらいタクシーで帰りたいものだが、無駄遣いは良くないと自分を律している。なので此処のところ降り続いている雨にも負けずに徒歩通勤なので、スーツが汚れるのなんの。
朝会社に行けば「大丈夫?」「どうしたの?」と言われ、帰ってすぐにスーツを洗って干す。
「はぁ~……もう、めんどくさいなぁ……」
ぴとぴとと、少しずつ止む気配を見せる雨。明日には止んでくれるだろうか。
空はまだ暗く、灰色どころか真っ黒な色をしている。この辺りにある街灯もまばらで、辺りは暗い。夜になればこの辺りの人通りは少なく、車すら滅多に通らない。民家ならいくつか建っているけど、既に夜の十一時を回っているせいで遠くの家にしか明かりは点っていない。
雨音と、靴音と、白い息。少しだけ不気味に思ってしまった。小さい頃に夜道を不気味に思うことはあったけど最近は帰りが遅くなってもそんなことまったく思ってなかったのに珍しいこともあるものだと自分で思う。
最近彼氏と別れて寂しい……とか? いや、寂しく思って夜道を不気味に思うのは可笑しいか。まあ、なんでもいっか。
ビニール傘に落ちる雨音が少しずつ音を減らす。そろそろ、止むかな?
ビニール傘を避けて空を見上げようとして――私の視線は目の前の人と思しき物に止まった。
「う、わっ!?」
この通りで人がいることなど滅多にないものだから思わず声をあげてしまった。
しかしまあ、人がいただけで吃驚してしまったら相手に失礼だ。しかしなんと謝ったものか……というか、謝ったほうがいいのかな。
私が謝るべきか否か悩む数秒の間に、目の前にいる人――いや、少年は顔を上げた。
その顔の美しさに、私はまた別の驚きを覚えた。
最初に見かけたときは、黒いパーカーを着ていたせいで目視が遅れてしまって驚いて、二度目の驚きは、その少年の――美しさ。
夜の闇と同化するような漆黒の髪に、暗い夜道にくっきりと浮かび分かる透き通る白い肌。金色の澄んだ美しい瞳。
よく、漫画やなんかで表現される『息を呑む美しさ』というのはこういうことだったのかと理解する。
なんだか妙に冷静に美しいとか思ってるけど……よく考えたら今夜の十一時なんですけど? あれ?
目の前にいる少年との距離はまだ十メートルほどあるが、どう見てもいいとこ十六、七である。普通に考えれば十五歳くらいに見える。
えー……これなんか厄介事かなぁ……と思わず。
私の中にある脳内選択支は三つ!
一.声を掛ける。
二.とりあえずこのまま静止。
三.スルー。
さあどれ!?
……普通に考えたら一……よね。
ってことでさっきの悲鳴(?)は流してれっつごー。深夜なのに変なテンションでレッツゴー。とりあえず少年との距離を縮める。
「えっと、君お家はどこ?」
少年との間合いを詰めている間も少年は身動き一つしないで私をじっと見ていた。
「……」
まさかのMUGON☆
さて、これはどうしたものか。家出少年とか?
「こんなところにいてもおまわりさんが来て補導されちゃうよ? 私でよかったら送っていくからお家教えて?」
「……」
うぅむ……。心を閉ざしちゃってる感じの少年なのかしら。
困った表情で少年を見て、ふと空を見上げる。もう傘は閉じてしまっているがまだ雨は降り続いている。
よく見ると目の前にいるこの男の子はずぶ濡れだった。それもそうか。さっきまであんな激しく雨が降っていたのに傘も差さずにきっと、ずっと外にいたのだろうから。着ている服からは普通に水が滴っている。
このままでは風邪を引きそうなような……。私の良心がちくりと痛む。
いやいや、でも私の家に上げちゃったら私が犯罪者になってしまったりなんかしちゃう気が……。
いやなんかそれ以前に、私もなんだかんだで結構濡れてるから早く家に帰って着替えたい気がしないでも無い。
「……お家、帰りたくないの?」
私はつい、少年を見つめていってしまった。
少年はゆっくりとした動きでコクッと一回首を縦に振った。肯定ですか……。
私は小さく溜め息を吐いた。
「じゃあ、私の家に来る?」
少年は返事をせずにまた首を縦に振った。
私は少年の手を取り、私の家へと続く道を再び傘を開いて一緒に歩いた。
少年は何も言わず、ただ無言で私の手をそっと握り返してきた。私より小さなその手はずっと外にいたせいかひんやりと冷たかった。
私は多少の背徳感はあったものの、まるでこうなるのが当たり前かのように何故だか感じた。
ちょっとずつ、降り続いていた雨が止んでいく。
暗く、冷たい夜道に、小さな明かりが灯ったような不思議な温かさ。
どこからか、覚えのある花の香りがした。
これは確か――紫陽花だ。
どこか遠くのほうで、咲いていて匂いが風に乗ってやってきたのか、かすかに甘い匂いが鼻をくすぐった。
――そうか、ここ最近ずっと雨続きだったのはもうすっかり梅雨だったからか。
頭の片隅の奥の奥で、そんな風に思った。
これもだいぶ前に書いたのです。
ですが、もちろんというべきか終わっていません。
手をつけては放置で、申し訳ないです。