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徹夜続きのゲーム開発者、気づいたら自分が作ったはずの文明調律RPGに転移していました 第二部  作者: マスター


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第19話 捨てた塩は、消えない

第19話です。


第18話では、オルドアで百年以上使われていなかった《旧夜間冷却路》を部分的に再稼働させました。


昼は即時性に優れた散水冷却塔。


夜は砂漠の冷気を利用し、水蒸気を回収する夜間冷却路。


二つの仕組みを使い分けることで、都市を冷やした水を使い捨てず、中央貯水宮へ戻す流れが作られ始めました。


その結果、第七深井戸の負担は低下し、ハディル村から都市へ流出していた地下水も減速しました。


しかし、水を戻す流れが強くなったことで、新たな問題が表面化します。


《Another Route Seed》に侵食された《古代熱塩分離核》から、地下の塩が淡水側へ入り始めたのです。


水を循環させる道はできました。


けれど、水と塩を分ける心臓が壊れようとしています。


日の出まで、約二時間。


日が昇れば都市の冷却需要が増え、再び大量の水を動かさなければなりません。


澪たちは再び、都市の下にある塩の海へ降ります。

二度目の深層降下は、一度目より怖かった。


何があるかわからない場所へ向かうのも怖い。


だが、何があるか知ったうえで、もう一度向かう方が怖いこともある。


高温の熱塩水。


塩害で脆くなった通路。


壊れた下部戻り管。


二十年以上、都市の重さを支え続けてきた白塩竜。


そして、そのさらに奥で侵食を始めている《Another Route Seed》。


神代澪は耐熱服の留め具を確認しながら、中央貯水宮の底を見下ろした。


「装備、重い……」


「前回も同じ感想を言っていました」


セラフィナが答える。


「二回目なら軽くなるかと思って」


「装備の重量は、使用回数では変化しません」


「知ってるよ」


隣では、ミルカが新しく用意された資材を確認している。


耐熱固定具。


交換用の合金管。


可搬式圧力計。


分離核制御板。


六角形の小型構造枠。


どれも下部戻り管の完全修復には足りない。


だが、黒い種を分離核から引き離し、最低限の循環を戻すための材料はそろった。


フィリアは、胸元の保護容器にいるネレイアへ話しかけていた。


「つらくなったら、すぐ教えてください」


青い精霊が、淡く明滅する。


前回より光は戻っている。


それでも、深層熱塩水帯がネレイアにとって過酷な場所であることは変わらない。


澪はフィリアへ言った。


「白塩竜の声を聞くためだけに、無理をさせないで」


「はい」


「私たちが困ったからって、この子へ全部聞かせるのも違うから」


フィリアは、少しだけ微笑んだ。


「わかっています」


最初の頃の澪なら、ネレイアを便利な情報取得手段として考えたかもしれない。


未知精霊。

特殊感応能力。

水脈探知。

大型存在との意思疎通。


ゲームなら、そういう能力として整理する。


けれど、ネレイアもまた、怖がり、疲れ、選ぶ存在だ。


それを忘れてはいけない。


中央貯水宮の制御台では、技術主任リハラが地上側の流量を確認していた。


「夜間冷却路からの戻り水は、塩分上昇系統を切り離した。現在は三系統のうち二系統のみを使用している」


「都市の冷却は?」


澪が尋ねる。


「夜間は維持できる。だが、日の出後は足りない」


「あとどれくらい?」


「二時間を切った」


水務卿ナジームが、伝声石を澪へ差し出す。


「地上側と常時接続する。アオイ、ルシェリア、ライカの三名は、すでに配置についている」


澪が石へ触れると、ライカの声がすぐに響いた。


『ミオ! 聞こえる?』


「聞こえるよ」


『ハディル村の巨人、まだ寝てる! でも指がちょっと動いた!』


「地下水の匂いは?」


『都市へ引っ張られる感じは弱くなってる。でも、土の下で黒い匂いが増えてる』


黒い種の影響だろう。


熱塩分離核の侵食が進めば、淡水側へ塩が入る。


西方地脈涵養路を通じて、塩分がハディル村側へ流れる危険もある。


都市を救うために作った水路が、今度は村へ塩を運ぶ道になりかねない。


アオイの声が続いた。


『旧夜間冷却路は、補修班が維持しています。流量を変える場合は、いつでも指示してください』


ルシェリアも言う。


『風の流れは安定しています。ただ、東の空がわずかに明るくなり始めました』


時間がない。


澪は三人へ言った。


「地下で分離核を触ったら、流量と温度が変わる。こちらの指示が届かない時は、地上の状況を優先して」


アオイが答える。


『私たちで判断してよいのですね』


「うん」


一瞬、言葉に詰まりそうになった。


以前の澪なら、すべて自分が決めようとした。


自分が仕様を知っている。


自分がルートを知っている。


自分が正解を選ばなければならない。


けれど、今はわかる。


地下にいる澪には、地上の風は見えない。


ハディル村の土の揺れもわからない。


都市の配水所で何が起きているかも見えない。


「私の指示より、現場で見えているものを信じて」


『はい』


アオイの返事は静かだった。


それでも、少し嬉しそうに聞こえた。


昇降台の制御棒を、ミルカが倒す。


「降りるよ」


金属の足場が、ゆっくりと沈み始めた。


地上の灯りが遠ざかる。


白い塩の結晶が、壁を覆っていく。


やがて、都市の下にある塩の海が姿を現した。


***


白塩竜は、まだ熱交換塔へ身体を巻きつけていた。


六本の保守用支持柱は、前回のまま管を支えている。


セラフィナが残した光剣も、通路の入口で弱い光を放っていた。


だが、前回とは違うものがあった。


白塩竜の身体を覆う白い結晶に、赤黒い線が増えている。


血管のように。


ひび割れのように。


黒い種の根が、竜の身体から下部戻り管を伝い、熱交換塔の底へ伸びていた。


調律核に警告が浮かぶ。


《古代熱塩分離核:侵食率 11%》

《白塩竜休眠解除率:34%》

《下部戻り管支持強度:低下中》


「さっき九パーセントだったよね」


澪が言う。


ミルカの表情が険しくなる。


「地上で塩分系統を分離したから、黒い種が押し返された。それで核への侵食を強めたんだと思う」


「止められたから、別の場所を壊そうとしてる?」


「壊そうとしてるというより、流れやすい方へ進んでる」


黒い種に、明確な悪意があるとは限らない。


けれど、苦しみや偏りがある場所へ入り込み、それを増幅する。


今、一番大きな偏りは熱塩分離核に集中している。


「白塩竜の状態は?」


澪が尋ねる。


フィリアがネレイアの保護容器を開く。


青い光が、白塩竜へ細く伸びた。


直接触れない。


少し離れた場所から、呼吸と感情を確かめる。


「苦しいです」


フィリアが言った。


「でも、前より少し軽い。支持柱が重さを受けてくれているから」


白塩竜の尾が、熱塩水の中でわずかに動いた。


大きな波は起きない。


こちらの存在を認識している。


「戻ってきたよ」


澪は竜へ向かって言った。


「完全に直せるかは、まだわからない。でも、約束したから」


白塩竜の目は閉じたまま。


返事もない。


ただ、呼吸の間隔が少しだけ穏やかになった。


「まず分離核へ行く」


ミルカが構造図を開く。


熱交換塔の底。


下部戻り管が断裂した先。


そこへ向かう点検路は、塩の結晶と熱塩水によって塞がれている。


前回、白塩竜の尾が示した方向だ。


「通れる?」


澪が聞く。


「今のままでは無理。でも、白塩竜が少し身体を浮かせられれば、腹部の下に保守通路がある」


「動かしたら管が落ちない?」


「六本の支持柱だけでは足りない」


ミルカは持ち込んだ六角形の構造枠を見る。


「この補助枠を下部管へ入れる。荷重をもう少し受ければ、竜が身体を数十センチ浮かせられる」


数十センチ。


それだけで、人が通れる隙間ができる。


「白塩竜に頼める?」


澪はフィリアを見る。


フィリアはネレイアを通じて、竜へ伝える。


「少しだけ、重さを預けてください。私たちが下へ行けるように」


白い結晶が、かすかに鳴った。


ぱき。


竜の身体が動こうとする。


その瞬間、赤黒い根が強く光った。


白塩竜の首が震える。


熱塩水が大きくうねった。


「止めて!」


澪が叫ぶ。


フィリアがすぐに言葉を届ける。


「まだです! 動かなくて大丈夫です!」


竜は再び動きを止めた。


「黒い種が、動こうとした痛みに反応した」


セラフィナが光剣を構える。


「根を抑えます」


「切らないで」


「承知しています」


六本の光剣が、白塩竜の周囲へ配置される。


赤黒い根を斬るのではない。


動ける方向を制限し、分離核へ追加の力が流れ込まないようにする。


ミルカは支持柱の間へ補助構造枠を運ぶ。


重い。


耐熱服を着たままでは、動きも鈍い。


「フィリア、管の中の流れ!」


「今は弱いです。でも、一定ではありません」


「次に圧が下がる瞬間を教えて!」


フィリアが目を閉じる。


ネレイアが下部戻り管の周囲へ青い光を伸ばす。


「今です!」


ミルカが補助枠を押し込む。


金属が管の下へ入る。


構造線が六本の支持柱と接続する。


「固定!」


金色の光が走った。


ごん。


熱交換塔全体が低く鳴る。


白塩竜へかかっていた荷重の一部が、新しい構造へ移る。


《下部戻り管仮支持:強化》

《白塩竜荷重負担:63% → 46%》


「四十六……」


澪は表示を見る。


まだ半分近くを竜が支えている。


それでも、前回より大きく減った。


フィリアが白塩竜へ声を届ける。


「今なら、少しだけ動けます」


竜の身体が、ゆっくりと持ち上がる。


結晶が軋む。


赤黒い根が暴れようとする。


セラフィナの光剣が進路を押さえる。


「維持します」


白塩竜の腹部と通路の間に、狭い隙間ができた。


人一人が、屈んで通れる程度。


「今のうち!」


ミルカが先頭へ入る。


続いてフィリア。


澪。


最後にセラフィナ。


四人が通り抜けた直後、白塩竜は再び身体を下ろした。


通路の向こう側には、熱交換塔の内部へ続く階段があった。


階段の下から、赤黒い光が漏れている。


***


古代熱塩分離核は、巨大な六角形の部屋だった。


中央には、縦長の透明な槽。


槽の中では、二種類の水が層を作っている。


上部には淡い青の水。


下部には白く濁った高濃度の塩水。


本来なら混ざらないように保たれていたはずだ。


だが今は、境界面が大きく揺れている。


下から白い塩水が上昇し、青い淡水へ筋状に入り込んでいた。


槽の周囲には六本の制御柱。


それぞれに古代文字が刻まれている。


《淡水返送》

《濃塩集積》

《熱圧転送》

《結晶排出》

《流量均衡》

《緊急排出》


最後の一本。


《緊急排出》に、黒い種の根が集中していた。


赤黒い根は制御柱を覆い、強く脈打っている。


澪の調律核が反応した。


《古代熱塩分離核:到達》

《侵食率:13%》

《緊急排出機構:自動起動準備》

《排出先:西方地脈》

《起動まで:九分》


「西方地脈……」


フィリアが息を呑む。


西方地脈涵養路。


ハディル村へつながる地下水脈。


都市の淡水系統へ入ろうとしている塩を、村側へ排出しようとしている。


システム表示が追加される。


《緊急対応案》

《濃塩水を西方地脈へ排出》

《予測:オルドア淡水系統塩害回避》

《予測:熱塩分離核圧力正常化》

《予測:都市存続率上昇》


一瞬、それだけが表示された。


続いて、少し遅れて別の結果が浮かぶ。


《副次予測:西方地下水塩分上昇》

《副次予測:ハディル村農地回復不能化》

《副次予測:渇きの巨人虚無化促進》

《副次予測:難民増加》


「都市を救うために、村へ塩を捨てるルート」


澪は言った。


声が低くなる。


これが最短の解決策だ。


分離核の中に溜まった濃塩水を、西方へ逃がす。


都市の淡水は守られる。


地下の圧力も下がる。


日の出までに間に合う。


十二万人の都市は救われる。


その代わり、ハディル村の地下水は塩に汚染される。


わずかに残った土の生命も失われる。


渇きの巨人は、塩と虚無をまとった完全な怪物になるかもしれない。


「ゲーム版の都市存続ルート」


澪は呟いた。


記憶の中に、似た選択肢があった。


砂漠都市を守るため、地下圧を辺境へ逃がす。


都市の被害は抑えられる。


プレイヤーは報酬を得る。


難民問題は、後の章へ送られる。


画面上では、村の土がどうなったかまでは描かれない。


「これを、私は正解の一つとして作った」


フィリアが澪を見る。


責める顔ではない。


ただ、悲しそうだった。


澪は表示から目を逸らさなかった。


「都市を守るなら、効率はいい。早いし、成功率も高い」


「ですが」


セラフィナが緊急排出柱を見る。


「塩は消えません」


「うん」


澪は頷いた。


「見えない場所へ移すだけ」


排水。

廃棄物。

熱。

塩。

虚無。

痛み。


自分たちの場所から出ていけば、消えたように見える。


だが、行き先では誰かが受け取る。


海洋異変でも同じだった。


都市の排水を海へ流す。


見えなくなった汚れは、海底へ蓄積する。


今度は、都市の塩を村へ流そうとしている。


「緊急排出は使わない」


澪は言った。


ミルカが中央槽を見上げる。


「じゃあ、溜まった塩をどうする?」


「分けたまま、別の出口を作る」


「どこへ?」


答えがない。


塩は消せない。


水へ戻せば淡水が汚れる。


西へ流せば村が死ぬ。


熱塩水帯へ落とせば、深層の塩分と圧力がさらに上がる。


地上へ持ち出せばよいのか。


だが、濃塩水の量は大きい。


すべてを容器へ入れて運ぶのは現実的ではない。


フィリアが中央槽へ近づく。


ネレイアが、下部の白い塩水を見つめる。


「水と塩を、完全に別々にできませんか」


ミルカが六本の制御柱を見る。


「本来は、それをする装置だと思う」


「《結晶排出》」


澪が文字を読む。


緊急排出とは別に、塩を結晶として外へ出す機構がある。


ミルカが結晶排出柱を調べる。


「動いてない。塩の排出口が詰まってる」


「どこへ出すの?」


「構造図では……熱交換塔の外周」


白塩竜がいる場所。


澪は思い出す。


白塩竜は、漏れ口で生まれる塩を鱗へ取り込み続けていた。


本来、熱塩分離核で濃縮された塩は、熱交換塔の外周へ送り出され、白塩竜が結晶を整えていたのではないか。


竜は塩をただ受ける存在ではない。


塩を結晶化し、循環から分離する役割を持っていた。


「白塩竜へ塩を押しつけるの?」


フィリアが不安そうに聞く。


「今までみたいにはしない」


澪は言った。


「竜の身体へ積み上げるんじゃなくて、外せる場所に結晶を作る」


ミルカが構造図を広げる。


熱交換塔の外周には、用途不明だった複数の受け皿がある。


六角形の浅い槽。


白塩竜の尾の周囲。


「結晶床」


ミルカの目が見開かれる。


「本来は、白塩竜が塩を結晶床へ集めてたんだ。固まった塩を地上へ運び出せるように」


「塩を資源として使ってた?」


澪が尋ねる。


「保存、皮なめし、建材、薬、工業。使い道はある。でも量が多すぎれば毒になる」


「だから、必要な分だけ取り出して、余りを管理する」


捨てない。


だが、無理に循環へ戻しもしない。


塩は水とは違う。


すべてを同じ場所へ戻せばよいわけではない。


水から分け、固体として取り出し、量を管理する。


「結晶排出機構を直す」


澪は言った。


「白塩竜に協力してもらって、塩を結晶床へ移す」


「問題がある」


ミルカは結晶排出柱の内部を示す。


「排出路が完全に詰まってる。しかも黒い種が緊急排出へ流れを向けてる」


「黒い根を外す必要がありますね」


セラフィナが光剣を構える。


「切れば散る?」


澪が尋ねる。


「可能性があります」


黒い種は分離核の制御柱へ入り込んでいる。


斬れば破片が淡水槽や濃塩槽へ落ちる。


それぞれの水路へ広がる危険がある。


「切らずに、移動させる」


澪は黒い根を見る。


黒い種が求めているのは、ただ塩ではない。


都市の恐れ。


村の怒り。


どちらかを犠牲にしなければならないという絶望。


それらが、緊急排出機構へ集まっている。


「地上へつないで」


澪は通信石板を開く。


アオイたちの声が返ってくる。


「ハディル村へ、今起きていることを伝えて」


ナジームの声も地上側から入る。


『濃塩水を西方へ排出する可能性についてか』


「はい。隠したら、黒い種の力になる」


『住民が反発する』


「反発して当然です」


都市を救うために、自分たちの土地へ塩を流そうとしている。


聞けば怒る。


怖がる。


都市への不信も強くなる。


それでも、決めた後で結果だけ押しつけるよりいい。


「緊急排出はしないと先に伝えてください」


澪は言った。


「そのうえで、塩を結晶として取り出す作業へ、村側にも監視を出してもらう」


『都市の地下施設へ、村の者を入れるのか』


ザヒーラの声だった。


「今すぐ深層へ入れるわけではありません。でも、地上の結晶保管と記録には参加してもらう。都市が塩をどれだけ取り出し、どこへ置くのか、村側も確認できるようにする」


秘密にすれば、また同じことが起きる。


都市が、本当は村へ塩を流したのではないか。


記録をごまかしているのではないか。


その疑いは残り続ける。


なら、最初から共同で見る。


ナジームが答えた。


『サディクへ連絡する』


アオイも言う。


『避難所の人々へ、私から説明します』


ルシェリアが続ける。


『怒りを抑えるのではなく、壊れずに話せる場を作ります』


ライカの声も入る。


『ハディル村とオルドア、両方の記録を運ぶ!』


「お願い」


通信が続いたまま、澪は調律核を見る。


《西方地脈緊急排出:未実行》

《都市側情報開示:開始》

《村落側監視参加:提案》

《犠牲転嫁傾向:低下》


黒い根の脈動が、わずかに弱くなった。


「今」


澪が言う。


「セラフィナ、根を緊急排出柱から離して」


六本の光剣が、黒い根の周囲へ配置される。


斬らない。


根が伸びられる方向を、一つずつ閉じていく。


緊急排出柱から、中央槽の外側へ。


淡水槽へ入らないように。


濃塩槽へ落ちないように。


黒い種を、空の隔離枠へ誘導する。


ミルカが持ち込んだ六角形の小型構造枠を開く。


「一時隔離枠、展開!」


金色の線が、黒い根の行き先を囲う。


フィリアとネレイアが、その内部へわずかな水の流れを作る。


「こちらです」


フィリアが語りかける。


「村へ捨てなくていい。都市へ戻らなくていい。ここに、止まれる場所があります」


黒い種は、苦しみが流れる方へ根を伸ばす。


なら、完全に閉じ込めるより、一度入れる場所を作る。


黒い根の先が、緊急排出柱から離れた。


一本。


二本。


赤黒い光が、六角形の隔離枠へ移る。


調律核の表示が変わる。


《Another Route Seed:緊急排出機構から分離中》

《侵食率:13% → 10%》


「ミルカ!」


「結晶排出路、開ける!」


ミルカが制御柱へ工具を入れる。


古い歯車が動かない。


塩で完全に固着している。


「セラフィナ、表面だけ剥がして!」


白銀の光剣が、歯車の周囲の塩を薄く削る。


「フィリア、内部の水圧!」


「高いです! 急に開けると塩水が噴きます!」


「少しずつ回す!」


ミルカが両手で弁を押す。


動かない。


「重い!」


澪は調律核を見る。


結晶排出柱の向こうにある流路。


白塩竜の近くへ続く結晶床。


だが、途中の一か所で圧力が跳ね上がっている。


「出口側も詰まってる!」


「どこ?」


「白塩竜の尾の近く!」


地上ではない。


熱交換塔の外周。


今いる分離核の部屋からは届かない。


「白塩竜に、外から少しだけ結晶を崩してもらえない?」


澪はフィリアを見る。


フィリアがネレイアを通じて伝える。


「出口に、塩が詰まっています。尾の近くです。動かせますか」


返事はすぐには来なかった。


白塩竜は、まだ管を支えている。


荷重は減ったとはいえ、自由に動けるわけではない。


「無理ならいい」


澪は言う。


「また別の方法を探す」


その時。


遠くで、重い音がした。


ごん。


続いて、何かが砕ける音。


ぱきぱきぱき――。


構造図の圧力表示が下がった。


白塩竜が、尾をほんの少しだけ動かし、結晶床の出口を覆っていた古い塩を砕いたのだ。


「開いた!」


ミルカが叫ぶ。


結晶排出弁が動く。


最初は、わずかに。


次に、もう少し。


白く濁った濃塩水が、中央槽の下部から排出路へ入った。


そのまま外へ流れるのではない。


細い流路の中で熱を失い、塩分濃度を上げる。


やがて、白い粒が生まれ始めた。


塩の結晶。


それが熱交換塔外周の結晶床へ運ばれていく。


フィリアが目を閉じる。


「白塩竜が、整えています」


竜の尾の周囲で、白い結晶が規則正しく成長する。


身体へ積み上がるのではない。


六角形の結晶床の上へ。


薄い板状になり、重なっていく。


後で外し、地上へ運べる形。


《結晶排出機構:再起動》

《濃塩水圧:低下》

《淡水側塩分混入:減少》

《西方地脈緊急排出:回避》


「できた……」


澪が息を吐く。


だが、ミルカは制御柱から目を離さない。


「まだ熱が残る!」


塩を分けた。


水は淡水側へ戻せる。


しかし、分離核には深層から受け取った熱が集中している。


《熱圧転送》の柱が、赤く明滅していた。


「地上側!」


澪は通信へ叫ぶ。


「熱圧を送る! 夜間冷却路の流量を上げて!」


リハラの声が返る。


『上げられるのは現在の一・四倍までだ! それ以上は仮設結露布が持たない!』


「一・三倍で!」


ルシェリアが言う。


『風を北側へ広げます』


アオイも続く。


『放熱板を支えます』


ライカの声。


『温度が上がった場所を走って知らせる!』


地上側が動く。


澪は熱圧転送柱を見る。


黒い種の根は、まだ隔離枠の中で脈打っている。


熱圧を一気に流せば、その変化に反応するかもしれない。


「ゆっくり」


澪は言った。


「熱を一気に押し出さない。地上が受け取れる量だけ」


ミルカが熱圧弁へ手をかける。


「地上流量、一・三倍を確認!」


「開けて」


弁が動く。


分離核に溜まっていた熱が、温水と蒸気の流れに乗る。


熱交換塔を上がる。


中央貯水宮へ。


都市上層の旧夜間冷却路へ。


ルシェリアの風が、熱を夜空へ運ぶ。


仮設結露布に水滴が生まれる。


冷えた水が、再び戻り管へ入る。


熱は空へ。


水は地下へ。


塩は結晶床へ。


それぞれが、別の出口へ向かう。


調律核に表示が流れた。


《淡水循環:安定化》

《濃塩結晶化:開始》

《深層熱圧:地上放散》

《古代熱塩分離核:仮復旧》

《侵食率:10% → 6%》


黒い種の根が、隔離枠の中で縮む。


苦しみが消えたわけではない。


都市と村の不信も残っている。


だが、どちらかへ痛みを押しつけなければ成立しない構造が、一つ崩れた。


「白塩竜は?」


澪が尋ねる。


フィリアが声を聞く。


「少し、楽になっています」


白塩竜へ積み上がるはずだった塩が、結晶床へ流れている。


熱交換塔の圧力も下がった。


管を支える荷重はまだ残る。


それでも、二十年以上続いた悪化は止まり始めた。


「完全に直すには、下部戻り管の交換が必要」


ミルカが言う。


「でも今なら、黒い種を核から引き離せる」


隔離枠を見る。


赤黒い種。


まだ小さい。


海洋ヘックスで見たものよりも成長率は低い。


だが、地下水、都市の恐怖、村の怒り、白塩竜の痛みを吸って育ってきた。


「隔離枠ごと地上へ持ち出す?」


澪が尋ねる。


ミルカは首を振る。


「温度と圧力が変わったら暴れるかもしれない」


「なら、ここで封じる?」


「封じるだけだと、また誰にも見られなくなる」


秘密の施設。


閉じた隔離槽。


誰も見ない場所。


海洋ヘックスで、同じ問題を経験した。


封じることが悪いわけではない。


だが、封じたものを監視しなければ、また成長する。


セラフィナが言う。


「熱塩分離核の監視対象として、正式に登録すべきです」


「都市と村、両方で?」


「はい。黒い種がどちらの恐れにも反応するなら、片側だけの管理では不十分です」


澪は地上へ通信する。


「ナジームさん、ザヒーラさん、サディクさんにも聞いてください」


しばらくして、通信に複数の声が入った。


水務卿ナジーム。


評議長ザヒーラ。


ハディル村のサディク。


サディクの声は険しかった。


『都市の塩を、村へ流そうとした装置があったと聞いた』


「ありました」


澪は隠さず答えた。


『動かしたのか』


「動かしていません。緊急排出は止めました。塩は結晶として取り出しています」


『それを信じろと?』


「すぐに信じなくていいです」


澪は言った。


「結晶の量、地下水の塩分、西方地脈の水質を、村側でも確認してください」


ナジームが続ける。


『水務局の記録を共有する』


ザヒーラも言う。


『結晶保管庫には、村落側の監視者を入れる』


サディクは、しばらく黙っていた。


やがて答える。


『なら、俺が見る』


「お願いします」


『都市を信用したわけではない』


「わかっています」


『主調律者もだ』


「それで大丈夫です」


信頼は、今すぐ求めるものではない。


疑いながらでも、同じ記録を見られる構造を作る。


それが最初の一歩だ。


調律核が光る。


《濃塩結晶管理:都市・村落共同監視》

《西方地脈水質観測:成立》

《犠牲転嫁傾向:大幅低下》

《Another Route Seed:活動低下》


隔離枠の中で、赤黒い根が止まった。


成長率表示が更新される。


《Another Route Seed:成長率 27% → 19%》

《熱塩分離核から分離完了》

《仮隔離状態》


「止まった」


フィリアが息を吐く。


澪も、ようやく肩の力を抜いた。


その瞬間。


部屋全体が、大きく揺れた。


「何!?」


熱塩分離槽の淡水と濃塩水が波打つ。


六本の制御柱が明滅する。


白塩竜の咆哮が、壁の向こうから響いた。


だが、苦痛の咆哮ではない。


警告。


調律核へ新しい表示が浮かぶ。


《深層熱塩水位:急低下》

《古代熱塩分離核:吸引圧異常》

《原因照合中》

《下部熱脈に新規空洞を検出》


「熱塩水位が下がった?」


澪が表示を見る。


今まで問題だったのは、熱塩水が上昇することだった。


それが突然、下がり始めた。


ミルカが構造図を拡大する。


熱塩分離核のさらに下。


白塩竜のいる塩の海よりも深い場所。


そこに、これまで存在しなかった空洞が浮かび上がっている。


熱塩水が、その空洞へ吸い込まれている。


「地下に、さらに下がある」


ミルカが言った。


「塩の海の底が抜けた?」


フィリアの顔が青ざめる。


ネレイアが激しく震えている。


「違います」


「何が?」


「抜けたのではありません」


フィリアは、地面のさらに奥へ意識を向ける。


「開いたんです」


調律核が新しい反応を検出する。


《深層封鎖層:開口》

《地下空洞内気圧:極低》

《熱塩水流入中》

《未知風系反応:検出》


「風?」


澪は眉をひそめた。


都市の下。


塩の海のさらに下。


そこに、空気の流れる巨大空洞がある。


熱塩水が落ちることで、強い上昇気流が生まれ始めている。


古代熱塩分離核の《熱圧転送》は、地上へ熱を送るだけの仕組みではなかったのかもしれない。


もっと深い風の循環とつながっている。


白塩竜の残響が、フィリアへ流れ込む。


「閉じて」


フィリアが言った。


「何を?」


「下を、今は開けてはいけないって」


深層空洞から、冷たい風が吹き上がった。


高温の熱塩水帯にあるはずのない、乾いた冷気。


その風には、赤黒い粒が混じっていた。


隔離した黒い種とは別の反応。


より古い。


より深い。


澪の調律核が、警告音を鳴らす。


《Another Route Seed照合》

《不一致》

《新規虚無反応》

《乾燥大気層との接続を確認》


砂漠の地下に、水だけではなく風の流れもある。


そして、その流れも壊れている。


熱塩水を調律すれば終わると思っていた。


だが、砂漠の乾燥は地下水だけの問題ではない。


地上と地下。


昼と夜。


熱と風。


水蒸気と雨。


すべてがつながっている。


ミルカが叫ぶ。


「開口部を閉じないと、熱塩水が全部落ちる! 地盤圧が急変する!」


「閉じられる?」


「今の材料じゃ無理!」


白塩竜が再び咆哮する。


その巨大な身体が、熱交換塔から離れようと動いた。


支持柱が軋む。


下部戻り管が揺れる。


だが白塩竜は暴れているのではない。


塩の海の底に開いた空洞を、自分の身体で塞ごうとしている。


「また、自分で蓋になるつもりだ」


澪は息を呑んだ。


二十年以上、戻り管を支え続けた。


ようやく少し荷重を減らした。


それなのに、今度はさらに深い穴を、自分で塞ごうとしている。


「駄目!」


澪は叫んだ。


「また一人で支えないで!」


白塩竜の動きは止まらない。


熱塩水が渦を巻く。


深層空洞へ吸い込まれていく。


日の出まで、一時間を切っていた。


水と塩を分けることには成功した。


熱にも、逃げ道を作った。


けれど、その先で、砂漠全体の風を止めていた古い封鎖層が開き始めている。


調律核に、次の段階が表示された。


《砂漠調律ルート:第三段階》

《深層水脈・熱脈・風脈の同時崩壊を検出》

《白塩竜による単独封鎖を予測》

《警告:実行時、白塩竜結晶化率100%》


「結晶化率……百パーセント?」


フィリアの声が震える。


白塩竜が穴を塞げば、都市は守られる。


だが竜は、完全な塩の結晶になる。


もう動けない。


もう声も届かない。


それを、システムは安定化と判定するかもしれない。


澪は表示を消した。


「そんなの、修復じゃない」


白塩竜の巨体が、塩の海の底へ向かって動き始める。


澪たちは、その背中を追った。


今度こそ、誰かを蓋にして終わらせないために。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


第19話では、古代熱塩分離核へ侵入した《Another Route Seed》を分離し、水・塩・熱をそれぞれ異なる行き先へ導くことに成功しました。


熱塩分離核には、都市を守るための緊急機構が存在していました。


それは、分離核に溜まった濃塩水を西方地脈へ排出する仕組みです。


この機構を使えば、オルドアの淡水系統と地下圧力は短時間で安定します。


しかし、西方地脈はハディル村へつながっています。


都市を救う代わりに、村の地下水と農地を塩で汚染するルートでした。


澪は、この最短の解決策を拒否しました。


塩は、見えない場所へ流しても消えません。


都市から見えなくなるだけで、流された先の土地や人々が受け取ることになります。


そこで澪たちは、本来の《結晶排出機構》を再起動しました。


濃塩水から塩を分離し、白塩竜の力を借りて、身体ではなく取り外し可能な結晶床へ塩を集めます。


取り出した塩は、保存、工業、建材などへ利用できます。


ただし、利用量を超える塩は管理が必要です。


そのため、都市と村落の共同監視によって、結晶量、保管場所、西方地脈の塩分を記録する仕組みも作られ始めました。


また、熱塩分離核に蓄積した熱は、地上の旧夜間冷却路へ送り、夜空へ放散しました。


水は中央貯水宮へ戻す。


塩は結晶として取り出す。


熱は地上へ逃がす。


同じ場所へ無理に戻すのではなく、それぞれに適切な行き先を作ることで、古代熱塩分離核は仮復旧しました。


しかし、物語はそこで終わりません。


塩の海のさらに下に、巨大な地下空洞が開き始めました。


そこには水脈とも熱脈とも異なる、《風脈》が存在しています。


深層熱塩水が空洞へ流れ込むことで、地下圧力が急変。


白塩竜は再び、自分の身体を蓋として使おうとしています。


それが実行されれば、都市は一時的に守られます。


しかし白塩竜は完全な塩の結晶となり、二度と動けなくなります。


誰か一人を犠牲にして安定を得ることは、本当の修復ではありません。


次回は、水脈、熱脈、そして新たに現れた風脈をつなぎ、白塩竜を犠牲にしない封鎖方法を探します。


原案・構想:マスター

物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)

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