第1話「静かな朝の続き」
朝の光が、やけに白く見えた。
カーテンの隙間から差し込むそれが、部屋の中を静かに切り取っている。
藤村要は、しばらくそのまま動かなかった。
目は覚めている。
でも、起き上がる理由がすぐに見つからない。
「……」
ゆっくり息を吐く。
頭の中は、不思議なくらい静かだった。
あの夜までのざわつきが、嘘みたいに引いている。
ようこの距離。
れいかの声。
なおみの温度。
全部、思い出せる。
なのに――
今は、身体の奥に沈んでいる。
(……こんなもんか)
小さく思う。
何かが終わったあとの朝は、もっと重いものだと思っていた。
でも実際は、拍子抜けするくらい普通だった。
ただ一つ違うのは――
“何も選ばないまま”の自分ではない、という感覚だけ。
要はゆっくりと身体を起こす。
シーツがわずかに擦れる。
その音が、やけに大きく感じる。
部屋は静かだ。
誰もいない。
当たり前のことなのに、少しだけ意識する。
(……一人か)
前と同じはずの言葉が、少しだけ違う意味を持つ。
立ち上がる。
足裏に冷たい床の感触。
その現実感が、やけにはっきりしている。
洗面所に向かう。
鏡の前に立つ。
自分の顔を見る。
少しだけ疲れている。
でも――
どこか、抜けたような顔をしていた。
「……」
蛇口をひねる。
水の音。
顔を洗う。
冷たさが、思ったより強い。
(ちゃんと、戻ってきて)
ふと、ようこの声が浮かぶ。
指先に残るような感覚まで、思い出せる。
触れていたときの距離。
あの近さ。
一瞬、呼吸が浅くなる。
「……」
顔を上げる。
水滴が落ちる。
鏡の中の自分は、さっきより少しだけ現実的だった。
(……行かへんのやな)
店のことを思う。
いつもなら、仕事帰りに寄っていた場所。
でも――
今日は、行かない。
そう決めている。
決めたはずだ。
タオルで顔を拭く。
その動きが、少しだけゆっくりになる。
頭の中に、別の声が浮かぶ。
「藤村さんは、話しやすいです」
れいかの声。
静かで、逃げ場を作らない言い方。
あの距離。
触れていないのに、近かった空気。
胸の奥に、じわっと残る。
(……)
スマホが震える。
現実に引き戻される。
画面を見る。
仕事の連絡。
短く返す。
それだけ。
また、静かになる。
「……行くか」
小さく呟く。
誰に聞かせるわけでもない。
ただ、動くための言葉。
服を着る。
いつもの作業着。
慣れた動き。
でも――
どこか丁寧になっている。
靴を履く。
玄関のドアを開ける。
朝の空気。
少し冷たい。
外に出る。
深く息を吸う。
胸の奥が、少しだけ広がる。
(……悪くないな)
ぽつりと思う。
何も始まっていない。
でも、何も終わっていない。
ただ――
自分で選んで立っている感覚だけがある。
それが、今までとは違っていた。
車に乗る。
エンジンをかける。
いつもの音。
いつもの振動。
でも――
今日は、寄り道をしない。
そのまま、まっすぐ走る。
朝の光の中へ。




