幼稚園篇⑥ 進路
登場人物
彩藤叶湖:年長組(6歳)
桐原黒依:上に同じ
彩藤直:叶湖の兄
桐原香里:黒依の母
桐原杏里:黒依の妹
咲き誇る梅。にぎわう園内。
「卒園おめでとう、叶湖」
今日、叶湖は幼稚園の卒園式を迎えていた。
「黒依くんも、おめでとう」
「ありがとうございます」
式が終わったところで、黒依と共にそれぞれの家族と合流する。叶湖は声をかける和樹に他人行儀な一礼を返すと、す、と目をそらした。視線の先にあるのは、先月、1歳の誕生日を迎えたばかりの、黒依の末の妹である。杏里と名付けられた彼女は、春の陽気の下で気持ちよさそうに寝入っていた。
「おめでとう。もう卒業なんてあっという間ねぇ……。と、いっても、叶湖ちゃんも同じ小学校だものね。これからも黒依と仲良くしてやってちょうだいね」
「こちらこそ」
しみじみと時間の流れについて語る香里の言葉に社交辞令を返しながら、内心でため息をつく。叶湖も黒依も、春からは地元の公立小学校へ通うことになっていた。幼稚園でこそ、2人はある程度の異端や自由が認められていた。しかし、小学校へ進学すれば、それは少なくなるに違いない。そして、更に進学すれば、尚更。自由時間が減り、決められたカリキュラムにそって学びを進める。しかも、その学びの内容が、ひらがなや足し算から始まるというのだから、叶湖が毎日頭痛に悩まされるだろうことなど、簡単に想像がつく。
結果として、叶湖がため息を抑えられるハズなど無いのであった。
「そういえば、直くんは来年から大学生よねぇ? どこへ進学するんだっけ?」
「帝都大学の医学部へ……」
「まぁ、帝都大のそれも、医学部!? 随分優秀なのねぇ……。お医者様なら、お父さんの後を継ぐのかしら?」
国内随一の国公立大の名前を受けて驚く香里の無邪気な問いに、直は苦笑する。父、賢司については、過去の女を思い続けた挙句、仕事に逃げているのが現状とはいえ、それでも必死に支えようとしている直である。しかし、二男の和樹は、なかなか家にも戻ってこない賢司をあまりよく思っておらず、直が医学部への進学を伝えた際にも大ゲンカが勃発したのは記憶に新しい。
それを受けての苦笑であろう、と叶湖は静かに伺いながら、自分に近づく黒依に視線を戻した。
「と、いうことはこれまで以上にお兄さんの帰りが遅くなるんですかね?」
「さぁ。どちらにせよ、もうそろそろ過保護な扱いはいらないのですけれど」
困ったように呟く叶湖に、黒依は苦笑する。
「まだ小学生ですし、叶湖さんのお兄さんたちは、随分叶湖さんを可愛がっているようですから、しばらくは我慢することになるのでは?」
「私を可愛がるなんて、随分と奇特な兄2人ですよね」
「そうですか? 前だって、叶湖さんの周りは叶湖さんを慕っている方が集まっていたでしょうに」
「あれは慕っていたのではなく、崇高していたんですよ。普通から踏み外した人が何故か私に寄ってくるのはアナタも知っているでしょう? けれど、兄2人は至ってまとも。普通よりもさらに真面目なくらいだと思いますよ? なんて。普通じゃない私が普通を語っても、何の説得力もないかもしれませんが」
叶湖の言葉に、確かに、と黒依も1つ頷く。前世で叶湖の周りに集まっていたのは、毒薬から拳銃、子供のおもちゃまで扱う裏商人であったり、生粋の異常性愛者……死体収集家であったり、快楽殺人者であったり、真性マゾヒストであったりと様々である。そのどれもに共通して言えるのは、普通ではないということのみ。叶湖は、なぜかそういう人間に好かれる性質を持っていたのだった。
ちなみに、同じく普通からは逸脱している黒依から見れば、叶湖の兄2人は至ってまともな人間だといえる。黒依はしばらく考えた後で口を開いた。
「なら、多分、お兄さん2人の愛は親愛なんでしょうね。アナタが妹であるから、無条件に可愛がっているんですよ」
「それは、聞こえがよくもあり、悪くもありますね。よく言えば、それは無条件。見返りなど求めていないということ。悪く言えば、血のつながりさえあれば誰でもいいということ、ですか?」
「事実、そうかもしれませんし、違うかもしれない。それは、僕たちには分かりません。けれど、叶湖さんは随分変わってられますから、その可能性もまた高いかもしれません」
黒依は叶湖が今の家族に何の興味もないことを知っている上で、遠慮なく告げた。叶湖もまた、黒依の言葉に興味ありげな笑顔を浮かべるだけである。
「それでも、僕は叶湖さんが叶湖さんであるからこそ、叶湖さんを愛しています。……そういう結論で構いませんか?」
「何か、恩着せがましいですけれど。あと、それから……知っていますよ、そんなこと」
黒依に向かってほほ笑みかけ、叶湖は春風を受けて揺れる髪を掻きあげた。
新しい季節がめぐってくる。風が運び告げる春の訪れが、今の叶湖にはとても心地よかった。
読了ありがとうございました