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私と犬(アナタ)の世界で  作者: 暁理
第二章 幼稚園篇
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幼稚園篇④ 母親

登場人物

彩藤叶湖:年中組(5歳)

彩藤麻里亜:叶湖の母

彩藤直:叶湖の兄

彩藤和樹:叶湖の兄

「こんな、こんなものでっ……」

 ぐしゃり、と直の手の中で、はがき大ほどの紙切れが音を立ててつぶれた。

 今日は直の部活が休みのようで、比較的早い時間に迎えに来られた叶湖は直と並んで家まで戻ってきていた。

 そして、ひんやりとした空気の流れるリビングで、こげ茶色のテーブルに乗った白い紙に気付いたのだった。


 特に何の感慨もなく、テーブルに近づいて紙を取り上げようとした叶湖より少し早く、半ば奪うように直がその手紙を取り上げたのは、昼間に戻って来ていたらしい、母からのものだと気付いたからだろうか。

 兄2人、特に真面目である直は、育児放棄をした叶湖の母、麻里亜を母親であると認める様子は全く無いようで、むしろ、いっそ家に近づくなとばかりに、とりわけ叶湖と距離を取らせるようにしていた。

 もちろん、直が指定するまでもなく、あちらも叶湖と関わるつもりなど無いのだろうが。

 

 直が勢いよく手紙を取り上げた拍子に、その裏に重ねてあったらしい、万札が2枚、テーブルの上を泳いだ。

「これは?」

 普段、最低限の養育費は、直が所持している通帳の口座へ直接振り込まれているらしい。それが、母からか、父からかは知らないが。ともかく、今まで現金をそのまま渡されたことはあまりなく、叶湖は直を見上げて首をかしげた。


「……なんでもない。……こんなもの」

 直はそれすら丸めて捨ててしまいそうな勢いでお金を拾い上げると、叶湖の目から隠すようにした。

「手紙、見せてもらえます?」

「叶湖には関係のない内容だったんだ」

 いたって静かに問いかける叶湖に、直もようやく落ち着きを取り戻したのか、丁寧に答える。

 しかし、いつもはそれで納得する叶湖も今日ばかりは首を振った。


「それ、私の誕生日プレゼントでしょう? それなら、私が預かります」

「……叶湖は、こんなものが誕生日プレゼントでいいのか?」

 残された現金の意味を理解しきっている叶湖に、直は腹の中でくすぶる熱を思い出したように、しかし冷静を装って尋ね返す。

 果たして、現金の意味はその通りで、今日、叶湖は5歳の誕生日を迎えた。そして手紙には、『誕生日おめでとう』の言葉すらなく。ただ、現金を叶湖に渡すようにだけのメッセージ。さすがの直が、読んだ直後に手紙を握りつぶすのも自然というものだろう。


「こんなもの……。確かに手抜き感は否めませんけれど、どうせ直さんのことですから、普段の私の様子など、伝えていないんでしょう? それなら、私の趣向など知れているハズもありませんし。逆に一般的な知識で絵本やぬいぐるみなど貰ったところで、邪魔なだけですから、ある意味効率的とは思いますけれど。かといって、今更、この家に戻って来られた方が迷惑なんですから、私の好みを知らないことに文句もありませんし。それなら、貰えるものは貰っておきます」

 叶湖の言葉に直が僅かに眉を寄せる。

「欲しいものがあるなら、少しくらい買ってあげる。あの女からの金に頼るほど、困っていないだろう? これは、返しておくから」

 その言葉に、しかし叶湖は首を横に振った。彼女は今、とても欲しいものがあるのだ。


「勝手なことをされては困りますね。もうしばらく、せめてどうしても必要になるまでは構わないか、とも思いましたけど。いろいろ欲しいものがあるんです。高価なので、無理に強請ったりはしませんよ。自分ですべて準備しますから」

 あくまで譲らない叶湖に、直はすっかり不機嫌な様子のまま、叶湖のプレゼントを引き渡した。本当は、5歳児に与えるような額でないのは分かっている。しかし、叶湖のことを考えれば、言う通りにするのが1番だとも思えたのだった。

 それは、彼女が自分より深く考えることができる事実を知り、認めてしまっているからでもある。







「ただいまーっ!」

と、丁度そのとき、和樹が帰ってきたのか、玄関から声が聞こえた。

 間もなく、元気よく足音を立てながら、リビングへとたどり着いた和樹は部屋へ入ってくる。どうやら、学校が終わってそのまま遊びに行っていたようで、背負っていたランドセルを床に投げるように肩からおろした。


「おかえり。早かったな」

「なんだよ。叶湖の誕生日だからって、絶対遅くならないように言ったのは兄貴だろ?」

 意外そうな直の言葉に、口を尖らせる和樹の姿に、直の表情が僅かに緩む。

「ってか、なんで叶湖、お金持ってんの? うっわー、しかも諭吉じゃん。俺も欲しい!」

「……麻里亜さんからのプレゼントだ」

「……なんだ。じゃ、いらない。ってか、叶湖は欲しいの?」

 叶湖の手に握られたものを目ざとく見つけ、和樹がはしゃぐが、直から出所を告げられた途端、あからさまに眉を寄せて拒絶した。


「欲しいものがあるので」

「ふぅん。ま、どーせ、また難しいこと考えてるんだろ? 俺わかんないしー」

 叶湖の言葉に、早々に白旗を振った和樹は、もう興味がないとばかりに叶湖から目をそらす。昔は、他人と大いに違う叶湖に対し、異質感を感じるのか何かと反発することも多かった和樹であるが、ある時、叶湖にちょっかいをかけた際に一方的に殴りつけてしまい、叶湖の体質故におお泣きされてしまってからは、叶湖の異質性よりも、兄としての使命感が上回るようになった。人一倍責任感の強い直の影に隠れがちではあるが、和樹も和樹で末の妹をひどく可愛がっているのである。


「和樹、何か飲む前に手荒いうがいをしてこい。叶湖も、それを仕舞ったら同じように」

「へいへい」

「……はい」

 直の言葉に、和樹と叶湖が、それぞれ指示されたように動き出す。なんだかんだ異質であったり、生意気だったりする弟妹の素直な一面を見れば、自分の兄としての使命感にある種の達成感が付随する気がして。直は2人を見つめて苦笑をもらすのだった。








「とりあえず、さきに元手を。その後、ある程度まで増やした後に揃えましょう。……私の武器と、それから城を。……いつ、また1人になっても構わないように」

 与えられた1人部屋に戻り、叶湖は呟く。気付かない間に、握りしめられた札に皺が寄っている。

「私なら……大丈夫」







 それから叶湖が事あるごとに貯金をし出したのは、兄弟にすぐ知れ渡り、また、黒依には知られることなく進められた事実であった。


読了ありがとうございました。


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