2年生篇⑩ 微睡
彩藤叶湖:高校2年(17歳)。化学部部長、生徒会書記
桐原黒依:叶湖の幼馴染。生徒会長
黒依が滅多に入ることがない叶湖の私室。叶湖は絶対に、自らの商売道具であるパソコンに黒依が近づくことを許さないので、自然、叶湖の私室における黒依の居場所はベッドの上になる。
黒依は裸体の上にシーツ1枚を纏っただけの姿で、既に起きだして、自分よりもよほど元気そうにパソコンに向かっている叶湖をぼぅっと眺めている。
身にまとっているのはシーツだけとはいえ、その手首には手枷の跡が赤々と残っているし、僅かに咳き込む様子は、喉のかれを表している。
もちろん、昨日の昼に階段から突き落とされた際に打ちつけた部分が、青く全身に広がっていた。
叶湖は黒依をいじめるだけで満足してしまうため、2人が情を交わすことは滅多にない。当然、お仕置きの目的が含まれた夜に、叶湖が体を許すハズもなく。
結果、黒依は息も絶え絶え、叶湖はお肌つやつや、という現状に至っている。
それでも、未だベッドから起き上がれない黒依も、どこか満足そうな顔を浮かべる。
黒依にとって、叶湖の私室に入ることが既に特別なことである。
あまつさえ、その1夜を黒依の為に使ってくれることなど、黒依にとっては至福でしかない。
もちろん、黒依だって正常な男子であるので、叶湖を抱きたいという欲望はある。
それでも、痛みにめっぽう弱い叶湖であるので、黒依が抱けるのは、精神がドロドロに溶け切るまで媚薬を使った叶湖以外にあり得ない。叶湖は自分だけが理性を失うのを嫌がるので、そういう時には、漏れなく、黒依も精神が溶かされている。もっとも、叶湖に痛みを残さないための分別が働く程度には理性が残っているのだが。
黒依の腕の中で甘く啼く叶湖をもちろん魅力的だと思うし、その状態の叶湖を見ることができるのが、後にも先にも自分だけだという自負は黒依を喜ばせる。
それであっても、叶湖の狂気のこもった、それでいて意思のつよい視線が自分に向けられないのは少し寂しいと思ってしまう。
ドロドロに溶けた叶湖の意識の中では、黒依に縋りつきはしても、その瞳は黒依を通り越して、どこかぼぅっとしているのである。
そんな叶湖に少し物足りなさを感じる時点で、自分は上手く調教されていると、自分ながらに呆れも浮かぶが、それでも、叶湖が自分ひとりを視界に入れて、黒依の為だけに夜の時間を与えてくれることは、黒依にとっては何よりのしあわせであった。
そうであれば、体の痛みも、迸る劣情に忍耐を強いられることも、瑣末なことである。
そして、黒依の体を極限まで弄んだ意識があるからこそ、その翌日、黒依が満足に動けるようになるまでは、叶湖が優しくなるのだ。
ベッドを貸し出し、黒依の喉を労わって頻繁に水を用意し、日常生活に支障が残るような傷には簡単な手当もし、黒依が汚したあれやこれやの始末まで、すべて叶湖が済ましてしまう。
普段は滅多にお目にかかれない手作りの料理まで黒依の催促なしに準備して、そうして、あらかたの用事が片付いてしまったら、後は、ベッドでまどろむ黒依を見つめながら、満足そうに武器の手入れを始めるのだ。
そんな穏やかな時間が、否、黒依を見て幸せに浸ってくれる叶湖が、黒依は大好きだった。
「実家を潰すだけ、ですか。叶湖さんにしては生ぬるい結末ですね」
「しかたがありません。基準は明確に設けなければ。……武器も殺意も向けてこなかった小娘1人を、敵意を向けられただけで殺していたら、街で肩がぶつかる度に死体を作成することになります。……し、何よりアナタの妹をまず殺すことになりますよ」
叶湖のことに、自分の妹のことを言われたくせに、黒依がクスクスと声をあげて笑う。
「アナタが猟奇殺人犯だった頃の獲物の選び方、なんでしたっけ?」
「目に付いたから、です」
そんな叶湖が今さらなにを、という笑いである。
それでも、叶湖が懸念したとおり、結局、黒依が自ら刃を向けたいと思うほどの脅威を、白居は叶湖に与えなかった。
こと、叶湖が他人に向ける害意に対して、敏感に反応して嫉妬する黒依を思えば、今回、叶湖が白居相手に選んだ結末は、限界であった。
「やっぱり、明るい世界はつまらない、ですね」
「裏の世界へ行きますか、また」
どこか、明後日の方向を見つめて呟く叶湖に、黒依が確信を持って問いかける。
「実際に表舞台から姿を消すのはまだ先になりそうです。兄が近くにいるままでも、できるだけのアタリをつけてから。それでないと、舐められてしまいますからね」
「叶湖さんになら、簡単ですよ。情報世界の女王さま」
「えぇ、だから、あと数年、待っていてくださいね」
「アナタとなら、いつままでも」
幸せそうな黒依を書けて、私が幸せです。
(注:暴力をふるった後に優しくなるのはDVの典型ですのでご注意ください)