2年生篇⑦ 悲劇
彩藤叶湖:高校2年(17歳)。化学部部長、生徒会書記
桐原黒依:叶湖の幼馴染。生徒会長
白居末明:叶湖のクラスメート。生徒会副会長
「今日の放課後、少しいいかしら」
「えぇ、構いませんよ」
「なら、屋上で。私、生徒会室に少しだけ寄るから、先に待っていてもらえるかしら」
「分かりました」
そう、白居とやりとりしたのは、叶湖がこれ見よがしに挑発してから1週間後のことだった。腹を決めるのに1週間ときた。これだから一般人は、とボヤキたくなるのを堪えて待っていた叶湖は、待ちかねた誘いにキレイな笑顔で頷く。
今まで叶湖に相当やり込められているはずの白居が、分かりやすい罠にも関わらず、やけに素直に頷いた叶湖を見ても、それがカウンターの誘い罠だと思いもしないのは、やはり、育ちがいいからか。
「……いえ、それを言えば、私も生まれと育ちは平凡でしたね」
既に後ろを向いた白居に聞こえないように、初めてもった両親のことを思い出して、叶湖はぽつりとつぶやいた。
そうして、白居の最終手段を待っていた叶湖を悲劇が襲ったのは、その放課後のことだった。
通常、生徒が立ち入れない屋上は、もちろん他に人影はない。裏生徒会の部室から持ってきた鍵をポケットにしまって、叶湖は青い空を見上げる。ちなみに、学園を牛耳っているという言葉が過言ではない裏生徒会と違って、さすがに生徒会室には校内の鍵が揃っていないが、生徒会の人間であれば、理由を言わずとも職員室から持って出られるので、白居にも屋上の鍵は簡単に調達可能である。
とはいえ、白居は叶湖に先に待つよう告げているし、実際に、叶湖も屋上のドアを開放して待っているわけであるので、白居には鍵を借りる必要はないのだろうが。
じわじわと残暑が残る中、屋上に出た叶湖が、そう何時間もは待ちたくないな、と思いながら、少しでも風に当たるために、フェンスの方へと歩み寄る。
それから5分も経たないうち、しかし、額にじわりと汗がにじむ頃、ようやく白居が来たのか、開放していたドアの向こうに、白居らしき人影が現れた。
か、と思うと、バタバタバタン、と声もかけずに慌ただしく屋上へと繋がる扉が勢いよく閉められた。
「……」
ガチャリ
閉じられた扉のノブあたりから、鍵の落ちる音がする。
鍵は内鍵のみ、外側のノブはツルンとして、ツマミも鍵穴も何もない。いくらポケットに鍵があっても無駄である。
叶湖が職員室ではなく、裏生徒会から鍵を持ってくることを正確に予測した上での計画的な犯行である。……犯行であるのに間違いないのだが……。
「……なんてこと」
ひとり、屋上に残された叶湖は、思わず天を仰いで呻いた。この時ばかりは通常装備の笑顔も取り払われ、ただ、驚きと悲しみに染まった表情が浮かんでいる。
誰も来ないことが分かってしまった屋上でひとり、深い溜息をついた叶湖は、緩慢な動きで、もう一度、落下防止のための高いフェンスへと向かう。
「……まさか、こんなことが起きるなるなんて。まさに悲劇です。そうは思いませんか……黒依」
そして、ぽつりとつぶやいた。
「そうですね」
そして、それに返る声ひとつ。
次の瞬間には、叶湖の他に人影のなかったのが嘘のように、だがしかし、それが当たり前のように、平然と叶湖の後ろに控える黒依がそこにいた。
もちろん白居もバカではないから、今日、黒依には生徒会での急ぎの仕事があるはずであったし、白居が生徒会室へ寄るといったのは嘘ではなく、黒依の在室を確認したのだと確信できる。
ではあるが、そこは黒依である。
生徒会室を出た白居をバレぬように追い抜かして、彼女より先に屋上へ姿を潜ませるのは、黒依にとっては至極簡単であるし、閉められた錠を鍵を使わず開けることも容易いだろう。そもそも、そんな小技を使わずとも、校舎の外から騒ぎすら起こさせない速度で壁を伝い、フェンスを乗り越えて屋上に現れるのもお手の物である。
もっとも、叶湖は黒依がどうやって屋上に来たのかなど興味はない。
『呼べば来る』
その間違いようのない叶湖の認識を、決して違えない黒依がいればよいのだから。
「黒依。……とても、とても、残念な結果になりました。悲劇としか言いようがない」
「心中お察しします」
「あんなにもあからさまに煽って、焚きつけて、楽しみに待っていたというのに。どうして、こう、育ちのよいお嬢様は、最終手段でさえ、こうも迂遠なんでしょう。それともなんですか、残暑の厳しいこの季節に、飲まず食わずで明朝あたり、いえ、いっそ明日の放課後あたりまで放っておいてから、弱った私を甚振りながらトドメをさすつもりなんでしょうか。それとも、定期メンテナンスくらいでしか人の入らないこの場所で自然発見されるまで放置して、腐り落ちた私を笑いながら鳥葬するのが目的なんでしょうか」
叶湖が口に出したえげつない例え話に黒依が苦笑する。
「……こう聞くと、両方とも、割と叶湖さんのお好みですね」
「えぇ、えぇ、そのとおりです。自分でとるなら、割と楽しい手段ですとも。否、できれば後者の方は、生きたままに鳥に啄ばまれるような細工をしたいところですが」
黒依に指摘されて、叶湖はこほん、と咳払いをする。
叶湖はじわじわと相手の精神と肉体を削いでいき、それを眺めるのが好きなのだ。もちろん、肉体を削ぐ、とはこの場合、物理的な意味である。
そんな叶湖であるから、早々に相手を殺したり、意識のない相手を甚振ることはナンセンスだと思っている。
「ただ、ただ、残念です。相手が取るなら、これ以上の悲劇はありません。いえ、違いますね。逃げ出せる余裕があるかもしれない相手に、あえて迂遠な方法を取るのは、せっかくのお楽しみに邪魔が入りやすいのでオススメしません、と言い変えましょう。自分が好きなことを、相手にされてただ貶す、というのは、なんだか悪い気がするので」
「……叶湖さんが嫌いな痛いこと、を散々おやりになってきたくせに、ですか」
「そんなの、痛い方が悪いのです。だから、私は気をつけているでしょう」
相変わらず直らない機嫌のまま、憮然としたように言う叶湖が可愛くて、黒依は笑う。
「で、どうします? トドメを刺しに来るのを待ちますか?」
「黒依、私の嫌いなことは?」
「……痛いこと、自分のモノに手を出されること、趣味を邪魔されること、と挙げれば結構多いですけれど、この場合は、2度同じ手間をかけさせられること、ですかね」
叶湖の教育的指導のおかげで、その機嫌と表情を読むこと長けてしまった黒依がすらすらと答える。もちろん、黒依が叶湖に対して、今言ったようなことをした場合は、当然に容赦のない躾が待っている。
とりあえず、この場は叶湖が満足そうに頷いたので、黒依は正解をはじき出せたのだろう。
「そのとおり。うだうだ躊躇っているのを一度待ちました。それも1週間も。……これ以上、私が待つ必要が?」
「そもそも、待つ必要なんて最初からないんですよ。あれだけ敵意がストレートなのに」
叶湖の敵を排除するのを今の今まで堪えていた黒依がぼやく。
とはいえ、叶湖に明確な殺意が向けられなかった以上、叶湖の懸念どおり黒依は直接的な殺しを敬遠するに違いない。それを厭うたからこそ、叶湖は1週間もの間、待っていたのである。その結果は結果は空振りもいいところで。。
それは、精神的苦痛よりも身体的苦痛を好む叶湖にとっては、まさしく悲劇であった。
「……終わったことをゴネても結果は変わりません。仕方がないですが、このまま反撃に出ることにします。理由は、そうですね……やり方がスマートじゃないのが気に食わない、ということで」
「賛成です。では、叶湖さん、お手を拝借」
あっさりと反撃の狼煙をあげた叶湖に、黒依は当然のように追従して、その手を差し出した。
「あまり揺らさないでくださいね」
「仰せのままに、お姫さま」
「親族の脛をかじっているだけの存在には、あまり憧れません」
「それは失礼、女王様」
黒依はそう言うと、軽々と叶湖を抱えあげ、その重さも感じさせないまま地面を蹴ると、ひらりとフェンスを飛び越えた。
そして、叶湖を支えていない方の手で鉤のようなものを取り出すと、それを校舎の壁へと向ける。鉤が引っ掛かるような出っ張りはないものの、ガリガリと確実にコンクリート製だろう壁を削りながら、その体は驚くほど軽く地面へと到達した。
「……壁の修繕費は生徒会持ちでいいですか?」
「バレなきゃいいんですよ、バレなきゃ……でしょう?」
踏ん張りのきかない空中で、しかも片手で、どうしてそれほど力が入ったのかと思うほど、深く傷が刻まれた校舎の壁に叶湖はくすりと笑う。
叶湖を下ろした黒依は、いたずらの見つかった子供のように笑い返した。
彼だけであれば、身ひとつで飛び降りても、傷の1つもつかないに違いない。なるべく勢いを殺したのは、あくまでも叶湖に反動を与えないためである。それが分かるからこそ、叶湖も黒依を機嫌よくからかっているのだ。
「では、行きましょうか、反撃に」
そうして、叶湖は白居がまだいるだろう校舎を振り仰いだ。
作者は見え見えのフラグは嫌いですが、
タチの悪いブラフは大好きです()