1年生篇⑦ 盲目
登場人物
彩藤叶湖:高校1年(16歳)。化学部部長
桐原黒依:叶湖の幼馴染。生徒会長
白居末明:叶湖のクラスメート。生徒会副会長
宮木 篤:叶湖のクラスメート。化学部副部長
「叶湖――っ!?」
予鈴が鳴ってしばらく。いつも通り、叶湖にタックルをかまそうとした篤がその身を固め、バッと勢いよく教室の最前列を振り返った。
「なんで!? なんであんな堂々と牽制するわけ!? 叶湖、もしかして許したの!?」
隣でわめく篤に叶湖はわずかにこめかみを痛めながら、ため息をつく。
少なくとも、まだ教室が始業前のざわめきに包まれていてよかったと思った。
「何か問題が?」
叶湖がいかに、篤が自分に近づくことを許したとしても、恋人になったわけではないし、これからもそういう関係にならないだろうことはお互いに理解していたハズである。
それを責められ、理由は想像がつくにしても、叶湖は機嫌が悪い笑顔とともに、篤を振り仰いだ。
「そりゃないだろーっ!ここまでねばって、相談にも乗ったのに、俺の預かりしらないところで、よりを戻すなんてあんまりだ……」
「どーして私がいちいちコトの次第をアナタに説明する必要があるんですか。そもそも、アナタに相談にのってもらった覚えもありません」
記憶にあるのは、面白半分で首をつっこまれたことくらいである。叶湖はため息を1つ、この話はもう終わったとばかりに、視線を前へ戻した。
ちょうど、担任が教室に入ってきたところで、篤もしぶしぶ追求を諦め、ジト目を向けながら席へと戻る。
叶湖はそんな様子を横目に収めて、いろいろと面倒くさそうだと、最前列でしっかりこちらの動向を気にしている様子の黒依にもため息をついた。
そうして昼休み。
「叶湖さん」
メールで場所でも指定してくるのかと思っていた叶湖は、堂々と教室で声をかけてきた黒依にため息をつきたくなった。
どうやら彼の中での優等生計画は、叶湖に許された段階で白紙に戻っているらしい。
そもそも、彼が優等生になろうとしたきっかけも、叶湖を失った彼が、その不安定な心の拠り所を家族に求めようとした結果、彼の家族が望むだろう息子を演じようとしていたからであるのだから、理解できないわけではない。
もっとも、叶湖もよく知る黒依の家族らは、絵に描いたような優等生を望んでいたのではなく、ただ息子が元気でまっすぐ育つことのみを望んでいたのだろうので、黒依の努力が本当に必要なものではなかったことは、叶湖は容易に想像がついていた。
けれども、それと同じくらい、黒依が『普通の息子』を知らないことも想像がついていたので、叶湖は何も言わず、黒依を見てきただけであった。
それが、心の拠り所を叶湖へ再び落ち着けた途端、『優等生』を投げやりにやっているのであるから、やはり黒依の心はまったくではないものの、彼の家族へは向いていなかったのだろう。
そのことを感じて、叶湖は自らの我慢が無駄だったことに僅かに苛立つものの、黒依の変わらぬ狂喜に歓喜するのだった。
それにしても、叶湖と一緒に行動するようになった途端、人が変わったようにふるまう黒依に、まさか自分に面倒が来ないだろうな、などと考える叶湖。
いくら叶湖や黒依の当事者と、篤や和樹など、その周り数人が、真実黒依が優等生でないことを知っていたところで、それが周りにどれほど伝わるだろうか。
叶湖はそこまで考えて、目の前で柔らかく笑顔を浮かべる従順な犬に、面倒くさい思考を捨てた。
うだうだ考えるのは自分の本質ではないし、そもそも、叶湖に面倒が降りかかる前に、面倒を起こそうとした本人が、この犬にそれ以上の『面倒』を与えられるに違いないのだから。
「行きましょうか」
叶湖は『俺も!』と声をあげる篤をバッサリ、視線だけで切って捨てている黒依に笑顔を向けたのだった。
と。
「黒依くん」
出来上がってしまった2人の空気に物怖じもせず話しかけてきた強者。
「……白居さん」
黒依が僅かに眉を寄せたのを見て、叶湖が内心でため息をつく。
ここで黒依まで機嫌を害してどうするのだ、というのが心の声であった。
「あの、さっきね、先生から伝えられたことがあって……」
実を言えば、なんだかんだと理由をつけて、昼休みに黒依を拘束するのは彼女の常套手段であった。
生徒会の話だと言えば、優等生時代の(・・・・・・)黒依はまず、断らなかったし、私的な談話はできないかもしれないが、その分、ほかの生徒の介入を防げる利点もある。
「生徒会のことだから、2人で話したいのだけれど」
言外に、邪魔者はどこかへ行けと、叶湖へ圧力を与えながら、末明が黒依に尋ねる。
もしかしたら内心では、優等生な黒依が、まさか自分の役目を放置するはずなどないと、どこかで確信しているのだろうか。
……で、あれば。叶湖はいっそ憐れみの気持ちを末明に向けるべきなのかもしれない。
頑なに他者を拒絶しているような、叶湖と黒依の空気間に口をはさんでくれるほど、盲目であるのに、彼女は黒依の何もかも、見えてはいないのだ。
叶湖が心底愛している、その『狂気』でさえも。
で、あるから。
「では、そのことは放課後の生徒会で話しましょう」
「え……?」
彼女は黒依に無残にも切り捨てられ、そのように間抜けな表情を晒すハメになるのだろう。
「生徒会の話は、ちゃんと話し合いの時間がとってあるんですから、そちらで。僕が暇なときは構いませんけれど、あいにく、用事があるので」
言って、黒依はあっさりと末明を視界から追い出した。
自分が冷たく接することで、叶湖にいらぬ被害を与えぬよう……と、していた黒依であるのに。相変わらず、穏やかそうな見た目や喋りに反して、気は短いし、自分の興味のないものに見せつける、叶湖に負けず劣らずの嗜虐性は変わりないらしい。
末明の存在など、視界どころか、意識からも追い出してしまっている様子で、黒依が叶湖を振り返った。
「すみません、手間取りましたね」
「……行きましょうか」
こんどこそ。叶湖は自らも、末明の存在を意識から弾きだして、黒依に答えた。
そろそろ、他の生徒も気付けばいいのだ。
優等生の皮をかぶった、憧れの『王子さま』は、そのような光の中の存在とは、対極にいるような人物なのだと。
とはいえ、その期待値はとても低い。
王子様の正体に気付かない人間にしてみれば、叶湖こそが、まるで王子様を誘惑し、堕落させた魔女のようではないかと。
……真実の性質とは当たらずとも遠からずの評価に、それはそれで面白いかもしれない。
少なくとも、予定調和の約束された平穏な生活よりは、よほど。
どうせ、自分には過保護を増した騎士――正体は暗殺者だが――がついているのだし、危険はない。せいぜい、喜劇でも見るような気分で、これからを楽しもうか、と。
叶湖は黒依について廊下を歩きながら、1人、上機嫌にほほ笑んだ。
読了ありがとうございました。
遅くなりすぎですね、申し訳ありませんでした。
しかも、短文です。
一応、この次まではお話が決まっているので、次話はできるだけ早くあげたいと思います。
幕間(と、いうか日常のお話)はあと2話(または3話)で、その次からはまた、イベントが起こってきます。
あまり遅れることのないよう、更新続けていけるよう、がんばりますので、お付き合いくだされば幸いです。