1年生篇③ 本音
登場人物
彩藤叶湖:高校1年生(16歳)
桐原黒依:叶湖の幼馴染。学園の王子様
宮木 篤:叶湖のクラスメート。化学部副部長
白居末明:叶湖のクラスメート。生徒会副会長
彩藤和樹:叶湖の兄。数学教師
キーンコーンカーンコーン、なんて王道一直線の予鈴のチャイムを聞きながら、叶湖は肩にかけていたカバンを机の上に置くと、静かに自分の席についた。
教室の大半が立ったままだから、顔を挙げれば不規則に並んだ頭と頭の間から教室の前方の席まで見渡せた。
ちらり、と視界の端にその姿が映って、叶湖は半ば意識的に視線をそらす。
こういうことには敏感な彼だから。叶湖が今日『も』その動作をしたことはバレてしまっているだろう。
「叶湖――!!」
叶湖が内心でため息をついていると、大きな声で呼ばれると同時に、いきなり背後から抱きつかれた。
尤も、叶湖の裏拳が抱きついた男のみぞおちにキッチリ入っているハズで、男は顔を青く染めて、すぐに叶湖から離れることになるのだが。
荷物を乱暴に机の横に放って、篤は叶湖の隣の席に腰をかけた。未だ、額に冷や汗が浮き、瞳は恨めしそうに叶湖を見つめているが、それを綺麗に無視する。
学園の裏ボス的な存在がこれでは、いつか反乱でも起きるんじゃないかと、有り得ない想像をして喉をならす。
「くす、おはようございます、篤。毎朝毎朝、飽きもせずにタックルしてきては、顔を青く染めることになるのは、アナタの頭に学習能力が備わってないから、とそろそろ判断しても構いませんよね?」
「はよ、叶湖。っても、毎朝毎朝、あの鋭いひと睨みに負けずに、お前への愛を表現してる、ってのに、叶湖こそそろそろ諦めて俺を受け入れて……」
「あら、愛されてたんですか、私? 健治さんに教えて差し上げてましょうか」
「それは勘弁」
篤が叶湖に抱きつく度、叶湖と篤以外の誰にも気取られず、しかし確実に射殺すような視線を送ってくる相手……黒依に関して叶湖はスルーを決め込む。
そんな叶湖の言葉に篤はさっさと白旗を振り、叶湖はその様子にクスクスと笑い声をあげた。
篤が叶湖の下についたあの日、健治も2人の側にいたのであるし、未だに街の不良の束ね役を担っている彼にしてみれば、叶湖が片腕としてある種、信頼を寄せるほどに2人の仲が親密だという事実は、もはや当然のこととして了解しているはずである。
しかし、相変わらず叶湖を自分の女に、との嘘か真かイマイチ判別のできない主張をしている分、篤を諌めるための性質の悪い冗談としては、その言葉はまた有効であった。
「ねぇ、黒依くん、今度の総会のことなんだけど……」
教室の前方の声が耳に入った。顔を見るまでもない。今、黒依に声をかけたのは白居末明であろう。
叶湖を相手にしているわけではないだろうが、見せつけるように、始終黒依へ話しかけている姿は入学から2カ月たった今でも健在である。
牽制しているのかもしれない相手方である、クラスの女子生徒たちは白居末明を押しのけてまで自らを主張する気はないようであるし、はっきり言って無駄な努力であるとしか思えない。
万が一、牽制の対象が叶湖であるとしたら……それこそ笑えない冗談である。焼け石に水どころの無駄ではないとしか言いようがない。
最初の頃のようにイラつくこともなく、もはや呆れすら覚える感情で、とりとめのないことを考えながら、しかし叶湖は無意識に2人をしっかりと視界に納めてしまっていたらしい。
「……なぁなぁ、叶湖。今日サボらね?」
余計な気を回した篤が、叶湖の腕を掴んで促した。
「嫌ですよ。目立つの、嫌いなんです。目をつけられたらどうするんですか。ただでさえ、化学部部長の上、アナタが寄ってきている、というだけで悪目立ちしているのに」
縁と話しこむ黒依に一瞬、鋭い視線を向けた篤を見、しかし叶湖はその提案をすげなく却下する。
「えー、いーじゃん。な、1時間だけ」
篤の鋭い視線は一瞬。叶湖が見ていたことに気付いたのか、気付いてないのか。それきりナリをひそめたその鋭さを塗りつぶすように、瞳に無邪気な光が灯る。
まるで、子供が駄々をこねるように、叶湖の腕を掴んで揺らし始めた篤に、叶湖は小さく喉を鳴らして立ち上がった。
「……仕方ありませんね、1時間だけですよ?」
「よっしゃ!」
ずば、と両腕を天へつきあげてはしゃぐ篤の姿に、叶湖はわずかに笑みを深くした。機嫌が悪いときの笑顔ではなく、その逆の笑顔である。
本当に、自分を好いてくる人間は狂人ばかりだと、叶湖は満足気に笑ったのであった。
「あれ、叶湖?」
「和樹さん、おはようございます」
廊下を出たところで、隣の教室に入ろうとした若い教師に呼びとめられた。
大学を卒業し、今年から正式に由ノ宮学園の数学教師として採用された兄、和樹である。
隣、1年B組の担任は適度に気の抜けたベテラン教師で、要するに副担任の和樹が、決められた連絡事項を読むだけの、退屈な朝のHRをまかせっきりにされている、といったところだろう。
「宮木……と、いうことは2人でサボりか? ほどほどにしとけよ、2人とも」
「さっすが、彩藤! わかってるねー」
素行の悪さで有名な篤の姿を見て、早々にサボリだと分かったにも関わらず、見逃された事実に篤が声をあげて茶化す。
叶湖自身は後から聞いた話であるが、去年、叶湖が風邪で倒れた際、和樹の兄バカが篤に知れてから、篤はなんだかんだ和樹に親近感を持ったようで、和樹も和樹で最低限に力を入れた後は、最大限に力を抜くという緩い性格もあって何かと気が合うらしい。
和樹は篤の様子に満足気に鼻をならし、ふと気付いたように叶湖を見た。
「そういえば、叶湖。今日は帰ってくるだろ?」
「……そう、なんですか? いえ、別に帰らない理由もありませんけど」
いきなり話を振られ、叶湖はわずかに首をかしげる
「そうなんですか、ってな。お前、俺らが自立した妹の誕生日をいきなり祝わなくなるほど淡白だと思ってんのかよ。……まぁいい。今日は兄貴もさっさと帰ってくるって言ってるんだから、主役も来いよ?」
和樹に若干鋭い視線で告げられ、叶湖は諦めたように苦笑した。
「では、そのように。……ウチの担任ももうすぐ来るでしょうから、今はこれで」
叶湖は小さく頷くと足早に廊下を歩きだす。それを急いで追いかける篤を見送って、和樹はわずかに息を吐き、しかし、数瞬後には晴れ晴れとした表情で自らの職務に戻っていった。
「ったく、叶湖も素直じゃないねー、あーんなに気にしあってんだから、普通に話せばいーのに」
「……和樹さんのこと?」
化学部部室と同様に、2人にとっては絶好のサボりスポットである、万年、監督不行届の保健室につき、案の定、無人であったそこで、1つのベッドを2人で占領する。
ベッドに深く腰かけ、まるで童女のように足を揺らしている叶湖を見やりながら、篤がふと呟いた。
「ソレはどーでも。ってか、叶湖、彩藤のことなんて気にしてないだろーが。……無関心。じゃなくて……桐原黒依のことだよ」
叶湖はわずかに眉をよせた。珍しい。篤は叶湖にとってその名前が逆鱗だということを知っているので、無闇矢鱈にその名を口にすることはないのだ。
「気にし合ってる、とは? ……あぁ、いえ。止めましょう。えぇ、確かに。アレが毎朝、アナタに殺気を向けていることは、私よりもアナタの方が詳しいでしょうし。……私も……えぇ、黒依の事を気にしているんでしょうね。もはや、教室前方へ視線を向けるのは条件反射のようなものです。……そして白居末明は幾度となく私をイラつかせる。……満足ですか?」
一息で言い切ると、叶湖は篤を振り返った。篤はといえば、今まで頑なに沈黙を守っていた叶湖が心のうちを吐露したのに、呆気にとられている。
叶湖自身、なぜ自分が今になってそんな話をしているのか分からなかった。けれども、今日の朝、白居末明への苛立ちが納まりつつあるのを感じて、彼女の言動のすべてが無意味だと、そう漠然と理解してしまって。
要するに、ふと、気付いてしまったのだ。黒依が白居末明に対してなんら、揺れ動くことなどないだろうことを、理解しつくしてしまっている自分に。
だから、叶湖は苛立たなかった。白居末明を哀れだとも、見下した。
「……アレは私のだと、今でも思ってます。アレも、そう思っているでしょう。これほど猶予をやったのにも関わらず……ね。私がたった一言、アレに私の元へ戻ることを許せば、アレは尻尾を振ってこの手の中に戻ってくる。……そのことを、理解しています。絶対に、そうなると」
叶湖はこともなげに言い放つ。学園の、女ならば誰もがその隣を望む王子様を、自分のものだと。
「猶予……ってなんだよ。なら、どーしてそれをしねぇわけ? 放置プレイでジらしてンの?」
強固な2人の繋がりを見せつけられ、若干不機嫌になった篤の言葉に叶湖は苦笑した。
「まさか。ですが……えぇ、こんなこと、私には似合わないと、そう思ってます。……私が自分の感情より、相手のことを考える、しかも、そちらを優先しただなんて」
くすり、と叶湖に似合わない自嘲の声を漏らしたのに、篤が怪訝そうな顔で叶湖を伺う。
「どーいう意味さ?」
「アレにはね、守りたい家族があったんです。アレにとってはね、家族っていうものは庇護を与えられる存在ではなく、与えるべき存在で……。アレが家族といる、穏やかな時間を願っているだとしたら、私は口を出してはいけないと、そう思ってしまったんです。……それが、すべてのきっかけ。……ねぇ、オカシイでしょう? この私が、ですよ」
「オカシイね」
自嘲と共に、初めて自分の心の外へ打ち明けた真相を、篤に一言で切り捨てられ、叶湖は苦笑する。
「そんでもって、むかつく」
一瞬。……景色が瞬く間に回転したかと思うと、とさり、と体がベッドへ沈んだ。俗に押し倒されていると表現するのだろう体勢で、叶湖は自分に馬乗りになる篤を見上げる。
「結局、叶湖は桐原のことしか見えてないんだ? お前が迷ってるのはあの男をとるか、捨てるかであって、その先に別の男の選択肢は、ない。お前はそーやって自分の魅力振りまいて。俺や、健治さんみたいな奴らをどんどん虜にしていくくせに、そーいうお前の下僕たちに一切餌は与えてくれねェんな」
力的にも体勢的にも、絶対的不利の状況で。しかし叶湖は自分を見下ろす男を見つめ、余裕を漂わせたままでクスッと笑う。
「言ったでしょう? ……恋人……男は要らないんです。アナタは元より、そういう考えからはハズれています。それが嫌だったり、定期的に餌を撒くご主人さまが良かったりするのなら、誰か別を探してはいかがです? 私のモノになったのはアナタの勝手でしょう? 私は頼んでなんていません。……私が自ら歩み寄ってもいいだなんて、そんな私らしくないことを思えるのは、後にも先にも黒依だけです」
叶湖にキッパリと拒絶され、篤は一瞬、傷ついた目をする。が、次の瞬間には、す、と細めた鋭い視線を叶湖へ落とした。
「そーいう……釣った獲物に餌は与えないとこもスキだけどな。なんで叶湖はアイツがそんなにいいわけ? 何が違うの、アレと、俺と」
「あえていうなら、私が出会った中で、一番狂っているところ、でしょうかね。篤はまだ知らないんですよ。あの……この学園で王子様扱いを受けているアレが。どれほど、一般の中ではとてもとても、受け入れられない狂気を含んでいるか……」
その言葉に篤は無言のまま、しかし叶湖を拘束する腕に力がこもって、痛みにめっぽう弱い叶湖はわずかに顔をゆがめ、瞳を潤ませる。
「っ……そーやって、アンタは平気な顔で俺の前で俺よりアレがいいっていうんだな」
篤の唇が、叶湖の目尻へ落ちて、そこに浮かぶ涙を浚う。
そうして一層悲壮感を漂わせたままで、篤は静かに懇願した。
「俺に、アンタをくれよ……叶湖」
「お断りします。……放してください、篤。……私の言うこと、聞けるでしょう?」
そんな篤に向けられるのは、彼を試すような挑戦的な瞳。潤んだままに見上げられる瞳に、しかし縋りつくような色は全くなく、むしろ、まるで自分が見下ろされている体勢にあるのではないかと思うほどに威圧的な強い、色。
篤は叶湖を解放した。その事実をすっかり理解してしまって、苦笑とも諦めともつかない笑いを漏らした。はは、と乾いた声が漏れる。
……結局自分は、彼女と対等になどなることの叶わない、叶湖の『モノ』でしかないのだ。
「仮眠をとります。昼になったら起してください」
呆然とする篤を見上げて叶湖が柔らかく微笑む。その叶湖に似合わない暖かさが、自分を宥められているように感じて、篤は笑い声を洩らす。
改めて突き付けられた事実ではあるが、もとより分かり切っていた事実。それにいちいち傷ついてしまった自分を哂う。そして、傷つけた『ご主人さま』に宥められて、さっさと機嫌が回復する簡単な自分にも哂った。
「……あれ? 1時間だけじゃねーの?」
「そんなこと、言いました?」
叶湖はごまかすように笑って、押し倒されて寝転がったままの姿勢で瞼を閉じる。篤は、完敗だと、敵わない気持ちを、しかしやけに清々しい気分で受け入れ、自分もその横に寝転がる。そして、横で平気な顔をして寝入る体勢に入ってしまった叶湖に、僅かにため息をついた。
実際のところ、黒依などより数倍、高嶺の花であろう彼女に、この距離まで許されるのはある種、特別なことなのだと。それも、分かってしまったから。
そうして結局、昼を大きく過ぎた時間まで寝入ってしまい、後で叶湖から清々しいほどの厭味を綺麗な笑顔で投げつけられるのは、もはやお約束であったのかもしれない。
「あー? なんだ、桐原、1人か?」
「すみません、先生。2人とも、みつからなくて……。化学部部室も、屋上も、保健室も見て来たんですけれど……」
学園1の優等生の言葉に、中年の教師はわずかにため息をついた。
「ったく、俺の授業サボって、どこ行ったんだ? 問題児2人は……」
読了ありがとうございました。
篤ファンの方、ごめんなさい
結局、こういう立ち位置にしかなれないですね……
さて、今回はヤケに分かりやすい布石をうっておきました。
仲直りももうすぐ……になるといいですね、はい。
次回はまた1週間以内の更新を目指します。
ご意見、ご感想は常に受付中です。お気軽にどうぞ。
それでは。