1年生篇② 衝突
登場人物
彩藤叶湖:高校1年(15歳)。化学部部長
桐原黒依:叶湖の幼馴染。生徒会長
宮木 篤:叶湖のクラスメート。化学部副部長
白居末明:叶湖のクラスメート。生徒会副会長
入学式の日の放課後。
ホームルームが終わり、叶湖と篤は一旦部室へ寄ったあと、廊下を生徒会室に向かって歩いていた。
やはり節目というものはどこの組織も忙しいもので、特に学園自治組織の忙しさは計り知れない。もっとも、裏生徒会は特に問題がおこらない限りは、もしもの場合に備えた予防線を張る程度の作業なので、マシの部類かもしれないが。
とはいえ、ある程度の事務手続きは必要ではあるので、今回も数枚の書類を生徒会へ届けに行くわけではあるが、本来なら会長1人でいいはずであるのに、なぜ篤がついてくるのか。
叶湖は篤に聞こえるように、僅かにため息を漏らす。
「ん? どうしたよ?」
「いいえ、別に」
「に、しても。噂の生徒会長様、今回は王子様を越えて神格化すらされそうな勢いだな」
篤が呆れたように呟く。
普段はそれが叶湖の逆鱗であると知っているため、彼女の前で彼の話は持ち出さない篤ではあるが、さすがに歩く廊下の端々で同じような会話が聞こえては、無視しきれなくなったのかもしれない。
「そのうち、生誕祭を盛大に祝われるようになるかもしれませんね」
「そのうち? 去年もさながら生誕祭だったじゃねぇかよ」
とはいえ、さすがの叶湖も無視するのに疲れた頃だったので、篤の会話に乗ることにする。
どうやら、様々な大会などに助っ人として出場していた黒依は他の中学の生徒からも随分その存在を知られていたようで、生徒会長として実際の彼を知る機会に恵まれていた内部生よりも、今まで噂だけを頼りに『桐原黒依』像を作り上げてきた外部性がその噂を盛大に行っているらしい。
「本人は王子様でありたいようですし、そもそも生徒会長なんですから、なにか問題が起こればあちらで処理できるでしょう。放っておきましょう」
本当は『王子様』ではなく、ただ『家族のためにあること』のみを目指した結果なのでなんとも言い難いが、叶湖がそれに関して同情などすることもない。
「お前との関係バラせば、アイツの株もおちるんじゃねぇの?」
「へぇ、では、篤の株をこれ以上落とさないように、しばらく距離を置きましょうか?」
「……悪かったって」
遠まわしに会話の終了を促したにも拘らず、彼女をからかう言葉に制裁を加え、叶湖は平謝りする篤に喉をならして笑った。
「ねぇ、黒依くん……裏生徒会のことなんだけれど……」
黒依は末明の言葉にパソコンのディスプレイに向けていた視線を僅かにあげた。
「なにか?」
「裏生徒会は主に、問題を起こした生徒について対策を行うところでしょう? だから今まで、下位クラスを知り、まとめられる人が会長をしてきた。……でも今期はその代表2人が問題を起こすことの少ないAクラスに固まってるわ。しかも会長は、Cクラス出身で下位クラスにカリスマ性を発揮する宮木先輩じゃなく、ずっとAクラスで、下位クラスの人間とはほとんど関わりのない彩藤さん。……これは、問題があると思うのだけれど」
黒依はディスプレイから顔をあげて、困ったような表情を浮かべる。
「き……現裏生徒会長は去年度からの続投ですから経験は宮木先輩に劣るとはいえ、ないわけではありませんし、経験とは単に年月の問題ではありませんしね。なにより、去年は特に大きな問題も起こっていませんし、起こった場合の措置も的確でした。……実際問題、トラブルが起こっていませんから、大丈夫ではないですか?」
叶湖を、しかし普段の呼び方以外で呼ぶことはしたくなくて。しかしそれでも、目の前の彼女に叶湖と仲のいいところを見せ付けるのはよくないと、人間の心の機微に敏感である黒依は分かっているし、なにより、扉の外に叶湖の気配を確かに感じ取っている黒依は、あえて名前を避けて叶湖を表現する。
実際、黒依は叶湖が裏生徒会に入ってからというもの、組織の指揮をほとんどとっていたことを知っているし、確かに下位クラスとの関わりは少ないが、ある種、学園内で問題を起こしそうな生徒を対象にした場合には、宮木篤とは比べものにならないレベルでカリスマ性を発揮する叶湖であるので、何の心配もない。
の、ではあるが、その事実を末明に伝えるわけにはいかない。それは叶湖の名前を彼女の前で呼ばない理由と同じでもあるし、なにより末明が裏生徒会について文句を言っているのは単純にその能力を心配しての、生徒会役員としての責任感からのものではないからでもある。
「でも……」
ほら、結局彼女は何を言っても満足などするはずがないのだ。黒依はわずかに気分を害して、しかしそのことを悟られないために、困った表情だけを浮かべる。
ガチャリ、
と、しかし黒依が自分で末明の言葉を止める前に、生徒会室のドアが開かれたことで、末明の言葉は止まった。
「失礼します。……一応、来訪の伺いはたてたのですけれど、返事がなかったので」
ドアを開いた張本人が、生徒会室での話題の主だと知り、末明はわずかに気まずげに視線をそらした。
その焦りで見失ったのか、それとももともと頭をよぎりもしなかったのか、叶湖は来訪の伺いをしたとはいえ、ノックなどをしたわけではない、その矛盾を気にもとめなかった。
黒依は内心で苦笑する。
来訪の伺いとは、要するに彼女が生徒会室に来たことを黒依が知ればいいのであり、そんなものは彼女の気配を無意識にでも辿ってしまう黒依にしてみれば当然に知っていたことである。要するに、ものは言いよう、か。
「すみません、話に夢中になってしまって」
「いいえ、別に。こちらも勝手に入ってしまいましたしね。これ、例の書類です。……あぁ、そうそう……少し気になったのですけれど、白居さん」
「え、は……なに、かしら?」
叶湖はつかつかと黒依の座る席まで寄ると、数枚の紙を差し出し、そして思い出したように末明に声をかけた。急に声をかけられたことに驚いた末明も、しかし平静を装って叶湖に微笑みかける。
「裏生徒会の学園運営上の立場って、何でしたっけ?」
「え……? 自治組織、ではないの?」
叶湖の質問に、何をいまさら、と怪訝そうに応えた末明に、叶湖はにっこりと、それはそれは綺麗な笑顔を浮かべる。
「えぇ、そうでしたよね。あぁ、安心しました。……私、今年度から裏生徒会は生徒会の下請け組織にでもなったのかと思って」
「……どうして……?」
叶湖の言葉の真意をとれない末明が不審気に僅かに首をかしげる。その質問をうけて、叶湖はさらに笑顔を深くした。その後ろで、叶湖の綺麗な笑顔の真意を知る黒依はわずかに困り果てたように米神を指で揉んでいるが、生徒会室の真ん中で向かいあう女生徒2人の内1人はその様子に気付かず、もう1人は気付いて無視をしていた。
「いえ、まさか生徒会からウチの人事について口出しされるとは思っていませんでしたので、裏生徒会は生徒会の下位組織であったのか、と心配してしまっただけなんですけれど……。そうではなかったようですね、安心しました」
叶湖の遠まわしな言葉に溢れる皮肉を漸く読み取った末明が顔をさ、と青ざめさせた。
「そんなつもりは……」
「あぁ、生徒会のみなさんは、生徒からの信任で役職を得てられるんですものね、組織の内輪で代表を選出する裏生徒会とは、役員個人の責任感が違うのかもしれませんね……。生徒会としての仕事の他に、本来ならば職務外であるウチの組織についても目をかけていただいているなんて。きっと一般の生徒もアナタを副会長に選んで良かったと思うでしょうね」
叶湖の言葉に末明はさらに顔色を悪くして手で口を覆う。
要するに、叶湖は今、末明を脅迫したのである。
裏生徒会の人事は内輪で行うため、特に問題がなければ役の続投は容易である。特に、前裏生徒会長である宮木篤は、彼も高等部入学当初から会長を任せられている人間で、その高いカリスマ性については下位クラスから圧倒的な支持を得ていることからも容易に想像できる。そしてその篤が叶湖に対し深い信頼を寄せていることから、叶湖が裏生徒会会長の立場を追われることは、裏生徒会が完全な自治組織である以上、ほぼ、有り得ない。
それに比べ、生徒会役員の選出方法は生徒の投票である。黒依のように圧倒的な信者がついている場合は別で、他の役員の場合はだいたい、他に候補者もなく、また不信任にする理由もないための当選であって、黒依とはわけが違う。
もっとも、黒依が生徒会長を務めるようになってから生徒会役員の競争率はわずかに上がったが、立候補者がほぼ上位クラスを占める生徒会役員は、そもそもが高い確率で黒依とクラスメートであり、学園の王子様に近づく目的で、面倒の多い生徒会に立候補する者はそう増えなかった。
もし、他に候補者がいた場合は主に、上位クラスでの信頼度が戦局を決する。下位クラスの人間は生徒会にそれほど興味がないため、テキトーに投票するか、無投票であるからである。無投票を不信任に数えては全員が落選、ということになりかねない由ノ宮の投票事情であるため、生徒には無投票の権利も認められていた。
ここで問題なのは、基本的な生徒会役員の選出過程で投票率が非常に悪く、またその生徒が下位クラスに集まっている点である。
要するに、叶湖は自らの立場の安全性を伝えた後に、白居末明の生徒会副会長としての立場の危うさを指摘したのだ。
裏生徒会、という存在は本来、公にはなっておらず、学園の噂に出るような曖昧な組織である。が、しかし、宮木篤のカリスマ性と下位クラスからの人気は決して噂で終わらない、事実である。
もっと言えば、白居末明は気付いていないようであるが、叶湖のカリスマ性もしっかりと発揮されている。
そんな状態で。白居末明が裏生徒会を敵に回せば、否、裏生徒会から敵と認識されれば。叶湖や篤、裏生徒会でも会長や副会長等、幹部に位置する立場の人間が少しでもその手の噂を流せば、話をすれば。直接指示をせずとも、下位クラスの大勢を動かし、白居末明を落選へ追い込むのは容易であると、その点を叶湖は指摘した。
そして付け加えたのだ。職務外のことに気をとられず、与えられた職務だけをこなすのが賢明であるのだと。
「それでは、お話し中に失礼しました」
叶湖は蒼白になった末明に僅かに視線を送ると、穏やかそうな微笑みを残して部屋を出た。
「黒依くん、私……。……あんなの、あんなのって無いわ……」
残された末明が僅かに震える指先をぎゅ、と握りしめ、縋るような視線を黒依へ送る。
「……」
しかし、黒依はそれに言葉さえ返さずに、僅かに困った表情だけを返し、自らも生徒会室を出た。
「叶湖さ……」
「おっと、何の用だ? 生徒会長様よぉ」
果たして、叶湖は生徒会室を出てすぐの場所にいた。が、しかし、追いかけた黒依と叶湖の間に、今まで廊下で待ち呆けていた篤が割り込む。
「……いえ、白居さんがずいぶんな言い方をしていましたから、申し訳ないと……」
「叶湖、行こうぜ」
黒依の言葉を遮るように、篤が叶湖の腕を掴んで促す。叶湖はそれに笑顔で応えると、黒依のことなど居ないもののように、無視を通した。
「バカだバカだと思ってたけど、アイツって本物のバカなのな」
「……何を言っているんです?」
生徒会室から離れてしばらく、篤が立ち止まり、僅かに背後を振り返って唸る。
「副会長の不始末を謝罪するのは会長さまとしちゃ、大正解だろうよ。でも、お前を大事に扱いたい人間としては、不正解。……だろ?」
「さぁ、どうでしょうね」
篤の言葉に叶湖は曖昧に答え、しかし内心でははっきりとため息をつく。
随分と、篤に自分の心中を読み取られるようになってしまったと、改めて感じる。
それはそれでしょうがないことではあるが、叶湖の心中を気付くにつれ、篤の中で沸き起こっているらしい、黒依への反発心や敵愾心が、いかんせん、読み取り易いのもあって、篤がそんな態度を見せるたび、叶湖は自分自身で気づかないことにしようとしている不満に気付いてしまうのである。
アレの行動で不機嫌になるなんて、まっぴらごめんであるのに。自分の心は操れず、しかしその変調は、アレではなく、篤にしか読み取られることはない。否、アレも叶湖の不機嫌に気付いてはいるだろうが、その原因について気付けていないのだ。
「桐原はお前よりじゃねぇといけねぇのに、アレは白居側の人間としてお前に謝った。……叶湖、それが気にいらねぇんだろ」
あぁ、まさにその通りだとも!
もう黙ってくれ、自分自身で見ない振りをさせてくれと、叶湖は内心で、自分自身でもどうしようもない心中を持て余し、しかしそれを篤につげて、自らの本心と向き合っていない、今の叶湖の内心をこれ以上暴かれたくなくて。叶湖は1人、心の内のみで深いため息をつくのであった。
読了ありがとうございました。
……今回、すっごく楽しく書かせていただきました(特に舌戦部分)
叶湖は白居副会長との衝突が、黒依は篤との衝突が。
それぞれの間で起こっているようです。
この流れが変わるのは、何がきっかけとなるのか。
次話から様々な変化が書ければ、と思います。
それでは、また次話でお会いしましょう!
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