中学生篇⑤ 闇Ⅲ
登場人物
彩藤叶湖:中学2年(14歳)
桐原黒依:叶湖の幼馴染
宮木 篤:化学同好会会長
須賀健治:不良の王
数学教師:裏生徒会のターゲット
*暴力的な表現が入ります。ご注意ください。
「彩藤も、宮木も、道連れにしてやるよ!!!」
教師は声を張り上げたかと思うと、包丁を握る右手に力を込める。篤がすぐに反応し駆け寄るが、あと数歩届かない。健治には、叶湖の首筋に赤い筋が入るのが、まるで現実のように想像できた。
「殺さないように……と、もう遅いですね」
その、静かな声が響くまで。
ゴキリ、と頭に響くように、骨の折れる音がした。
ずずっ、と自分が入って来たばかりの扉を背中で擦って、男の身体が崩れ落ちる。
人体の構造的に有り得ない方向へ捻じ曲げられたその首が、男が絶命しているのを誰の目にもはっきりと表していた。
「桐原黒依……」
篤が呆然と、叶湖を腕に抱き、男の死体から数歩分離れたところに降り立った男を見つめる。
由ノ宮学園で不良をまとめる篤にも、その数倍、喧嘩慣れしている健治でも、黒依が叶湖を救いだした瞬間も、男を殺した瞬間も……なにより、いつ、店内に入ってきていたのかさえ、気付けなかったのだ。扉が開けば、一筋の明かりがさしこむハズであるのも関わらず、2人の目にそんなものは映った覚えがなかった。
「おろしなさい、黒依」
叶湖が助けられたことに対する礼も、労いもなく、静かに命じる。
「叶湖さんっ……」
黒依が呆然と叶湖の名を呼び、僅かに腕に力を込める。……が。
パンッ
黒依の頬を打つ乾いた音が響き渡る。叶湖は完全に、黒依を拒絶していた。
「こちらも助けられた分があるので、許可なく触れたことについては忘れます。が、さっさと私から手を離しなさい、黒依」
「っ……」
冷めきった声色と視線に、黒依が瞳に深い闇を過らせて、しかし、静かに叶湖のいう通りにする。
叶湖は不快感を隠しもせず、珍しく不機嫌そのままの表情で、男の死体にちかより、念のために息を確認する。
「面倒くさいことをしでかしましたね。この男もですが……アナタも。人間1人分の情報くらいは軽く隠せますけれど、死体を隠すのは面倒くさいというのに……」
以前、前世で猟奇殺人を行っていたときは、隠さずにおいた分もあれば、隠した死体もあった。しかし、叶湖が隠したのは情報だけで、実際に死体を処理したのは、叶湖の知り合いであり、客でもあった、異常性愛者の死体収集家である。叶湖ですら、知りたくないと思うよな……とはいえ、確実な方法で、死体の行方は闇へ消えていたのだが。
しかし、しばらく人を殺すつもりもなかった叶湖が、現世でそんなアテなど作っているハズもない。
「叶湖さん……こんな危険なことを、これからも続ける気なんですか……?」
黒依が、叶湖の背中へ問いかける。
「いつ、発言を許しました? 黒依。第一、アナタには他人以上の接触を禁じているはずですが……。随分親しげに名を呼んでくれますね、桐原くん?」
叶湖に、何の興味関心のない瞳で見つめられ、黒依の顔が泣きそうに歪む。
「すみません……」
「後のことはこちらで処理をしますから、アナタはさっさと私の視界から消えてください。そうすれば、常日頃、私をストーキングしていたことは、今は忘れておきます」
「……叶湖さん、僕は……っ!」
黒依が尚も食い下がろうとするのを、叶湖は視線だけで止めた。僅かに顔を歪めて、首筋へと手を添える。
「結局、アナタの力は私の役には立つには中途半端……なんですよねぇ」
首筋で皮一枚、包丁の犠牲になった傷から、僅かに流血していた。
「聞こえませんか、黒依? いらない、と言ったんです。理解できたなら、さっさと消えなさい」
叶湖はそれだけ言うと、黒依から視線をそらし、手元でケータイを操る。
黒依はそんな叶湖の背中を呆然と見つめると、さ、と姿を消した。
そんな様子を背後で悟り、叶湖が荒々しく髪の毛を掻きあげる。
「叶湖……?」
「すみません、今、私に近づかないでください」
黒依が消えたことで、マヒを解かれた形になった篤が、一歩、叶湖に近づいたところで、叶湖はさ、と顔を片手で覆って篤からそらす。
「なんで……?」
「表情を……見せたくないんです」
笑顔は、叶湖の生身の叶湖の鎧であった。現実世界で、情報と言う砦を無しに向かい合う、篤や健治には、心のままの表情は見せたくない。のに、笑顔が作れないほどの苛立ちに、さらに苛立ちが重なる。
「叶湖」
「近づかないでって……っ!?」
しかし、篤は叶湖が止めるのも聞かずに叶湖に歩みよると、強引にそろ身体を抱き寄せた。
「悪い……俺、何もできなくて……」
「何を……」
叶湖は抱き寄せられたまま、その体勢であれば表情が見えないのをいいことに、言葉を返す。
「叶湖が殺されそうになってんのに、俺は何もできなっかった。ただ、見てるだけしかできなくて……俺が、俺が守らなきゃいけなかったのに」
「何故? あの男の接近の情報を掴めていなかったのは私の落ち度です。それから、あの距離。私が包丁を突き付けられた段階で、あの距離を詰めるのは無理ですよ」
叶湖の言葉に、篤の腕に籠もる力が強くなる。
「っ、痛いっ……」
「悪い。……でも、俺が何もできないのに、桐原は……」
「アレは少々身体の作りが特別なので。あれと、多少喧嘩慣れしているだけの一般人を比べる気なんてありませんから、安心を」
叶湖の言葉に、篤がきゅ、と顔をゆがめる。
「そうじゃねぇ! 叶湖は、包丁が突きつけられてんにも関わらず、ずっと余裕だった。それから、あの桐原への言葉。……お前は、桐原が居るのを知っていて、いざとなれば、アイツがお前を助けることも分かってた。……だから、ずっと余裕でいられたんだろ? だとしたら……俺は悔しい。俺じゃなくて、お前が、桐原に……前の男に助けを求めなきゃいけないくらい、力のない自分が不甲斐ないんだ……」
篤の言葉に叶湖ははっ、と息をつめた。
叶湖が黒依が自分を助けるだろうと予想をしていたのは、その通りであった。裏生徒会に所属してしばらく、以前より黒依の視線を感じていたが、彼がまさに、ストーキングと称して間違いないような尾行を始めたのはその辺りだった。とはいえ、黒依はもはや本能で、監視カメラを避けて歩く癖が備わっているし、なにより本気の黒依の所在など、いくら叶湖でも掴めないほどに、上手く身を隠すので、そう思うに至った理由は、もはや勘でしかなかったのだが。
それでも、叶湖は黒依に必要ないと言いながら、それの助けを期待している自分に、初めて気がついたのだ。そして、自分の行動が無意識だったことにも気がついた。
「お前は、全然桐原のことを昔の話だなんて思ってねぇ。しかも、桐原だって、お前のことを昔の話にしようとしてねぇことくらい、見てれば分かる。……お前らは、なんなんだよ。お前が桐原を見ないようにしてぇのに。……俺はどうすればいいんだよ……」
篤の言葉に叶湖はため息をつく。
「離してください、篤さん」
「叶湖!!」
篤に一層、力強く抱きしめられ、叶湖は苦笑を洩らす。
「アナタの気持ちは有難く受け取っておきます、篤さん。でも、ごめんなさい。今はとりあえず、さっさと面倒を済ませて1人になりたい……。さっきから、イライラして……自分が自分じゃなくなってしまいそうなんです」
嘘をつくのは嫌いだ。叶湖は自分に正直に生きて来た……生きている、はずであったのに。
黒依が叶湖に捨てられてからも、1人で身体を鍛えていたのは知っていた。
しかしまさか、14才という自分と同じ年齢で、あそこまで動けるようになっているなんて、叶湖でも予想の範疇を越えていた。黒依が前世で妹を人質にとられ、血反吐を吐きながら身につけた強さを、しかし、妹を救えず、命すら賭けて手放すことを望んだその力を。たった1人、叶湖のためだけに再び選び、その手にとったのかと思えば、……今すぐに、彼を呼び戻し、自分しかうつそうとしないその瞳に、もう1度映り込みたいと。不器用な彼の優しさを感じていたいと。……そんな淡い望みを自分が抱けたことすら驚くほど、素直にそう願ってしまって。
背中へと回される腕に応えられたら、どれほど良いだろうか、そう、思ってしまった。意地を張って、その手を払い、頬を張ってしまったけれど、そうしたことに対して、思い通りにいかない、できないことに対して。とても、苛立ってしまう。
今すぐに、何かを壊したいと、そう……1人になって、誰も見ていないところで、今は押し隠しているその感情を、何かにぶつけたいと。そう、願っていた。それほどまでに、叶湖は混乱していたのだ。
いつもの落ち着きをまるで感じさせないで、まるで小動物のように、必死で威嚇して、自分を寄せつけようとしない叶湖に、篤は眉を寄せ、叶湖の拒絶を拒絶する。
「嫌だ。お前を1人にしない。お前が男を要らないってんなら、男としてじゃなくていいから。俺が、お前に近づくことを許してくれよ……。頼むよ、叶湖……」
篤に懇願され、叶湖は軽く息を吐く。正直、もう人間を抱え込むのなんて面倒だ、と思っていたのだけれど……。その時の本音を言えば、もう面倒くさいことを考えたくなかったのだ。
「……。恋人は要りませんからね。……それでいいなら、私の物でも、犬でも、部下でも、舎弟でも、下僕にでも、好きにすればいい」
「ありがとう……叶湖!」
お礼を言われるべきことなのか、否か。叶湖は軽く、内心で首をかしげるが、そんなことは後回しにして、未だ叶湖を抱きしめたままの篤の身体を叩く。篤の強引さに流される内に、ほんのわずかではあるが、心は余裕を取り戻していた。
「……とりあえず、離しなさい、篤。私はさっさと例の死体を処理する必要があるんです。アナタは学園に連絡を。ターゲットは借金に追われ、失踪。行方はつかめない、と」
「了解!」
呼び捨てされたことに、僅かに顔を染めながら、篤は元気よく返事をすると、電話をかけるため、店の外へと足早に出ていく。
「あれが、お前の昔の男……か?」
「昔飼ってた犬のようなものですよ」
今まで、静かに何かを考えていた様子だった健治が口を開き、叶湖はわずかに忘れかけていたその存在を思い出す。よくもまぁ、篤のむちゃくちゃに口を挟まなかったなぁ、と思ったが、数瞬後、未だ難しい顔のままの健治に首をかしげる。
「……アイツは、なんだ……? 俺が、一瞬も目で追えなかった。篤はお前のことで頭がいっぱいだったんだろうが……あれは、どう考えてもおかしいだろう。……しかも、人が1人死んで、俺や篤はともかく、お前やあの男は当然のような顔で……。しかも、あの桐原とかいう男の目は、ヒトゴロシの目だった……」
健治の言葉に、叶湖はわずかに苦笑する。
「彼はね……暗殺者なんです。生まれつき、の。……生まれつきなんて、可笑しいですけれどね。……でも、彼はね、産まれた時には一般人の両親がいて、産まれた後にも一般人の妹が増えた」
叶湖の呟きに健治は目を見開く。
「……お前は、優しい人間だな」
厭味でしか言われたことの無いような言葉を告げられ、叶湖はわずかに唇を歪めて嗤う。
「私が優しい……?」
「だから、一般人になる気など全くないお前は、桐原を……」
「健治さん」
まさか、黒依ですら未だ、たどり着けていない真実にたどり着いてしまった健治に、叶湖は静かにその視線を向ける。これだから、本能で生きる人間は怖いのだ、と思った。本能で生きる人間は、鼻がきく。
「篤には、秘密にしておいてくださいね」
「お前が、アイツじゃなく、俺の女になるのを考えるなら、な」
健治の言葉に叶湖はクスリ、と笑いを漏らして応える。
「えぇ、考えるだけでよければ」
いつも通りの遠回りの、しかし完全な拒絶に、健治は苦笑したように笑っただけだった。
結局、すでに離婚が成立し、しかもそもそも借金まみれであった男の居場所などを、彼の関係者がわざわざ知りたいとは思わず、消えた人間を探す者など現れなかった。
そうして、黒依が生まれ変わって初めて犯した殺人は、当事者4人を除けば、世の中に万と溢れる闇の1つとなって消えた。
それから間もなく、化学同好会は通常の活動である、学術的な研究の成果を認められた、という表向きの理由で部へと昇格した。
その際、部長の名前が、宮木篤から彩藤叶湖に変わったのは、篤の卒業が迫ったある日のことだった。
読了ありがとうございました。
遅くなりました。
そして詰め込みすぎました……
すみません。
できるだけ、だらだらしないようには気をつけたつもりなのですが、読みにくくないことを願っています。
詳しい解説は、活動報告ページに書きますが、とりあえず、中等部の一番のイベントを書き終え、ほっとしております。
次回は、久しぶりに、お兄さんの登場です。
テスト期間も無事終わり、今後はもう少し早めのペースで更新していければな、と思っております。
ご意見、ご感想は随時受付中です。よろしくお願いします。
それでは。