中学生篇⑤ 闇Ⅱ
登場人物
彩藤叶湖:中学2年(14歳)
宮木 篤:化学同好会会長
須賀健治:不良の王
数学教師:裏生徒会のターゲット
「んじゃ、前の彼氏とは浮気が原因じゃねーのかな?」
「前の彼氏? 叶湖、男がいたのか!?」
ニヤリ、と笑った篤の横で、勢いよく食いつく健治にため息をつきつつ、いらぬ話題を掘り返した篤に笑顔で凄む。
「ちょ、それ怖いって……」
「私とあれが元恋人同士なんていうのは、私の戯言……でしょう?」
叶湖は以前、黒依が生徒会長に就任した際に、篤に追及された場面を思い出す。
「お前が話を濁しただけだろ? 俺はただ単に戯言だとは思ってないが?」
「どうなんだ、叶湖!?」
「……なんでそこまで健治さんが食いつくんですか……」
篤だけでなく、健治にまで追及され、逃げられないと判断して、叶湖は苦笑をしながら両手をあげる。
「別に、恋人、と表現したとしても、どちらかが告白したわけでもなく、恋人同士だと自分たちで確認したわけもない。だいたい、小学生の頃の話ですよ。子供の戯言です」
言ったことに嘘はない。確かに告白など、していないしされていない。……否、相手は何度も伝えて来ていたような気がするが、付き合う付き合わないの話を出したことはないので、恋人同士に“成った”瞬間というのは不明だ。
もっとも、前世であっても、拾得物の感覚で家に置き、ハタから見れば同棲のような生活を始め、いつのまにか身体の関係まで至ってはいたが、よく考えれば、告白をしていただろうか? 叶湖はそんなことを考えて首をかしげる。告白された記憶はあるが、した記憶はどうも、薄い。
「なんだ……小学生の頃の話かよ。脅かすんじゃねぇよ、篤!」
「いや、脅かすなって……、小学生の頃、とはいえ叶湖ですよ!? 普通の小学生じゃないでしょう、どう考えても」
「ともかく、もう昔の話なんですから、いいでしょう? 終わったことです」
叶湖にしてみれば、よりを戻すつもりなどないのだ。いくら、黒依が形だけは家族と共にあるにも関わらず、心までは未だ、闇に染まったままなのだとしても。
叶湖の気持ちがどうあるにしたって、矜持の高い自分が、今更彼に手を伸ばすことはできないし、そうしようとも思わない。黒依は黒依で、私に捨てられたのは自分が原因だ、などと追い詰められているに違いないので、自分から私の元に戻ってくるなど、しないに違いない。
「まぁ、それでもいいんだけどな。……本当に終わったことなんなら」
「どういう意味です?」
「いや、……別に」
叶湖に追及され、篤はふい、と顔をそむけると、わざとらしく咳払いをして話を変えた。
「まぁ、それで、離婚の理由は夫の浮気だから、美人な奥さんも目一杯保障があるし……。これで、ターゲットを追い詰めても心配はないわけだけど……どうするんだ?」
「とはいえ、奥さんが保証を受け取れることはもう無いと思いますけどね……。すでに、ターゲットの方は詐欺にハメてますから、それが自分で認識でき次第、夜逃げするしかなくなるんじゃないですか……?」
「はー……。なるほどね、ま、借金の夜逃げが原因なら、学校の責任までは問われないか。しかも、一応詐欺の被害者な形であるわけだしね。……にしても、仕事早。それ、詐欺師、知り合いなわけ?」
済ました顔で告げる叶湖に、篤は唸りながら、疲れたように頭を抱える。
「まさか。……詐欺師の方は、前に、裏から買った個人情報のリストを元にカモを決めていたのを見つけたので、マークしてたんです。リストへのハッキングは簡単ですし、後はハメて欲しい名前を増やせばいい」
「……? それ、ターゲットがカモにされる可能性、低いんじゃねーの?」
「残りの名前は、多重債務者か、すでに自己破産した人間に書き換えておくんです。一応、多重債務者は最初にハジくようですし、自然、ターゲットの名前しか残らなくなります」
「……情報ってこえぇ。俺、一回お前のパソコンの中身みてぇわ」
「企業秘密です。……まぁ、自分の腕に余程自信があるのなら、ハッキングを仕掛けてみるといいですよ。おそらく、自分のパソコンがクラッシュするだけになると思いますけれど」
言って、楽しそうに笑う叶湖に、篤も苦笑するしかないのだった。
「はぁー……すげぇな、叶湖……。カッコいいぜ……」
「健治さんの依頼も受けますよ? 普通よりは割安にしておきます」
感心、というよりは呆れの色が強い篤の隣で、こちらは完全に感心しきっている健治に、叶湖は喉を鳴らすと微笑んで見せる。
「あ? あぁ……それは有難いが。でも、俺はぜってー、叶湖には依頼しねぇぜ?」
その言葉に、どうして? ともう1度首をかしげてみせる叶湖に、健治はさ、と視線を外すと、何か言いにくそうに、ごにょごにょと言葉を濁す。
「阿呆。お前、男がその……女に……っていうか、俺が、お前に……」
「なんです?」
「あぁぁーーーー! だから、だな! 男が、ちょっといいな、とか思ってる女の世話になるのなんてカッコ悪いだろーが!」
背後で、あ、抜け駆け! なんて喚きが聞こえるのを叶湖は無視し、バツが悪そうに叶湖から顔をそらしてしまった健治に喉を鳴らして笑う。
「っ、笑うなよ!!」
「すみません。私の周りには、どうも……健治さんほど素直な方は珍しくて、つい」
類は友を呼ぶというのか、叶湖の周りには捻くれた人間が多い。ゆとりも、篤もいい例である。それを考えれば、その時々で態度も言葉も表情も、心の内がコロコロかわる健治は見ていて清々しかった。
これで本当に本能のままに生きている、純粋な人間だからこそ、叶湖も好感を持っていられるのだろう。もしも、変にひねくれていたりしたら、一気に関わり合いになりたくない人種になるのは請け合いだ。
「健治さん、何抜け駆けしてるんすか……」
「あぁ!? 抜け駆けってなんだよ、こら。叶湖はお前の女じゃねーだろ!」
「いや、そーですけど……」
言い合いを始めた篤と健治に、叶湖は苦笑して身を翻した。
「すみません、タバコの煙で喉を痛めたようなので、少し外の空気を吸ってきます」
2人に告げると、店の出口へと歩みを進める。
と、叶湖がドアノブに手をかけた瞬間、ドアが外側から叶湖の方へと開かれ、叶湖はその場でたたらを踏んだ。
「っ?!」
外の光が一気に入りこみ、叶湖は一瞬、眩しさに視界を奪われる。
後から思えば、その一瞬が命取りであった。
「きゃっ!」
「叶湖!!?」
叶湖はたった今、入って来た男に腕を掴まれ、一気に引き寄せられると、次の瞬間には、首筋に冷たさを感じていた。
「てめぇっ!!!」
叶湖は特に身体の痛みを感じているわけではなかったので、冷静に状況を分析している。
今、叶湖を拘束し、その首筋に包丁を当てているのは、彼女のターゲットである、由ノ宮学園の数学教師であった。
「あーー、なるほど。そういえば、裏生徒会の存在は教師陣の間では有名でしたっけ」
叶湖が1人冷静に呟くのを聞きとって、篤が唸る。
「それで、俺らにアタリをつけて、襲いに来やがったってか。……よくここが分かったもんだ」
「おい、宮木。こいつを殺されたくなければ、学園にいうんだ。依頼は失敗した、とな」
「俺たちが失敗したからって、お前がこのまま学園に残れるとでも?」
篤が鋭い視線を教師へと向ける。
「残れるさ。生徒の問題をいくつももみ消して来たような学園だ。その学園にしちゃ、お前たち、裏生徒会が最後の頼みの綱のようなもので、お前たちが無理なら、学園は面倒をもみ消すしか方法が無くなる」
教師の言葉に、確かにその通りだろう、と叶湖も頷くのに、篤はため息をつきたくなるのを我慢して教師を睨みつける。
「おっと、動くなよ。動いたら、彩藤を殺すからな」
「んなことをして、どうするんだ。殺せば確実にお前は学園を追放されるぞ」
「このままなら、どうせ俺は首を吊ることになるさ。それなら、裏生徒会長さまのお気に入りの女を連れて行ってやるのも面白いだろう?」
叶湖は会話の流れに嘆息する。どうやら、自分を拘束している男は、プッツンいってしまっているらしい。まともな会話で、心理的に攻撃するのは無理そうだ。
「テメェ、俺の城で、好き勝手しようなんざ、いい度胸じゃねぇか……」
健治も篤の隣で静かに怒りを増幅させているが、さすがに2人との間に距離があるし、いくら素早い右ストレートを持っていたとしても、それが届くまでには、十分に叶湖を殺す時間があるだろう。
とはいえ、叶湖も、ちょうど手を封じられている所為で、袖口に隠した毒針が取り出せず、為す術なしという状況である。
「篤さん、ここは潔く相手の要求を呑んではいかがです? アナタの追放が失敗した、と学園へ告げる。それで、ここは引いていただけるんですよね?」
叶湖がおっとりとした笑顔でしかし、振りかえることはできないので、声だけで教師に尋ねる。
「……なぜ余裕でいられる? 冗談だとでも思ってやがるのか? 今、俺が手に力を込めれば、お前は死ぬんだぞ!?」
「……私は死にませんよ。それよりも、今いったことで、アナタは引くんですよね? と、確認したのですけれど、お答えは?」
「っ!! 死なないだと、俺をバカにしやがって!! そうだよな……お前らが、今ここで学園側に報告しようが、いくらでもそんなもの、後から撤回すればいい……俺はもう、だまされないぞ……」
男の言葉に叶湖は口の端だけで哂う。
「今まで散々だまされて置いて何を」
「てめぇ!!」
「叶湖、挑発してんじゃねぇ!!」
怒りをあらわにした教師に、健治が叶湖を止める。
「ハハッ! いいだろう。どうせ、俺はもう終わりだ。お前たちの所為でな……。なら、お前らを道連れにしてやる。彩藤も、宮木も、道連れにしてやるよ!!!」
「叶湖!!」
教師は声を張り上げたかと思うと、包丁を握る右手に力を込める。篤がすぐに反応し、駆け寄るが、あと数歩届かない。健治には、叶湖の首筋に赤い筋が入るのが、まるで現実のように想像できた。
続く