中学生篇④ 裏Ⅰ
登場人物
彩藤叶湖:中学2年(14歳)
大里ゆとり:叶湖の友人。学年次席
大里凛子:ゆとりの母
「きょーちゃん、待って!」
今日も今日とて、普段と変わりなく、ホームルームの終了と共にカバンを持って席をたった叶湖に背後から声がかかった。
「……どうしました、ゆとり?」
その声に特に感情なく、いつもの笑顔で叶湖が振り返るのに、ゆとりはどこか安堵したような様子で、自分の荷物を抱え直した。
「放課後、暇? よかったら、ちょっとだけ話があるんだけど……」
「まぁ、特に同好会の方でも問題はありませんし、私用もありませんけれど。……図書室でよかったですか?」
言いながら叶湖は身を翻し、図書室へ向かおうとする。
小学校時代、図書室で勉強していた習慣は今も変わらず、回数は格段に減ったものの、2人が図書室で勉強することはあった。
「待って……その……、僕の家に来ない?」
「私、おうちにはお邪魔しません、て最初の頃に言いませんでした?」
しかし、食い下がって呼び止めたゆとりに、叶湖は間をおいて振り返る。
実際、小学生のころも、ゆとりの勉強が軌道に乗りだしてから、家で勉強をしないか、と誘われたことがあった。しかし、その時に叶湖はきっぱりと断ったのだ。
理由は簡単。当時は黒依避けのつもりでしかなかった友人関係で、その親にまで気を使うなどゴメンであったから。
「言ってた……。けど、今日はどうしてもそうしたいんだ……。学校に、居たくない」
眉をきゅ、と寄せて、ともすれば泣きだしそうなほど歪んだ表情を浮かべるゆとりに、叶湖はわずかに驚いたように。しかし次の瞬間には機嫌のいい笑顔を浮かべていた。
「構いませんよ」
「いらっしゃい、あなたが叶湖ちゃんね? いつもゆとりにお勉強教えてくれてありがとう」
「いえ、私も勉強になっていますから」
ゆとりの家は、中学からは少し離れた場所にある一軒家だった。ゆとりに続いて家へあがりこみ、凛子と名乗った母親に軽く紹介される。リビングでお菓子でも焼いていたのか、甘い香りを纏って、叶湖に微笑みかける凛子は、上品そうな姿でどこかのお嬢様を思わせるようにほんわかとした雰囲気を纏っていた。
ゆとりの親の職業までは知らなかったが、なるほど、ゆとりを由ノ宮へ入学させてなお、余りある私財はあるらしい。凛子に働きつかれた様子は全く見られなかった。
「ゆーちゃん、二階へあがる前にお弁当箱だけ出しちゃってくれる? 今のうちに洗っちゃうから」
ふと、凛子がゆとりに視線をやり手を差し出す。
「……ごめんなさい、お母さん……お弁当、どこかに置き忘れちゃったみたいなんだ。……帰りのバスか電車だと思うんだけど……明日聞いてくるね」
叶湖はゆとりの科白を何の感慨もなく聞き流しながら、家を見まわす。ロココ調の家具で、しかし華美になりすぎないように飾られた家は、柔らかい雰囲気の凛子や、未だ性別の判別し辛いゆとりの雰囲気に良く合っていた。
中学からは電車にさらにバスを乗り継がなければならない距離にあるが、さすが、富裕層の住宅地に一軒家を持つだけある。キレイに統一された家具は、前世で喫茶店を営んだりと、インテリアには気を使う機会の多かった叶湖にも良い印象を与えた。
「ゆーちゃん、最近なくしものが多いわね……。ノートももう3冊くらいなくしちゃったのよね? 新学期が始まってもうしばらく経ったけれど、今になって疲れがでてきちゃったのかしら……? 今日もお勉強するんでしょうけど、あんまり無理しちゃだめよ」
綺麗に整った眉をきゅ、と下げて心配そうにゆとりの顔を覗き見る凛子に、ゆとりはありがとう、と1言返す。
「大丈夫だよ。じゃ、もう行くね」
「後でおやつと飲み物、持っていくわね。今日はパイをやいたの」
きっとおいしいわ、と胸を張って機嫌よく微笑む凛子に、ころころと表情の変わる人だ……と感想をうけつつ、1つ頷いて階段へと向かうゆとりの後を追う叶湖。
「あ、そうだ。きょーちゃんの分はコーヒーにしてあげて。何も入れなくていいから」
「あらあら。叶湖ちゃんはコーヒーが好きなの? お姉さんねぇ!」
学校でさえ、自分が水筒で持ちこんだコーヒーを呑んでいる叶湖のことを知っているゆとりが、階段の手前で凛子を振り返る。凛子は顔をキラキラと輝かせたかと思うと、まかせて!と頷いた。階段をのぼりながら、背後で凛子の鼻歌を聞きながら、叶湖はクスリと笑う。
「変わったお母さんでしょ?」
「やさしそうな方じゃないですか」
笑顔に優しい口調だが、叶湖が凛子に対し特段、何ら興味関心を抱いていないことを正しく読み取って、その会話は打ち切った。
「それで……今日は勉強をしに?」
1人部屋というには十分すぎる大きさの部屋に案内され、ラグの敷かれた床におかれる座イスへ、導かれるままに座った叶湖はさっさと本題を切り出した。
カバンすらおろしていない段階で本題にうつった事実に、ゆとりは一瞬驚きの表情を浮かべ、ついで苦笑して自分も叶湖に向かい合うように座る。
「やっぱり嫌だった? むりやり家に連れてきちゃって、ごめんね」
「いえ、それは特に気分を害することではありませんよ」
叶湖の言葉に安堵の表情を浮かべたゆとりは、しかしそのすぐ後、ズボンのすそをきゅ、と両の手で握りしめて苦い顔をした。
「きょーちゃんは……きょーちゃんは、僕のこと、どう思ってる?」
「どう? とは?」
何か一大決心をして告げられた質問に、叶湖は質問で返した。自分自身で意地が悪いことは分かっているが、ゆとり相手に気を使うつもりは毛頭感じなかったからである。
「きょーちゃんなら知ってるでしょ……? みんなが、僕のことを女みたいだって……気持ち悪いって言う……。机をゴミ箱にされて、ノートに落書きされて。お弁当をゴミ箱に投げ捨てられて」
次第に潤みだす瞳を、何の感慨もなく見つめて。叶湖はそれで? と首をかしげた。
「きょーちゃんも、僕のこと、嫌い? 気持ち悪いって思う……? 分からないんだ。僕はきょーちゃんと仲良しでいたい。でも、きょーちゃんは僕に悪口をいうことも、自分から話しかけてくれることもなくて……。なんて。女の子の前で泣いちゃうなんて。だから僕、女みたいって言われるんだよね……」
ついに決壊した涙線をおしとどめるように腕で拭って、ゆとりは無理をするように微笑んだ。
2学年に進級してから、ゆとりはイジメを受け始めた。
最初はもしかしたら、黒依に続く学年2位に居座り続けた、その学力への嫉妬が発端かもしれない。とはいえ、万年1位をとりつづける黒依は『王子様』イジメの標的にするにはリスクが高すぎる上、相手は生徒会長。なにより、あそこまでスペックが違えば、もはや嫉妬心などわかないのかもしれないが。
そこで、標的になったのはゆとりであった。とはいえ、規模は学年全体に及ぶ、などということはなく、Aクラス、せいぜいその下のBクラスくらいまでで納まっている。と、いうのも下のクラスになればなるほど、Aクラスへの反発が大きく、自分たちだって日夜喧嘩を繰り返しているくせに、頭で負けるからと、イジメるなんてカッコ悪い……といった主張が広まり、結果として悪い意味でも由ノ宮学園が統一感をみせることはなかった。
とはいえ、さすがAクラス。なるべく教師にバレないように。万が一バレても、教師が面倒を避けて黙秘を保てるくらいの低レベルで、かつ、陰湿なイジメが、もはやこれでもかというほどに毎日繰り返されていた。
とはいえ、叶湖は自分に被害がなければ、現段階であれば例え黒依が苛められていようとどうでもいいと思う人間である。万が一、裏生徒会としてゆとりを救うチャンスがないわけではなかったが、裏生徒会は学校の番犬として普段の無茶を許されている組織であり、直接的に依頼がなければ、基本は動き出さない。もちろん、スタンスが身勝手ではあるので、命令違反など日常茶飯事であったが、それこそ、叶湖は組織を動かすことも面倒であった。結果、叶湖は綺麗に我関せずを貫いていたのであった。
「まず1点。アナタは私『も』アナタのことが嫌いか、と聞きましたが、アナタを苛めている人間の中にアナタを本気で嫌いな人間はいないと思いますよ。みな、アナタのことなんてどうでもいいんですよ。傷つこうが、泣こうが……死のうがね。だから、好き勝手、自分の楽しみに巻き込める。嫌いな人間だったら、最小限の関わりさえ持ちたくない」
どうでもいい。その、言葉の残酷さに、ゆとりは傷ついたように瞼をぎゅ、と閉じた。
「きょーちゃんは……? きょーちゃんは、僕のこと、どうでもいいって思う? ある日突然居なくなって、それでも別に構わない……のかなぁ?」
ゆとりの告白に表情すらかえず、いつもの笑顔を保ったままでいる叶湖に、もはや諦めたように。それでも最後の祈りを持って尋ね返す。
「大変申し訳ないんですけれど。私には人の心、というものは生まれてから備わったことがないんですよね。利益目的で人を思いやる振り、はできますが。万が一、アナタが明日冷たくなっていても、すぐにアナタがしょせんそこまでだった、と興醒めする程度には、どうでもいい、といえばどうでもいいのかもしれません。……けれど、私は100%、何の興味関心もない相手に、呼び止められて足を止めることや、わざわざ話をしに、家を訪ねる面倒をする気にはなりませんよ? 死ねばそれまでですが、それよりは生きている方が面白い……と、思える程度には、どうでもよくはありませんね」
叶湖が興味がないと言えば、例え、隣の席に座るクラスメートであっても名前さえ覚えていないことをしっているゆとりは、らしいと言えばらしい、叶湖の言葉に僅かに苦笑を浮かべる。
「すごいね、きょーちゃんは。僕、きょーちゃんくらい、強くなれるかな?」
ゆとりの言葉に叶湖は、何をいまさら、とでも言うように喉を鳴らした。
「よく言います。アナタをイジメるクラスメートはもちろん、この私ですら、今に至ってまだ、だまし続けようとしているくせに」
続く