中学生篇① 入部
登場人物
彩藤叶湖:中学1年(12歳)
桐原黒依:上に同じ
大里ゆとり:叶湖の友人
宮木 篤:化学同好会会長
「待って、きょーちゃん!」
HRが終わるや否や、すでに帰宅の準備を済ませていた叶湖はカバンを手にとり教室を出た。……ところで、ゆとりに呼ばれて振り返る。
「どうしました?」
叶湖が入学した由ノ宮学園の特徴。それは、成績順にクラス編成がされるというところで、叶湖も、ゆとりも、黒依も。Aクラス、要するに最優秀クラスに属していた。
その中でも際立っているのが黒依で、新入生代表を務めたその心は、主席入学者。叶湖が不思議に思った学費の問題は、彼が学費全額免除の特待生の権利を得ることで解決していたようだった。
受験が終わり、特に2人で勉強する機会も減ったゆとりと叶湖ではあるが、それでも同じクラスでいる以上、ある程度の友人関係は築いている。その一方で、中学入学からこちら、まともな会話すらない叶湖と黒依がまさか幼馴染で、小学校のある時期までは片時も離れないほどの関係だったことなど、もはやゆとり以外に知るものはいないに違いない。
「あ、うん。きょーちゃん、部活とか、入るのかな……て」
基本、文武両道を目指しているらしい由ノ宮では部活動は必修となっているのだが、入学すぐの段階で最優秀クラスであるAクラスに属する者だけは、勉学を優先することを許可されている。……ようするに、部活動が必須ではないのだ。
とはいえ、受験戦争を終えたばかりの生徒が今から勉強に精を出す、などということはなく、Aクラスの中でも8割の生徒が部活動に所属することになる。
もっとも、叶湖がその8割の普通に埋没するなどとは、ゆとり自身思わなかったようで、だからこその質問であるのだろうが。そもそも、文武両道、と言っているだけあって、学校で認められた部活動の数は体育会系のものが圧倒的多数を占めている。
すでに研修医として帝都医大府立病院に勤務している直を通して、今回は正式な診断書をとり、全体育の授業を見学している叶湖が運動系の部活に属すとは思えないのだから、その推測にも、叶湖が叶湖である以外に、確かな根拠はあるのかもしれないが。
「今日の昼休みに入部届けを出しました。……ので、今から顔を出すところですよ」
「え!? 入るの? ……何部?」
叶湖から返った返答が予想を裏切っていたようで、派手に驚いたゆとりが食い下がる。
「……部、ではありませんね。厳密には。……化学同好会です。が、基本、新入生の入部は認めず、その後の素行で部員自らが入部者を招くようですよ」
叶湖の言葉に、ゆとりはなにか味のしないものを飲み込んだかのような……なんとも言えない表情を浮かべた。
「……変な部活」
「えぇ、変な部活なんです。……それでは」
叶湖はゆとりの言葉に、まるでゆとりが難しい問題に正解を返した時のような、機嫌のいい笑みを浮かべると、短く分かれの言葉を告げ、化学部の部室へと向かった。
「失礼します」
言って、返事を待つこともなく、開け放たれる扉。その奥から刺さる、視線という視線に叶湖はニッコリと笑顔を浮かべる。
好奇と様子を伺うように訝しげな視線は向けられるが、声をかけてくるものはもちろん、雰囲気のみでも歓迎の様子はうかがえない。そんな様子にさらに笑顔を深くしながら、叶湖はきょろきょろと室内を見渡す。
「ちょっと!?」
と、並べられた薬品やホルマリン漬けの棚の脇、電子キーでロックされ、準備室と銘打たれた扉を見つけると、悠々とそれに歩み寄る叶湖。
思わず、我関せずだった部員の何名かがそれを阻もうと手を伸ばす。が。
ピピピピ……ピー
滑るような叶湖の指使いはよどみなく。間もなく、電子音と共に解錠の音が聞こえた。
「……なんだぁ?」
開かれた扉の向こう。準備室とは名ばかりで、学校に不釣り合いなソファと机が並ぶ様は、まるであつらえられた居心地のいいリビングのようで。さすがに内部まで調査の及んでいなかった叶湖の目が僅かに見開かれる。そしてそんな部屋に不似合いな、部屋の奥に置かれた電子機器。
叶湖はそれらのおおよそに視線をひと巡りさせた後、不機嫌そうな声をあげた室内の人間……ソファにだらしなく寝そべっていた男へ視線を向け、微笑みかけた。
ブリーチのかけすぎで痛み切った金髪。耳にはピアスが並び、制服はだらしなく着崩されている。不良を絵に描いたような姿に、やはりというべきか、おびえる様子は一切ない。
「こんにちは。今日のお昼休みにこちらへ入部届けを提出したハズなのですけれど、顧問の先生からは渡されました?」
叶湖の言葉を聞きながら起き上った男は、ガシガシと頭をかきながら、寝むそうな瞳で叶湖を見る。まるで、選別するように、ゆっくりと。
「来てたぜ。……1年Aクラス、彩藤叶湖。……はぁーん。なーんで、入学したての1年が、化学部に興味もっただけでなく、この部屋まで知ってるうえに、解除キーまで知ってんのかね?」
「そういうアナタは、中等部化学同好会会長、宮木篤さん……2年Cクラス……。で、間違いありません?」
叶湖の言葉に、俺のことまで知ってんのか、と呟いた篤は叶湖を自分へ対面する形になるソファを勧め、自分は一旦立ち上がると視線だけで扉の向こうから様子をうかがっていた生徒を追い払い、扉を閉めた。ガチャリ、とオートロックで鍵がおちる。
「ま、俺の入会後初めて……と、いうか会が作られて初めてじゃないか? ここまで入った部外者に経緯を表して紹介しとくか。……ようこそ、化学同好会こと、裏生徒会へ。俺が、会長の宮木だ」
由ノ宮学園には3つの学生自治組織が存在する。1つ目が生徒会。主にAクラスの生徒からなるそれは、学園側の多大なバックアップを受け、表向きに学園の一挙を担う。
2つ目に風紀委員。こちらは委員会、というわけでなく、部活といった体裁だ。学園側からの補助は少ないが、クラスに関係なく正義感の強いものが集う。役目は簡単。学内の小さな問題の解決や、生徒会と協力し、生徒会主催の行事等でスムーズな運営を手伝う。
そして3つ目。それが、裏生徒会。それが所謂、お金持ち学校として名を馳せ、問題を容易くおおごとにできない学園が秘密裏に置いた組織である。
学園に存在することは皆知っているが、暗黙の了解のようにそれが噂になることは少なく、確固たる存在として詳細に認識している生徒は少ないに違いない。唯一例外は、学園側のエゴで明暗を共に担うことになる、生徒会の上役だけ。
主な任務は、学園内で公になることがまずいと判断された問題を消失させること。……必要とされているのは解決でないことに注目だ。
問題としておおいパターンが、裏口で入学した生徒が引き起こすものだろう。後先考えずに引き起こされる問題が、自分の親……ひいては自分まで戻ってくることなど考えも及ばないのかもしれない。
親子で首を絞める分には構わないが、学園側はそのとばっちりを受けたくない。そういう展開を避けるために、裏生徒会が化学同好会、という気味悪いと評判の部活の影にかくれ、独自に調査を行い、問題を消失させる。
ある時は、その問題が明るみに出る前に情報を握り、親を脅して自主退学させたり、ある時は、実力行使で問題を起こせなくなるまで生徒の自尊心をボロボロにうち砕いたり。
明るみに出ればそちらの方が問題になるだろうことをやってのけるのが、その裏生徒会であった。もちろん、そういうターゲットとなる生徒は再三にわたり、学園の良心である生徒会や風紀から注意を受けているはずであるし、学園も最終手段として裏生徒会を使っているので、裏生徒会の人間が学園から処分をうけることは、まずない。
叶湖が由ノ宮を受験校に選んだ理由の1つでもあった。
曰く、黒依が居なくとも、退屈しなさそうであるから、だ。
事実を知った時は呆れたものだ。そりゃぁ、表向きの情報を信じて高い偏差値を提供する受験組を早々に成績別のクラス編成で問題児クラス、Eクラスから隔離する必要もあるわけだ、と。
「と、いうわけだが、残念ながら入部を許すわけにはいかない。満足したら出てってくれ」
叶湖は告げられた言葉に一瞬きょとん、と笑顔を忘れ、次の瞬間壮絶に微笑んだ。
「……まさか、理解できていない、と?」
「何が、だ?」
「部外者がこの会について確固たる情報を握っている、その段階でこちら側に拒否権はありませんよ?」
「脅しているつもりか? ここがどこか、俺たちが何しているのか、知った上で?」
篤の言葉に叶湖は自らの狂気を隠すことなく、クツクツと笑う。
「自らが悪役だ、などとは思わない方がいいですよ? 世の中は、この学園に隠れた闇よりも薄暗く、本物の悪役はさらに汚いものです。……なぜ、通常入部を認めない化学同好会への入学届けを、教師……学園側の人間が握り、それがアナタのところまで下りたのか、考えてくださいね?」
篤は叶湖の隠しもしない脅迫を受けながら、その笑顔に引きずられつつある自分に舌打ちをした。こんなことは初めてだった。なぜ、すべてを入学間もない新入生に知られ、その生徒がすでに学園側と交渉を終わらせているのか……。
「残念ながら、私は退学にはできないでしょう。これといってアナタ方が掴めるだろう範囲で私が起した問題は、この部屋の電子ロックの解除キーをどこからか入手してきた程度。それを明かせば逆に化学同好会の秘密も一緒に明るみにでる。……武力行使はもっと辞めた方がいい。残念ながら身内に外科医が居るもので、すぐに傷の原因はバレるでしょうから。もっとも……私を相手にそれ程のことができるのであれば、一度やって見せて欲しいくらいですけれどね。情報戦では、私がここのことを調べつくした今に至って、私のことを知らないアナタ方はすでに負けたようなものですし、残ったもので私を粉々に打ち砕けるとしたら精神的に追い詰めること、くらいですけれど……できそうですか?」
にこり、と叶湖が優しげに微笑む。しかし、もはや篤にはそれが見たままの綺麗な笑顔だとは到底思えなかった。その奥で、叶湖の心に救う、自らでは到底並び得ない化物を、この数分でしっかり認識してしまったからである。
それよりも、なにより。そんな化物を飼いながらの笑顔を、しかし綺麗だなどと思ってしまう自分自身に深いため息をつきながら、叶湖ではなく、自分自身に。篤は頭を抱えたのだった。
結局。前代未聞の化学同好会に自ら入学を果たした叶湖が、精神的にすでに叶湖に白旗をあげた篤を追いやり、裏生徒会での権力を握り始めるのはもはや時間の問題であった。
読了ありがとうございました。