小学生篇⑧ 卒業
登場人物
彩藤叶湖:小学6年(12歳)
桐原黒依:上に同じ
大里ゆとり:叶湖の友人
「……え?」
「うそっ!?」
2人の驚愕の声が重なった。
卒業式。全くと言っていいほど思い入れのない学び舎から卒業する、というイベント事に半ば無理矢理、兄たちによって押しやられた叶湖は教室へ入った、のではあるが。
そこにいたゆとりの姿に目を丸くした。そして、それはゆとりも同じことで。
「……驚きました。アナタも由ノ宮学園へ入学するんですか? 志望校は別だと聞いていたんですけれど」
伝統か何か知らないが、中学の制服で出席するという小学校の卒業式。教室には学区の公立中学の制服に交じり、私立中学の制服を身にまとう生徒が何人かいる。
叶湖もその1人で、偏差値も上位3校ほどに入り、何が特徴かといえば、学費が高いことで有名な私立、由ノ宮学園の制服を身にまとっていた。
そして、同じ制服を着る生徒は教室内にあと2人。それが、大里ゆとりと桐原黒依であった。
「うん、最初は本当に別の学校にいくつもりだったんだけど、きょーちゃんに教えてもらうようになってから、成績があがって。塾の先生やお母さんがそれに喜んで、由ノ宮に入れるんじゃないかって。由ノ宮は他大学への進学率でも優秀だから。……失敗したら恥ずかしくて、きょーちゃんには言えてなかったの。ごめんね」
「そういえば、医学部志望でしたっけ」
当初、ゆとりが志望していたのは、大学までエスカレーターであがれる由ノ宮と違い、中高一貫校の進学校だった。由ノ宮受験も同じで、ようするに大学で医学部へ入るだけの学がつくような中学を目指していたらしい。
「それにしても、きょーちゃんが受験をするとは思ってなかった。塾も行ってなかったんでしょう? 凄いよ!」
「えぇ、まぁ」
正直、叶湖が中学受験をしようと思い始めたのは、ゆとりと出会ってからであった。そもそも、前世を一般の中流階級の家庭で生きた叶湖にしてみれば、中学を受験する、というイメージがわかなかったのだ。
また、成績優秀な兄たち、特に医学部の権威へ通う直ですら、中学は普通の公立校。高校でようやく難関の進学校へ入学したのだから、叶湖に中学受験のアイデアがわくはずもない。
その意味では、ゆとりと出会ったのが大きかったといえよう。彼と出会い、中学受験のアイデアに気付き、そして辟易しはじめた生ぬるさから脱却するためにも、叶湖は近場でも特に難関とされている由ノ宮を選んだ。ちなみにダントツでナンバーワンの中学校を選ばなかったのは、生憎、その学校がある宗教を信仰していたからである。徹底した無神論者で宗教が嫌いな叶湖はその学園を避けて当然であった。
実際は、もっと大きな理由があったのではあるが。叶湖は自分の目の前のゆとりの肩をすかし、その向う。黒依を見つめる。
彼も彼とて中々普通には埋没しきれないことを知っていた叶湖は、万が一にでも、黒依が中学受験をした場合に同じ学校へ行くことを避けたかった。……のではあるが。
「どういう手を使ったんでしょうね……?」
「ん? 何が?」
「いえ」
叶湖が由ノ宮学園を選んだ理由、それは学費の高さであった。父親が大学病院理事長。母親が大企業役員、という彩藤家から比べれば特に困る額ではなく、実際、叶湖が由ノ宮学園を受験する意思を父親に伝えたところ、特に問題なく、いつも通りの無関心でそれに応じられた。
が、しかし。桐原の家にそれだけの財力は無いはずであった。特に、末の妹が相変わらず入退院をしており、支出が絶えない。家族を大事にしたいはずの黒依がまさか、叶湖の企みに気付いたにせよ、追ってくることなど不可能と考えてこその、由ノ宮学園受験であったはずなのだが。
「それにしても、受験会場でも、合格発表でも、入学前説明会でも合わなかったね?」
「そうですね、上手くすれ違ってしまったようです」
正直言えば、受験するために学園へ行ったのが最後、叶湖の実年齢を考えれば、落ちることなど考えられなかったので、あえて合格発表にも行かなければ、説明会も結局面倒で行っていない。
結果、黒依が追ってきていたことにも、今に至らなければ気付かなかったのではあるが。
叶湖は受験にあたり、彼女の武器を一切使わなかった。
もっとも、受験問題に関してはカンニングなどしなくとも絶対的に大丈夫だという確信を持っていたのだが。
……受験者をチェックすることもしていなかった。それゆえに、今朝、叶湖は驚いたのだ。
親と兄以外は、内申書の関係があった小学校の教師以外の誰にも受験するということすら告げなかったし、受験することがどこからか漏れたにしろ、受験校まで分かるはずがない。
ということは、読まれた、のだろう。
黒依は叶湖が彼を避けるために、中学を彼と別れることを望むと、正しくそう、推測した。
そして、叶湖が受験する学校までも。
正直、黒依ほど長い付き合いであれば、叶湖が宗教嫌いなのも知っているし、黒依を寄せ付けないために叶湖が選ぶだろう学校も予想できるに違いない。
あとは何校か目処をつけ受験し、試験当日、会場で叶湖の気配を探せば、ついてくることなど簡単なはずである。
面倒くさがりで、且つ、自分の学力に自身を持っているハズの叶湖が、第一志望校以外を受験する可能性など皆無であるのだから。
「……はぁ」
叶湖が僅かにため息をつき、顔を覆ったのを見て、ゆとりが慌てた。
「大丈夫? 体調でも悪いの?」
「いえ、大丈夫ですよ。ご心配なく」
叶湖は身体から力が抜けるのがわかった。
自分であれば、黒依が追ってきているのを気づけるはずだった。
受験者名簿に侵入することなど容易い筈であった。そもそもが、黒依が追ってくる危険性も考えなかったわけではないのに。
それなのに。それをしなかった。絶対の意思を持って、彼を避けることができなかった、なんて。
まるで、自分が今に至って、未だに彼を望んでいるようではないかと。
叶湖は呆れのような、苦笑のような、そんな説明のつかない感情に気付いて、心の中、複雑な気持ちを抑えきれずにいた。
あと2週間。
新しい学びの舞台で、新しい物語が始まろうとしていた。
読了ありがとうございました