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周泰

 そうして月日は経ち、凌瑛は17歳になった。華佗は凌瑛を伴って医術修業の旅に出た。凌瑛はいくら華佗がいるとて身の安全のために麻紐で椎髻を結い、胸を潰して声も低めにして男の格好をすることにした。女らしいものと言えば、笄礼(こうれい)の際に華佗と周芍が贈った桃の花の意匠を彫った簪くらいなものであるが、それも近くでよく見ないとわからぬ簡素なものであった。


197年。揚州丹陽郡宣城。

「……南方の医術を学ばせようと思ったのだが、ここでも戦があったようだな。」

「ええ、養父上。」

 凌瑛はかつての徐州大虐殺を思い出し、身震いした。

 山野は血に染まっていた。矢や剣による屍の山。しかし、それは徐州大虐殺のものとは違うものであった。漢民族のみならず、色黒で全身に刺青を入れている明らかに異民族の屍も多数あった。

 ここで救える命がひとつでもあれば。凌瑛はそう思い、両の拳が白くなるほど握った。

 孫策、山越族討伐。孫策は江東平定に向けて袁術の配下の袁胤を宣城から追い出していた。それを快く思わない袁術が、山越族に反乱を仕掛けたのであった。

「そこに誰かいるのか!?」

 華佗と凌瑛が声の方を見やると、そこには馬を繋いだ木の影で、倒れている傷だらけの将と凌瑛より年が幾らか幼い碧眼の少年がいた。

「周泰を助けてくれ!周泰は私を庇って、こんな……!」

 少年は涙ながらに懇願した。この少年こそ孫権、後の孫呉の初代皇帝になる少年であった。

 華佗と凌瑛は、顔を見合わせて頷いた。

「我等は医者だ。まず患者を診せてくれ。」

 華佗がそう言うと、孫権は周泰から数歩下がった。

 周泰の身体には12箇所もの切創(せっそう)刺創(しそう)などがあった。とりわけひどかったのが、右上腕部と右頬の切創と腰の刺創であった。そこからは出血が止まらず、着物が既に赤黒くなっている。

 華佗と凌瑛は蒸留酒を急いで肘まで擦り込むと、煮沸消毒済みの麻の布を大量に持ち

「慈玉、汝は右腕と右頬を押さえよ。私は腰の傷を押さえる。」

「わかりました!」

 一瞬、息も絶え絶えな周泰の呻き声が聞こえた。孫権はそれをただ黙って見ているしかなく、己の無力さを恥じ入り、悔いた。

 一刻ほど経ってようやく出血が収まった。

「幸いにも太い血管は切れていないようだ。これから消毒し、縫合に移る。慈玉、麻沸散と盃を。」

「はい、養父上!」

華佗の行李から出されたのはひとつの(かめ)であった。凌瑛が盃に柄杓一杯分汲むと、華佗に渡した。

「さ、これを飲みなさい。さすればこれからの処置、痛みを感じなくなる。」

 周泰は荒い息の中、盃を口にする。凌瑛はその介助にあたり、華佗は脈と呼吸の様子を見ていた。やがて周泰は深い眠りについた。

「それでは縫合を開始する。慈玉、水の他に針と蚕糸、それから消毒布を。それからそこの御仁は患者の鎧や着物を脱がせてくれ。」

「はい、養父上。」

「あ、ああ。」

孫権が慣れない手つきで周泰の鎧や着物を脱がせている間、凌瑛は華佗の指示に従い、蒸留酒に漬けた予め糸を通してある針と糸の用器とそれに漬けた麻布を差し出した。

孫権が何とか周泰を犢鼻褌(とくびこん)一丁にし、華佗は凌瑛が持ってきた用意してあった湯冷しで周泰の全身を洗うと、慣れた手つきで周泰の腰、右頬、右上腕部を拭くと腰から順に縫合した。

 そして黄蓮・当帰・地楡・蜜蝋・豚脂を混ぜた軟膏を全身の患部に塗り込み、包帯で保護をし処置が完了した。

「これで何とか大丈夫だろう。慈玉、よくやった。それからそこの御仁、そなたも慣れない中よくやった。」

そうして華佗は凌瑛と孫権に消毒布を手渡すと華佗は木簡に筆を走らせ、

「そうだ、そこの御仁。この患者が目覚めたらこの木簡と薬を本人に渡しておいてくれ。念のため説明しておくが、黄蓮解毒湯は瘴気を防ぐもの、芍薬甘草湯は痛みを抑えるもの、当帰補血湯は血を補うものだ。特に黄蓮解毒湯は処方した分、必ず飲み切るように。」

と、木簡と薬を手渡した。そして、

「では慈玉、残念ながら他に生きてる者は居ないようだ。次の患者のところに向かうぞ。」

と言って去って行った。

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