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憑き物落とし 其之参

「デタラメじゃと? その姿でよく言えたものじゃ」


(その姿?)


 得も言われぬ違和感を感じた俺は、顔を下に向け、街灯の明かりを頼りに自分の身体を確かめる。


「なんだこりゃあーーっ!!」


 白い毛むくじゃらの手を顔の正面にかざして、その次の瞬間、俺は叫んでいた。


「それがお主に憑いているのは狗神いぬがみ……つまりワンコロじゃ。ダラダラと口からよだれを垂らす狂犬が、お主の中に巣食っておる。

 もう自分に憑りついた悪霊の存在を、意識できておるのじゃろう? ならば犬に抵抗してみよっ! 今ならお前の力で、歪みつつあるあの世との境を戻す事もできよう!」


「あの世との境!? なんだそれは!」


「霊というものは、我等肉体を持つ者に直接干渉する事ができないのじゃ。できる事と言えば、声を聞かせること、感情を流し込むこと、蜃気楼のように幻を見せることくらいじゃな。

 じゃが、この世とあの世の境が歪めば、奴等は直接我等に干渉できるのじゃ。もう二度と奴の声には従うな! 次にお主が狗神の声に従ったなら、体を完全に乗っ取られるぞ!」


 俺の身体は手だけでなく、足も、腕も、胸も、どんどん白い毛で覆われていく。


(犬に乗っ取られるなんて、冗談じゃねぇっ!!)


『どうした? 今更怖くなったのか? ブルっているのか?』


 いつもの声が俺の頭に響く。いつものように、嫌な感情が俺の中に溢れてくる。


「また頭の中で、くそっ……」


(もう惑わされて堪るか! 犬になんかなって堪るか! 出ていけっ! 俺の中から今すぐに出ていけっ!)


 歯を食いしばり頭を抱えて、俺は心の中で叫ぶ。頭の中に声が響く度に平衡感覚がなぜか狂い、片膝を付いてなんとかバランス取るのがやっとだった。


「よしよし、ちゃんと狗神に抵抗できておるようじゃな。こんな道端で始めるのもなんじゃが、これなら荒事抜きでお祓いができる。

 しばしの辛抱じゃから、もそっと我慢しておれよ」


 女が俺の傍に小さな皿を置き、何かを唱えながらその上に塩を注いでいる。盛り塩というやつだろう。気取った料理屋の店先で、俺も何度か見た事がある。


『おいおい、今までだって、おまえが俺の言葉に従わなかったことは山ほどあったろ? 違うか? 従いたくない時があったら、今まで通り別に俺の声を無視してたって構わないんだぜ。

 それに、いいのか? このままあんな女の言いなりになって? おまえは犯したかったんだろ、あのクソ生意気な女を? あの女が泣きわめくのを見たかったんだろ?

 俺の力なら、それができる。それに体を乗っ取るといっても、一時的なものだ。そもそも、この世とあの世の境を歪めるなんて芸当は、長時間続けられるもんじゃあない』


(だまれ!)


ぐしゃり……


 身体を支えようと地面についた右手の中で何かが潰れる感触がして、俺は毛むくじゃらの掌を広げてみた。砕けた砂に混じり、縦に割れた石が俺の掌の上に転がっている。


『見たか、これが俺の力だ。俺を受け入れるのなら、この力を時々貸してやってもいい。

 この力でぶっ殺してやりたい奴が、沢山いるんだろ? この力さえあれば、従わなくてもいい面倒なルールが沢山あるんじゃあないのか?』


 野口の顔が、クソババアの顔が、そしてあの生意気なイカれ女の顔が、俺の脳裏に浮かびあがる。


ガシャン!


 次の瞬間、俺は力を込めて、盛り塩の皿を手で払いのけていた。


ブンッ!


 続いて太い獣の爪が生えた手であの女を襲うが、これは俺の意志じゃない。何者かが、俺の身体を操っていた。

 手応えはない。女は、飛びずさって俺の爪を躱していた。


「荒事抜きでというのが依頼者の希望じゃったが、本人が自分を取り戻すよりも、恨みにしがみつく事を選んだのでは致し方ない。

 やれやれ、わしのおぜん立ても、半ば無駄になってしもうだわ」


「厄介な巫女だ。完全に意表を付いたのに、かすりもしないとはな」


 これは俺の声じゃない。俺が出した声じゃない。


『おい、どうなっている! 俺の身体はどうなったんだ!?』


 叫んだつもりだったが、声は出ない。出せない。舌も喉も、俺の身体は完全に犬に乗っ取られたのだと、その時俺は理解した。


「暫く体を借りるぜ相棒。なーに悪いようにはしないさ。お前の気に食わないイカれ女を、お望みどおりにブッ殺すだけだ」


(もう今までとは、立場が逆になっているのか!)


 俺は後悔していた。声を体の持ち主に届けることしかできないというのが、こんなにも絶望的だとは思いもしなかった。おまけに自分の身体の感覚だけは俺にも伝わってくるのだから、余計に気色が悪い。


ワンワンッ! ガゥッ! ガルルルゥッ!


 突然犬の声がして俺の足元から、いや、恐らくは俺の影から三匹の白い犬が飛び出した。はっきりとは分からない。俺はもう視線を下げて犬が飛び出した場所を見る事すらできないのだから。

 白い犬共は、皆ダラダラとよだれを垂らしながら女に向かって走り、あの女は塩で自身の周囲に線を引いている。


バチィッ!


 激しい音と共に、塩に触れた犬達がよろめく。


ドカッ! バキッ! ドス!


 続いて、女が下駄で犬共を蹴り飛ばす。犬はキャインキャインと甲高い悲鳴を上げながら黒い塊に姿を変え、地面に吸い込まれるように消えていった。


「ちっ! 下駄を履いてやがるのはそのためか」


(おい! どうなってる! 下駄如きで!)


「うるせぇなぁ! 神木の下駄履いてやがんだよ、あのイカれ女は。

 小細工が通用しないなら、直接叩くしかねぇよなっ!」


 あの女の喉元が上下に揺れながら目の前に迫ってくる。これは、俺の身体が物凄い速さで、あの女に近づいているからだ。


(顎の感覚が……噛みつくつもりか!?)


 が、女の身体が俺の視界から消える。


(っ!!)


 足元の何かに……いや、足元に伏せた女の身体に躓いたのだろう、狗神はバランスを崩し、視界が下へと落ちる。


「んがっ!」


 見失ったあの女を探そうと狗神が目を横に向けた途端、今度は顎に衝撃が走り、視界が強制的に上を向く。


(アッパーを喰らったのか? っ!! 顎が熱い!)


「ワンコロが慣れない二足で暴れるから、隙を晒すのじゃ」


「俺の体に気色悪いお札なんか貼り付けやがって、このクソアマがっ!」


 狗神が俺の顎を掻きむしると、紙片が周囲に飛び散る。どうやら顎の下にお札を貼られていたようだ。顎に感じていた焼かれる様な熱も、お札が千切られると共に引いていく。


「黒蛇っ!」


 女が地面に手をついてそう唱えると共に、その懐から飛び出した蛇がこちらに向かって走って来る。


「のろまな蛇なんぞに、誰が捕まるか!」


 狗神が、宙へ飛ぶ。これは何メートルジャンプしているのだろうか? 信じられない程の浮遊感が、俺の身体から伝わってくる。


「おい相棒、本気を出すからもっと体を俺に委ねろ! このままグズグズと煮え切らずに負けちまってもいいのか? 俺を祓おうとしているあの女は、おまえの大嫌いなクソババアの手先なんだぞ!」


(……)


 正直なところ、体を乗っ取られる不快感は、もうこれ以上味わいたくなかった。だが、あのクソババアの思い通りに生きるのは、あのババアの思う通りの自分を演じるのは、死んでも御免だった。


「流石は俺の見込んだ藤田幸一だ! よーく分かっているじゃあないか!」


 狗神への抵抗を諦めた途端、俺の身体に力がみなぎるのを感じた。心地よい万能感が湧き上がり、俺を力に酔いしれさせてゆく。今の俺なら、どんな奴にでも勝てるに違いない。今の俺は、いや俺達は世界最強なのだっ!


ザウッ!


 数秒にもわたる長い滞空時間が終わる。地に足が付いた次の瞬間、俺と狗神は女に襲い掛かっていた。そのまま勢いで太ももに噛み切るのは、すんでのところで避けられ失敗したものの、辛うじてあの女の袴の裾を俺達は千切っていた。


(凄いぞ、一足飛びで間合いを詰めたのに、まだまだ余裕がある)


 着地したのは、女の背後の林の木の幹。俺は袴の切れ端を口から吐き出し、その木を足場に折り返して女の背後から飛ぶ。


ザシュッ!


(やった!)


 今度は爪で肩を抉ってやった。振り向くと左肩を手で押さえながら、よろめく女の姿があった。白い着物がじわじわと少しずつ血で汚れていく。


(へっ、ざまあみろ!)


 声は出せないが、俺は心の中で叫んでいた。体が動かせたなら、ガッツポーズだって取っていただろう。


「この分なら余裕だな、奴は俺達のスピードについて来れてない。

 どうだ、このまま痛めつけて、抵抗できなくなったところで、あの女の体を楽しむっていうのは?」


(なに?)


「おいおい、さっき俺の力ならヤれるって言ったのを忘れたのか? お前の望みを誰より分かってんだぜ俺は。

 それに臭いを嗅いで分かったんだが、あいつ処女だぜ。おまえのイチモツで処女膜を破る感覚を味わってみたくはないか? 処女を頂くのは初めてなんだろ」


(悪くないなそれ、殺すのは楽しんでからにしよう)


「決まりだな」


フゥゥーー……


 狗神が蝋燭を吹き消すように長い息を吐くと、周囲の街灯が一斉に消えた。だが、この暗闇でも、俺にはあの女の姿が昼間同様に見えている。どうやらこれも狗神の力らしい。


「これで万に一つも、あの女に勝ち目はねぇな」


 俺の口からは、ダラダラと犬の様なよだれが地面に向かって垂れ続けていた。

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