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憑き物落とし 其之弐

「……今回は、幸い相手の方が被害届を出さなかったので逮捕には至りませんでしたが、普通なら大変な事になっていましたよ。

 今後このような問題を起こさぬよう、お母さんからも……」


 廊下がこの警察署の入口に近づくと、刑事の話す声が聞こえてきて、あのクソババアが俺を迎えに来た事が分かった。


「お母さんに、これ以上心配かけるもんじゃないぞ」


「うっせーぞ! コラッ!」


 気安く肩を叩いた、何も知らない善人気取りのクソ警官に怒鳴る。


「幸一! お巡りさんになんて事をっ!」


「テメーもうっせーんだよ! さっさと行くぞ!」


 すみませんすみません、と情けなく喚くババアを置きざりに、俺は胸糞悪い警察署からさっさと立ち去った。

 気に食わないが、今夜は家に帰るしかないだろう。外泊しようにも、当てにしていた財布は路地裏の側溝に捨ててしまって金もない。黒田か井上の家に上がり込むのも、流石に今夜は難しいだろう。


「幸一! 待っておくれ幸一!」


 後ろからクソババアの声が追って来るが、俺はなるだけ追い付かれないよう早足で夜道を急ぐ。ババアのうるさい声で人目につくのも面倒だし、今夜はなるべく人通りのない道を選ぶとしよう。


カラン、コロン……


(なんだと!)


 前から近づいてくる下駄の音に、俺は目を見開いた。なんとあのジャンパー羽織った巫女服のイカれ女が、家の方角から俺に近づいて来るのだから。


「御坂さん! 御坂さん! 幸一です! 幸一を見つけました! 早くっ、早くお祓いをして下さい!」


(ヤローッ!)


 息も絶え絶えなババアの声が俺のすぐ後ろに迫り、頭に勢いよく血が遡る感覚に鳥肌が立った。


「テメーの仕業かクソババア! テメーが俺達をハメやがったのかーー! こんなインチキのコスプレ霊能者なんかに騙されやがって、このバカがっ!」


『ヤっちまうか藤田? 犯し甲斐がありそうだぜ』


 その声が聞こえたのは、俺がクソババアの胸倉を掴むのと、ほぼ同時だった。


(井上の声?)


 声のした方に顔を向けると、イカれ女がスマホをこちらにかざしていた。


『お楽しみが待ってるんだ、ドジって女を疵物にすんじゃねーぞ、おまえら!』


(今度は俺の声……あのクソったれめ! 録音してやがったのか!)


『うっへっへっへっへ……俺といい事しようぜネーちゃん』


 また井上の声だ……


「幸一! おまえ、なんて事を言うんだい! 幸一!」


「うるせえ! ババア! 殺されてーかっ!?」


「「そこまでじゃっ!!」」


 イカれ女の大声が、マンション裏の人気のない路地に響いた。


「もし、ここで母親に手をあげるなら、わしはこのスマホを警察にみせ、被害届を提出する」


「っんだと!」


「待ってください御坂さん! 約束が、約束が違います!」


 俺はババアから手を離し、イカれ女との距離を詰める。

 出来る事なら今すぐ飛び掛かってスマホを叩き壊したいところだが、忌々しい事にこの女と素手でやり合って勝てる気がしない。


「お母さんも冷静になってくれんか。そいつの半分は、幸一くんに憑りついた狗神いぬがみが言わせておる事じゃよ」


「ああ、そうなんです! 本当はいい子なんです! 早く昔のやさしい幸一に戻してください!!」


 情けなく、イカれ女に手を合わせるババアの姿が、俺を更に苛立たせる。


「喚くんじゃねぇ、クソババア!」


(一体俺がいつ”いい子”だったってんだ! いつもいつも知った風な口を叩きやがって! テメーのそういうとこが気に食わないんだよ!)


 俺は小学に上がる前からイジメをしていた。先公の目を盗んで本格的にやるようになったのは、いつ頃からだったかは忘れたが、中学時代にチクられなければ今でも続けていただろう。

 だのにクソババアは現実を見ていない。口を開けば妄想を垂れ流すこのババアに、昔から俺はうんざりしていた。


「おとなしく、わしに着いて来るのじゃ。この先の神社でお主のお祓いを行う」


「よろしくお願いします! 早く幸一を、幸一を助けてやって下さい!」


 二人で勝手に盛り上がる、イカれ女とクソババア。録音データさえなければ、とっくにコイツ等を無視して、俺はこの場からおさらばしてただろう。


「お母さんは、家に先に戻っているんじゃ」


「え、でも!」


「危険なお祓いになるんじゃ、傍にお主がいては集中できん」


 ババアと話している最中も、イカれ女に隙はみられない。だが、ババアがいなくなるのは、俺にとっても好都合だ。二人きりの方が、まだ俺にもやりようがある。あの女がお祓いとやらに集中している間なら、油断している隙をつくチャンスだってあるだろう。


『殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!』


 また頭の中にうるさく声が響くが、今はまだ早い。ここいらの土地勘だって俺にはあるんだ、焦る事はない。こいつを殺るならもっと有利な状況が揃ってからだ。


「わかりました、よろしくお願いします」


 頭を下げて、俺の目の前からババアが消えた。後はこのイカれたアマだけだ。


「さ、行くぞ……」


 俺に背を向けて、家とは逆の道に女が進む。


(クソッ!)


 背を向けているのに、俺がこの女に勝てるイメージがまるで湧かない。まるでこの女の後ろにも目があるような、そんな感覚さえしてくる。


「あの母親が、特に気に食わないようじゃな」


 背中越しに女が俺に話しかけてくるが、そんなものはお呼びじゃない。したり顔で俺を勝手に語るのは、あのババア一人でもう間に合っている。


「あの母親に、イチイチ干渉されるのが、昔っから嫌で嫌で仕方なかったのじゃろう?

 なにせこういう親は、子供にとんでもない不自由を強いておるのに、世間からは教育熱心で理想的な親として見られがちじゃからの。

 なにか子供がしでかせば、こういう親は被害者として見られがちじゃしのう。自分を悪役にして親が悲劇の主人公面しとったら、そりゃあ堪らんかったじゃろうな」


(っ!!)


 いや、訂正しよう。悔しいがこいつは、俺のことを知っている。俺の本質が見抜かれている。

 確かに俺がイジメを始めたのも、家に居るのがなぜか落ち着かなかったからだ。無性にイライラしたからだ。やはりそれは、こいつの言う様にあのババアと一緒にいるのが堪らなく不愉快で、嫌だったのが原因だったのかもしれない。


「おまえもあのババアと同類か? 俺の事を何も知りもしないで、よくそんな口を叩けるもんだぜ!

 それとも、事前に俺の事を占ってみたのか? インチキ霊能者め!」


 俺は咄嗟に本心を隠した。こんなイカれたヤツに心の内を見透かされるなど、堪ったものではない。


「探偵を雇ったのじゃよ」


「は?」


「家にも寄り付かずブラブラしているお主の居所を手っ取り早く探るため、探偵を雇ったのじゃ。

 報酬を奮発したせいか、そいつが妙に張り切ってしもうての、聞いてもいないのにお前の過去の事まで根掘り葉掘り調査してくれた、という訳じゃ。

 さっき言ったのはわしの見解というより、お主の過去を探った探偵の見解と言った方が正しいかもしれんの……」


「探偵だと……、それじゃ、まさかテメーッ!」


 パズルのピースが全て出揃い、俺の脳内で今夜の出来事が正しく再構築されていく。


「ああ、今夜の事は全てわしが仕組んだことじゃ。お主等を通報し、現場まで警察を案内したのもわしが雇った探偵じゃよ。

 だから警察が駆けつけたのも、不自然なほどドンピシャのタイミングだったじゃろ?」


『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ』


 頭の中の声が、また一段と大きくなった。


(ああ、今すぐ殺してやる! このアマだけは許せねぇーーっ! なんとしても殺してやる!)


 幸い、ここから神社へ続く道の両脇はずっと林が続いているし、街灯もまばらだ。それに、もう夜0時近くで人もまずここには寄り着かない。おまけにこの先にある稲荷神社だって、朽ちた小さな社があるだけで神主さえいない有様だ。今ここでなら、この女を殺しても 隠しおおせるっ!

 ババアには、お祓い最中に呪われてどっかに行ってしまった、とでも言っておけば大丈夫だろう。いや、殺したと正直に話したとしても、俺を庇うためにアイツは警察に通報しないかもしれない。


「ほう……、あの世との境が怪しゅうなってきたのぅ。神社までもう200メートルもないというに、ここで仕掛けてくるか?」


 女がこちらを振り向いた。頼りない街灯の明かりの下で、女の腰まで届く長い黒髪が躍っている。


「あ”あ”っ!」


「お主はお主で、わしが何も気づかずに歩いておるとでも思うたか? 只でさえ殺気が駄々洩れなのに、さっきから”殺せ殺せ”とやかましゅうて堪らぬわ」


(まさか、聞こえているのか!? 俺の頭の中に響く声が!)


「なんじゃその顔は? ひょっとして、お主以外には聞こえておらぬと思っておったのか?

 わしには最初から、お主に憑いた狗神の声が聞こえておるし、その姿ももちろん見えておったよ」


「姿だと!?」


 この声が聞こえるようになったのは、確か中学の頃だったと思う。俺はそれを、自分の心の内側に秘めていた、自分の本当の声だと思って疑わなかった。なぜならその声は、俺の感情に忠実であったからだ。

 俺の秘めていた怒り、恨み、苛立ち、欲求、それらを全てその声は代弁し開放させようとしていた。だから俺は、その声に従う事に苦痛など感じなかった。それが俺の本当に生きたいと思った生き方なのだと、むしろ信じていた。

 もしこの声が、俺ではない何者かのものだったとするならば、そいつは俺を常に操り続けていたという事になる。


「デ、デタラメを言うな! このエセ霊能者めーーっ!」


 俺の叫びも耳に入らぬかのように、女はジャンパーを脱ぎ捨て道の脇へと放っていた。たすき掛けした白い着物姿が露わとなり、俺の目にはそれが夜の闇の中で異様に栄えて映り、眩しいとさえ思えるほどだった。


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