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憑き物落とし 其之壱

 あのイカれた女が俺の前に現れたのは、繁華街近くの荒れた路地裏だった。

 どっかの酔っ払いが粗相したゲロだか小便だか良く分からない臭いと、道に散らばった生ゴミの放つ臭いの混ざりあった空気がそこには漂い、ゴキブリやネズミが徘徊しているのもよく見かける。居心地は悪いが、人目につかないという一点においては最高の場所だ。

 正確な時間は分からねーが、たしか夜10時を過ぎたくらいだったと思う。


「おい、巫女さんがいるぜ、こんな所に」


 俺は酔ったリーマンから奪った財布の中身にまだ夢中で、黒田の言葉の真偽を確かめようともしなかった。


「こんな所におったのか、探すのに随分時間が掛かってしもうたわ」


(下駄?)


 アスファルトに硬い木がぶつかるカラコロという耳障りな音に、俺はようやく顔をあげた。

 黒田が言った通り、確かにその女は巫女の恰好をしていた。紺のジャンパーと朱色の袴、そして下駄。どんなにイキった馬鹿でも、こんな狂った恰好はしないが、顔は悪くないし胸もあるようだ。


「ヤっちまうか藤田? 犯し甲斐がありそうだぜ」


 井上が両手で股間を押さえながら俺に尋ねるが、俺がなんと言おうとこいつはヤる気だろう。ヤツは欲望に忠実だ。


『犯せ……ヤっちまえ…………どうした? 井上に先を越されるぞ……』


 いつものように、俺の頭の中で声が響き、黒い欲望の靄が侵食していく。


(ヤるに決まってんだろ、言われなくても……裸に剥いて、犯して、3人でまわして、スマホで動画も撮ってやるか。

 脅す材料さえ作っちまえば、都合のいい俺達の肉便器が出来上がりだ)


 俺は戦利品の財布を尻のポケットに突っ込み、2人に目で合図を送る。


(黒田のヤツ、分かってるじゃねーか)


 俺の合図とともに、黒田は女の背後へと回り込み、その逃げ道を塞いでいた。

 3人がかりで女を取り押さえるのは容易いが、万が一にも逃げられ助けを呼ばれては面倒だ。が、俺達の中で一番チビの井上と女の身長は同じくらい、頭一つ半体格に勝る黒田が路地の入口に立ち塞がれば、万が一にも逃げられる心配はないだろう。


「お楽しみが待ってるんだ、ドジって女を疵物にすんじゃねーぞ、おまえら!」


 俺の声と共に、黒田が女を後ろから襲う……筈だった。


ドゥ……


 薄汚れたアスファルトに、黒田が横たわる。股間を抑えて震えているところをみると、金的を喰らったらしいが、俺には見えなかった。

 俺に見えたのは、女が振り向きざまに手の甲で黒田の目を狙ったところまでだ。黒田が倒れたのは、顔を逸らして女の反撃を避けた、その直後だった。


(まさか目をフェイントに、金的を狙ったのか!? このアマ、手慣れてやがる!)


「うっへっへっへっへ……俺といい事しようぜネーちゃん」


 頭空っぽの井上が、構わず女に掴みかかる。常に下半身で物事を考えるアイツには、黒田の惨状すら眼に入らなかったらしい。


「ゲフッ!」


 女の服を掴んだ途端、井上が路地の壁に顔から突っ込んでいる。あの女が何かしたらしいが、少なくとも俺には井上が自分から壁に激突したようにしか見えなかった。


『殺せ! あの女を殺せ!』


 また頭の中で声が響くが、そんな事は言われるまでもない。道に転がっていたビールビンを、俺は既に拾い上げていた。


「舐めた真似しやがって! ただで帰れると思うなよ、このアマーーッ!!」


 俺達をここまでコケにしたんだ、もうこの女を生かして帰すつもりはなかった。俺は手に持ったビンを、女の頭めがけ思い切り振り下ろす。


(っ!?)


 気づいた時には、景色が回転していた。俺が頭で理解できたのは、ビンを振り下ろす前に手首を掴まれていたのと、肘への違和感、その後の事はわからない。体が本能的に肘を庇おうとしたのか、勝手に動いて女から逃れようとして、俺はバランスを崩していた。まるで地面がどこにあるのかすら理解せずに、闇雲に暴れちまったかのようだった。


「がはっ!」


 アスファルトの道に、背中と後頭部が当たり、鈍い痛みが全身を駆け巡る。後頭部へのダメージは軽微だが、背中は強く打ったため思うように息もできない。


『殺せ殺せ殺せ殺せ!』


 頭の中で声が響く。


(殺してやる殺してやる殺してやる! 絶対にあのアマを殺してやる!)


 俺も心の中で叫んだが、背中の痛みで呼吸もままならず、とても立ち上がれない。


「おい、おまえら! そこで何をしている!!」


 バタバタと人の駆け寄る音がして首を横に傾けると、警官共が路地に向かって来るのが見えた。


(やべぇ……)


 俺は尻に押し込んでいたリーマンの財布を引き抜くと、近くの側溝にそれを落とした。かすかだがポチャンという水音が聞こえ、俺は胸を撫で下ろす。

 危なかった……、手の届く範囲に穴の広いタイプの側溝蓋がなければ上手く財布を落とせなかったろうし、もし持ち主がカードやレシートを財布の中に溜め込むタイプの人間だったなら、やはり穴に詰まって落とせやしなかった。


「ありがとう、お巡りさん。危うく襲われるとこじゃったよ」


 俺から奪ったビンを片手に、あの女が警官達に微笑んでやがる。


(あのイカれアマが! 好き勝手言いやがって!!)


 だが、俺が口を開く前に駆け付けた警官隊に肩を押さえつけられ、ようやく整えた呼吸も乱れてしまう。

 未だ股間を抑えたまま呻く黒田、顔を抑えてうるさく泣きわめく井上、そしてこの俺は咳き込みながら警官達によって手錠をかけられる。


(クソッ! 一体誰が通報しやがった!)


 忌々しい警官達によって、俺達は3人はバラバラのパトカーに、詰め込まれていた。



         ※      ※      ※



「よぅ藤田、こんなに早くまたお前さんの面を拝む羽目になるとは、思わなかったぜ」


 俺達に目をかけてくれるヤーさんが、警察は公営ヤクザだと言っていたが、正にその通りだと思う。特にこの野口という刑事の顔の凶悪さはどうだ? 目つきの悪さは天下一品、本職のヤクザだって滅多にこんな目をするヤツはいない。こんなヤツと机一つ隔てて向かい合うだけで、拷問と言っても過言じゃあないだろう。

 薄暗い取調室に今いるのは、この野口と俺と、野口の後ろで壁際の机に向かって背を丸めてる記録係の若手刑事だけだ。ただでさえ狭い取調室が、野口のせいで余計に息苦しく感じてしまう。


「なんの用だよ、クソ刑事!」


「そう邪険にするなよ藤田、いい知らせを持って来たんだぜ俺は」


 いつもならネチネチと尋問してくる野口が、今日は珍しく穏やかだ。


「あの巫女のお嬢さん、お前達への被害届を出さないそうだ。

 何の被害もなかったし、逆に怪我をさせたかもしれないから、とのことだ。心の広い相手で助かったな」


「ったりめーだ! むしろ被害者は俺達の方だ! あの女を逮捕しろよ!」


「あ”!? チンピラのガキが何勘違いしてやがるんだ?

 だいたい、お前には別件で聞きたい事があんだよ! 今日9時過ぎにどこで何をしていた?」


「その時間なら3人でカラオケ屋にいた。いつもの店だって言えば、あんたには通じるよな?」


「その後は?」


「それだけだよ! 店を出てからは、適当にしゃべりながらブラついてただけさ」


 カラオケ屋に居たのは嘘ではないが、その後の事は当然隠し通すしかない。


「おまえらが逮捕された近くで、おやじ狩りに遭った会社員がいてな。こっちは被害届がちゃんと出ている。

 泥酔していて顔まではよく思い出せないらしいんだが、相手は若い3人組だったそうだ」


「だからなんだ!? まさか俺達が犯人だとでも言うつもりじゃないだろうな!?」


 相手はベロベロだったし、証拠となる財布は路地裏に隠したままだ。目撃者だっていなかったし、あの辺りの監視カメラの位置だって、俺はちゃんと把握している。

 井上のヤツがうっかり口を滑らせない限り、バレる訳がない。


「いや、お前等が9時頃からあの辺をうろついていたなら、何か見ているんじゃないかと思っただけさ」


 不意に野口が俺に顔を近づけて、ニヤリと笑う。ヤツの無精ひげが目の前でチラつき、無性にイラついてくる。ついでに息もヤニ臭い。


「そうだ、今のうちに言っておくぜ。

 ハッピバースデー・トゥー・ユーッ♪ 18才のお誕生日おめでとう藤田幸一くん」


 俺の誕生日は、来月だった。


「俺が18になっても、まだバカをやっているとでも?」


「ああ、やるね。他の二人はともかく、おまえは間違いなくやめられない側の人間だ。

 世間様からクズと呼ばれるタイプの人間を、俺は嫌というほど見てきたからよくわかるんだよ。賭けてもいい」


「ほざいてろ、ハゲ中年!」


 また頭の中で声が響き始め、不快な感情が俺の中を駆け巡っていく。


『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……』


 俺は拳を握りしめ、なんとか声に抗う。今この声に流されて殴りかかろうものなら、俺は一巻の終わりだ。


『殴る? 違う違う、噛みつくんだ。また油断して顔を近づけて来るようなら、鼻でも、首筋でも構わないから噛みついてやれ。

 あの憎ったらしい刑事が血を流して苦しむ姿を、お前は見たくはないのか? 舐められたままでいいのか? ん?』


 頭の中に響く声が、今までと比べまた少し大きくなったようだ。


「さあ、今日のところはもう開放だ。18になったらまた会おうぜ、藤田くん」


 野口は嫌味ったらしい笑みを浮かべたまま立ち上がり、ようやく取調室のドアが開いた。

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