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事故物件 中編

「まず最初に肝心なことを言っておくが、いくらお祓いをしようとも、現在あの部屋は邪鬼が溜まりやすい状態にある」


 会議室の椅子に座ってすぐに、御坂はそう切り出した。対面に座る不動産屋の上司と部下は、その一言のせいで怪訝な顔を御坂の方へと向けている。自らのお祓いの効果を、疑わせるような発言をしたのだから当然だろう。


「人の口に戸が立てられない以上、あの部屋に関する悪い噂はどうしても広まってしまうじゃろう。そして、その噂を聞いた者の悪い念があの部屋にどうしても邪鬼どもを呼んでしまうんじゃ」


「では、それを防ぐために盛り塩をしたのですか?」


 まず疑問を口にしたのは、上司の男の方だった。


「盛り塩の効果など、せいぜい1~2週間じゃよ。それより問題なのは、部屋に入る住人の方じゃ。

 安いからと無理をしてでも事故物件を借りようなどという者は、まず論外じゃ。その恐怖心が、更に多くの邪鬼を呼び寄せてしまう。ちょっとでも事故物件に難色を示すような人物には、絶対にあの部屋を貸さぬことじゃ」


「なるほど、幽霊を毛ほども信じぬような人間の方が好都合というわけですな。

 他には?」


「なるだけ綺麗好きの者に貸すことじゃ。悪い噂に釣られていくら邪鬼が溜まろうとも、部屋の住人がその都度掃除して邪鬼を追い出すのなら、問題ない。

 部屋を貸す前に、引っ越し前の自宅を一回訪れてみると良い。もし玄関にズラッと靴が並べられているようなら、その者には部屋を決して貸してはならん。できることなら、靴を一足たりとも玄関に出しっぱなしにしない人が理想的じゃ。片づけが習慣になっている人物じゃろうからな」


 フムっと唸って男は顎に手を置いた。


「今まで私共が関わってきた霊能者とあなたは毛色が随分違っているが、どうやら筋は通っているようだ。やはり、あなたにお任せする事にしましょう。

 佐々木くん、例のビルの資料を出してくれ」


「はい」


 御坂に資料が渡され、そこから始まる彼等の説明が終わったのは、夜の7時近くになってのことだった。ブラインドの窓から差し込んでいた夕日は息をひそめ、今はネオンが夜景を彩っている。


「……それではよろしくお願い致します。今日は私共が宿を手配いたしますので、そちらに……」


 上司の男はそう勧めてきたが、御坂は掌で彼を遮るようにしてそれを辞退する。


「いや、宿は自分で探すとしよう。せっかく東京まで来たのだし、泊まる場所もいろいろ吟味してみたいのじゃ」


「では、今からご一緒にお食事でもいかがですか?」


 続いて佐々木の誘うと、御坂はなぜか途端に満面の笑みを浮かべた。


「そういうことなら、今からここの社員総出でパーッとやるというのはどうじゃ? もちろん金は全部わしが出す!」


「えっ? まぁ定時も過ぎてますし、そういう事ならみんな参加したがるでしょうが……、本当によろしいのですか?」


 社会人の常識に照らすなら、こんな申し出は無条件で御遠慮申し上げるのが普通なのだが、どうやら二人共この非常識な巫女の扱いに慣れてきてしまったようだ。


「人数が多い方が好都合なんじゃよ。できるだけ明るく賑やかに送り出してやりたい霊がおるものでな」


 目を丸くする佐々木には見えていなかったのだろう、寂しそうなおばあさんが御坂の肩に乗っているのを。



         ※      ※      ※



パシャリ


 スマホからシャッター音が鳴り、巫女装束の御坂と共に笑顔の外国人旅行客とシャンデリアのかかった豪華なホテルを写す。


「サンキュー」


 礼を述べる旅行客達に手を振りながら、御坂はチェックアウトのためにホテルのフロントへ向かう。

 ここは航空会社が経営する高級ホテル。昨晩御坂はここに泊まり、今からホテルのレストランに朝食をすましに向かうところだった。

 このホテルには海外からの宿泊客も多く、アラブの民族衣装の人物がビル内の貴金属店で買い漁っている光景も稀に見かけるのほどだが、それでもやはり御坂が下駄ばき巫女姿でロビーを闊歩する光景よりは、幾分大人しいものだろう。

 御坂は人目も気にせずさも当然かのような顔でそのままフロント脇のレストランに入り、和風の朝食コースを注文した。


「あの、お客様、私共の料理になにかございましたか?」


 御坂が食事をしていると、不意に若いウェイトレスが話しかけて来た。


「?」


 不思議そうな顔で、ウェイトレスを見つめる御坂。


「いえ、こちらにお料理を運ぶたびに、熱心に祈っておられますので、何か問題があるのかと思いまして……それとも、主教上の理由でしょうか?」


「ははは、いや、ありがたいと思ってな」


「私共の料理がですか?」


「全てがじゃよ。

 例えばさきほど食べ終えた魚の煮つけが出来上がるまで、魚を育む豊かな海があって、魚を取る漁師がいて、それを流通させる者がいて、料理する者がいて、そしてこの魚が命を捧げてくれて、わしの口に入るのじゃ。他の無数の食材についても、無論同様にありがたい。

 そう思うと、自然と拝んでしまうのじゃよ」


「はぁ……」


 キツネにつままれたような顔で、ウェイトレスは運んで来た和菓子とお茶をテーブルに並べている。


「もちろん、料理を運んでくれるお主にも感謝しておるよ。ありがとう」


「えっ! あっ、はい、ありがとうございます!」


 御坂に釣られ、ウェイトレスも一緒に頭を下げる。


「あはは、でも、お客様にそう言ってもらえるのはありがたいのですが、これが私の仕事ですから……」


 頭をあげて照れ笑い浮かべるウェイトレスに、御坂も微笑んでそれに答えてみせる。


「お主には大袈裟に聞こえているのかもしれんが、これもわしの職業病のようなもんじゃよ。こういう心根を忘れてしまうと、わしの仕事はどうしても半端になるのじゃ」


「………………失礼しました。ああ、いえ、神道の方の凄さに感動してしまって。コックさん達もきっと喜びますよ」


 ウェイトレスは数瞬ポカンとして動きを止め、それから少し急いで空になった皿を下げ始めた。御坂の皿は、どれも綺麗に食べられており、食べ残しは殆ど目立たない。


「さて……」


 満足げな笑みを浮かべて立ち去るウェイトレスを見送ると、御坂は懐から数枚のメモを取り出し、皿が片付いたテーブルに並べる。これは昨日、不動産事務所で聞いた話を、御坂がまとめたものだ。

 御坂はまず茶飲みに向かって祈り、それからゆっくりと茶をすすりながら広げたメモを眺めた。不動産屋の男が話した事件のあらましが、御坂の頭の中に蘇っていく……


『我が社の買ったビルに、”壁親父”という都市伝説の化け物が出るということでして……まぁ、本当にその都市伝説の仕業か分からないんですが、工事関係者にも事故や謎の発熱等の被害がでましてね』


『その、壁親父というのは?』


『壁の中に人を引きずり込む化け物で、用務員服を着た中年の姿をしているそうです』


『奇妙な噂話じゃのう、それは』


『はは、私もそう思います。

 その壁親父に出会っても”ありがとう”と連呼すれば追い払えるという話もあるようですが……』


『それが本当なら、除霊しに行った霊能者が返り討ちに合う事もなかった……という訳じゃな』


『ええ、まったくもってその通りで……』


(”ありがとう”、か……)


 御坂は再びメモを懐にしまうと、和菓子の皿に暫く手を合わせてから、それを丁寧に口へと運んだ。



         ※      ※      ※



 不動産屋が所有する呪われたビルは、ホテルから電車で数十分の松ヶ丘駅近くにあった。当然、御坂は電車でこの駅に向かったのだが、乗客の視線などはいつもの通りおかまいなしで、ジャンパーの下は巫女装束のままだ。腰に下げた大徳利が、ジャンパーに隠れている事だけが唯一の救いだろう。

 通勤ラッシュの時間から大分間を空けたとはいえ、乗車率はまだ50%を割っていない。小さな子が御坂を指さし、女学生達がこちらチラチラ見てヒソヒソと話をしているが、やはり御坂はすまし顔だ。

 それもその筈、御坂智巳みさかともみは二つの哲学を持っている。一つは”失敗をすればするほどより大きな成功が得られる”、そしてもう一つが”恥をかけばかくほと幸せになれる”だ。

 恥を恐れて窮屈に生きるなど、御坂の美学と真逆のものだ。恥を恐れず自由に生きてきたからこそ、彼女は人生を己のものとしてきたのだ。


「御坂さんですよね?」


 松ヶ丘の改札を出たところで、御坂に駆け寄ってくる人影があった。振り返るとスーツを着た若い女性が、慣れない手つきで名刺をこちらに差し出している。


「私は佐々木の後輩で、桂晴美といいます。ビルまでのご案内と、除霊のお手伝いをするように言われて参りました」


 元気よく挨拶する桂だが、御坂は名刺も受け取らず冷ややかな視線を彼女へと向けている。


「ナビならスマホで事足りるし、危険じゃから一人で行くと伝えておいた筈じゃが?」


「ええーっ、そうなんですかーーっ!! やだなー、どっかで連絡が行き違いになっちゃったのかな?

 あ、でも上司にはお祓いに立ち会うって言って来ちゃったし、できればご一緒させて頂きたいんですけど、駄目ですか?」


 こちらに向かって首を傾け手を合わせる桂に対し、御坂は苦笑いを浮かべてそれに答えた。


(まったく、松ヶ丘へ到着する時刻すら明かしていなかったというのに、よくやるものよ……)


「……臭い芝居もあったもんじゃのう」


 御坂は両手の人差し指と中指を立てると、それを体の中心で左手を上にして重ね合わせて印を作り、桂と対峙する。

 改札を行き来する人の群れは、いつもにも増して容赦のない好奇の目を、御坂の方へと向け始めていた。


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