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呪物 其之玖

 田宮邸の広い食堂の中央で、巫女装束で祈祷する御坂。そのすぐ後ろから彼女を見守る省吾も、今は浅黄色の袴に着替えている。

 しかし、たすき掛けもせず、下駄も履かず、徳利も持たぬ普通の巫女姿で祈る御坂を見るのは、省吾にとっても稀な事だろう。

 最も、御坂の後ろの机には、下駄・徳利・一面に経の書かれた木箱が並んでおり、物々しい事この上ない。

 田宮文江・孝則・絵里の三人は、食堂の長テーブルの向こうに座り、祈祷を続ける御坂をジッと見つめていた。

 今夜は雲が邪魔をして、月も星も窓からこの光景を見下ろしてはいなかった。


ドタドタドタドタ……


 食堂の外から誰かが廊下を走る音が聞こえたかと思うと、ドアが開け放たれ、黒いスーツを着た使用人の男が駆け込んでくる。


「金庫の鍵が見つかりましたっ!」


 男の手には、黒い15センチ足らずの鍵が握られていた。

 御坂が祈祷を中断し、皆の視線が男に集まる中、孝則だけが”まいったな”と頭を掻いている。


「見つかっちまったか、こいつは省吾くんにしてやられたかな」


 自ら進んで鍵を盗んだ事を白状する孝則に、悪びれた様子はない。


「孝則様! これは一体どういう事です!?」


「見ての通りさ、俺が鍵を盗んだ。

 その方が、みんなに公平に遺産が渡るからな」


 岡野が食って掛かったが、まだ孝則は、それを歯牙にかける様子もなかった。


「剛三様のご遺志を無視なさろうというのですか! そんな理屈が……」


「「黙れよ岡野! テメーに偉そうな事を言う資格があると思ってんのか?」」


 ガタンという音と共に孝則が椅子から立ち上がり、その気配が豹変した。その声は食堂の空気をビリビリと震わせ、耳から侵入した不快感が全身を駆け巡っていく。


「俺や絵里の事を、テメー等が裏でどんな陰口叩いていたか、どれだけ讒言で貶めていたか、俺が知らないとでも思っているのか?

 なぁ絵里! おまえが家から独立するのだって、親父や岡野の様な腰巾着共を黙らせたかったからなんだろっ!」


 絵里はうつむいて肩を震わせ、文江は耳を塞いで孝則から顔を背けている。


(ひょっとしてこれは、剛三在りし日の、田宮家の再現ではあるまいか……)


 直感的に、御坂はそう思った。剛三が話で聞いた通りの人物ならば、丁度このような態度で家族に接していたのではないだろうかと……。


「岡野、お前は知っている筈だ、俺達が兄妹どれだけあのクソ親父の横暴に振り回されてきたかを! お前は常に、そんな親父を後押ししてきたんだからなっ!

 義姉さんだってそうだ! 幼い頃から親父に付き合わされた俺達ほどではないにせよ、無理やりこの家に連れてこられたのだから、遺産を受け取る資格はある!

 だから、この3人で仲良く遺産を分けるのが当然なんじゃねぇのか!? あ”!

 身勝手な遺言なんか、ケツ拭き程度の価値もねぇ!」


「そ、そう言われましても……」


 岡野は直立不動で、脂汗をダラダラと流している。後ろめたい事も山ほどあるのだろうが、それを差し引いても孝則の圧に呑まれているのは明らかだ。

 しかしそれは、岡野に限ったことではないだろう。省吾も、この部屋に鍵を持ってきた使用人も、緊張した面持ちで孝則を見つめたまま、一歩も動けないのだから。


「どうした岡野史郎っ! 親父の権威を笠に着なければ、俺に何も言えないのかっ!」


 孝則のピン伸ばした人差し指が、一直線に岡野を捉えて逃さない。既に岡野は、孝則から顔を背けてうつむいている。


「孝則殿っ!」


 突如、御坂の口から凛とした声が響き、孝則だけでなくその場にいる皆の視線が集まる。


「もし、この食堂で初めて会った時、”金庫の中に、剛三氏と敦彦氏を呪い殺した呪物が眠っている”と教えていたら、お主は鍵を渡してくれたかの?」


 御坂と省吾を除き、食堂に居る全ての者が、数瞬凍り付いた。


「お、親父の美術品の中に、呪いが……、それで敦彦兄貴も……」


 孝則は少しよろめいて、再び椅子に腰を下ろす。


「……素直に”私がやりました”なんて名乗り出る柄じゃないが、俺だって命は惜しい。夜中にこっそり、あんたが泊まる部屋のドアの下に、鍵を差し入れるくらいはしてたと思うぜ」


「お互い詰まらぬ隠し事をして、無駄な遠回りをしていたようじゃな」


 御坂はたすきで着物の袖をまとめ、徳利を腰に結わえ、下駄の鼻緒に指をかけ、そして封印用の箱を小脇に抱えだ。


「岡野殿、すぐに金庫の鍵を開けてくれ」


「いや、しかし、孝則様が……、それに今回の事件の真相も、まだ教えてもらっておりません」


 ぐずる岡野を御坂が睨む。


「今更犯人が分かった所で、何も変かわらん! 

 それにわしは、この屋敷にお祓いをしに来たのじゃ! それを優先して何が悪い!

 もしお主がわしに協力できぬというのなら、わしは依頼をキャンセルして、このまま帰るだけじゃ!

 遺産の行方も、タックスヘイブンの財産とやらも、後でお主等が好きに決めればよかろう!」


 御坂には見えていた、長年心の内に秘めていたドス黒い感情を孝則が解放したのを、それに文江も絵里も共鳴してしまったのを、そして彼等に引き寄せられた邪鬼達がこの屋敷に大挙して押し寄せようとしているのを。


 省吾と使用人から鍵を受け取った岡野を引き連れ、すぐに御坂は食堂を後にした。


(邪鬼が金庫の呪物にまで群がり出したらどうなるか、分かったものではない!)


 御坂の手に、ジワリと汗がにじむ。


「終わったらすぐ戻ってこい岡野! 敦彦兄貴が金庫の美術品管理を手伝う羽目になったのも、お前が余計な口出しをしたせいなんだからなっ!」


 背後の廊下からは、怒りに満ちた孝則の声が轟いていた。



         ※      ※      ※



「後は、レバーを引けば金庫が開きます」


 本棚の奥の金庫に向かっていた岡野が、ようやくこちらを振り向いた。いつもは整えられている彼の白い髪は、汗でべたついて今は額に張り付いている。


「金庫はわし1人で開ける。

 岡野さんと省吾は、部屋を出ていてくれ。わしが良いというまで、決して入るな、誰も入れるな。よいな!?」


 御坂は既に下駄まで履いて、戦闘態勢だ。とはいえ、金庫の前には大きな木製の高級デスク、そのすぐ後ろは向かい合ったソファーと机というこの部屋の間取りは狭く、戦うとなれば不自由を強いられるのは明らかだった。

 2人が剛三の応接室を出るのを待って、御坂は金庫のレバーを引く。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか?」


 既に邪鬼の群れは、食堂からこの部屋に流れ込んでいた。


バンッ!


 金庫のドアが勢いよく、内側から開け放たれる。その勢いで吹っ飛ばされた御坂は、すぐ後ろの高級デスクに叩きつけられた。


(まずいっ!)


 背の痛みを堪えながら、御坂は高級デスクの上に飛び乗った。下駄で蹴飛ばした机の上の金の電気スタンドが、床で悲鳴を上げている。

 一方金庫からは、小さな人影が宙に浮かんでいくところだった。あの世とこの世の境など、もうとっくに歪んでいる。


「フランス人形……こいつが元凶か!」


 その年代物の人形の左手は、なぜか焼け焦げたように黒かった。


ビュン!


 金庫から飛び出した木箱が、御坂に向かって襲い掛かる。


(ポルターガイスト現象か!)


 お札を貼った掌で、御坂は木箱達を迎え撃つ。木箱はお札に触れると、まるで磁石が反発するように跳ね返り、床へ次々と落ちていく。落ちた木箱からガチャガチャと音がするのは、中身は茶器か皿であるからだろうか?


「まさか、これで割れても弁償とは言わんじゃろうな!?」


 御坂は辺りを見渡し、封印用の箱の場所を探す。箱は金庫近くの壁際に落ちていて、どうやら金庫のドアに吹き飛ばされた時に、落としてしまっていたようだ。

 が、御坂が箱を探している間にも、人形は追撃の手を緩めてはいなかった。

 今度は、金庫から飛び出した3枚の絵画が、御坂を襲う。


ブンッ!


 絵画が手裏剣の様に回転し、御坂に向かって放たれる。


チッ!


 1枚目の絵画が、のけぞる御坂の頬をかすめ、血が宙に舞う。


シュン!


 2枚目の絵画が、足元を狙うが、御坂はこれを飛んでかわす。


ガンッ!


 足の付け根に向かって飛んで来た3枚目の絵画の額縁を御坂は蹴飛ばし、人形に向かって弾き返していた。が、絵画は人形の前で動きを止める。人形が念動力で、ぶつかる前にその動きを止めたのだろう。


「黒蛇!」


 人形が防御に回ったその一瞬が、勝負の分かれ目だった。御坂の懐から飛び出した黒い蛇は、御坂の手から机に乗り、そこからジャンプして一直線に人形を目指す。それは丁度、人形の前で静止した絵画の死角からだった。

 絵画の陰から飛び出し人形に巻き付いた黒蛇は、注連縄しめなわへと変化し、そのまま締め上げられて力を失った人形は床へと落ちる。


「ふぅ」


 机から床に飛び下りた御坂は大きく息を吐いてから、お札を人形の額に貼り付け、経の書かれた封印の箱の中へとそれを押し込んでいた。



         ※      ※      ※



「おおおおおおおっ!」


 遺言状を抱いて、膝まづいた岡野が吠える。彼の目には、人形との戦いで散らかった部屋も、散らばった美術品も、もう映っていないようだ。

 とはいえ遺言状があったところで、今の孝則に岡野が勝てるイメージは誰にも湧かないだろう。

 そもそも、タックスヘイブンにある隠し財産までは遺言による法の縛りが及びようがないうえ、岡野は先ほど心の中で完全に孝則に平伏していたのだ。岡野の最後の切り札が遺言状によって孝則を後継者から外すことなら、孝則にとっての最後の切り札は、タックスヘイブンの財産管理を引き継いでいた岡野を脅す事であったに違いない。


「手強い相手じゃった……」


 そう言って省吾に見せた御坂の左手の甲は、うっすらと黒ずんでいた。


「大丈夫なのそれ?」


「わしの親父に頼み、活法で呪いを抜いてもらわんと、まずいじゃろうな」


「でも呪いの毒って、殆ど軽減できないんじゃなかった?」


「それは自身が呪いを放っておる場合の話じゃ。いくら活法をかけようと、自分の内から恨みの毒が際限なく湧いてくるのではどうしようもない。

 が、これは外からかけられた呪いだから、やりようはあるのじゃよ。

 さて、そろそろ食堂に戻るとしようか、岡野殿!」


 御坂と省吾が、遺言状を抱いた岡野を連れて食堂に戻ると、そこにはなぜか孝則の姿しかなかった。


「あの、文江様と絵里様は……?」


 恐る恐る尋ねる岡野を、ジッと孝則が見つめている。


「2人共気分が悪いから、部屋に戻るってよ。

 さぁ岡野、楽しい話し合いを始めようじゃないか」


 孝則は、目を爛々と輝かせていた。

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