再会そして……
真夜中、エノは昼間来た広場に居た。
持ち物など何もなかった。
着の身着のまま、アルザスに気づかれないように扉を閉めてきた。
何も残さぬように……自分が居たことを夢だったと錯覚してくれれば、それ以上の願いはなかった。
広場は、昼間の賑わいなどまるでなかったかのように、ただのだだっ広い空間になっていた。
物音もほとんどしていない。
エノは中央に立つ木の横のベンチに座った。
これから、どっちへ行こうか……
見上げた夜空には、無数の星が瞬き、エノはしばらく時間を忘れていた。
「エノ?」
不意に声がした。
『アルザスじゃない!』
驚いて立ち上がると、声のしたほうを見た。
月明かりのみの薄暗い広場の中、エノから5歩ほど離れたところに人影がポツンと立っていた。
見たところ、普通の庶民にしか見えない男のようだった。
着飾っているわけでもなく、簡単な着衣だ。
目深に帽子を被っていて、顔がハッキリとは分からない。
「誰?」
聞きながら、エノは身構えた。
だが、完全に動けない今、以前のように戦えるとは思えなかった。
男はその場でゆっくりと帽子を取った。
その顔を確認するにつれ、エノの瞳が見開かれた。
「シン様!?」
エノの目の前には、庶民姿のシンが立っていたのだった。
「やっぱりエノだった」
シンは、以前と変わらない優しい笑顔で言った。
その口元に、疲れが浮かんでいた。
「何故、こんな所に……それに、その格好……」
エノには聞きたいことがたくさんあった。
それを無視するように近づくと、いきなり抱きしめた。
「シ……!」
「会いたかった、エノ!」
シンが吐き出すように言った途端、エノの足から力が抜け、崩れ落ちた。
「エノ!?」
驚いて膝をつくシンに、エノは少し微笑んだ。
「腰を……抜かしてしまいました」
ホッとしたようにシンも微笑むと、エノの肩を抱き、ベンチへと誘った。
「エノ、落ち着いて。今から話すから」
彼女の心の内を察したかのように、シンは優しく言うと隣に座った。
その時だった。
「エノ!!」
息せき切って走ってくる人影が迫ってきた。
アルザスだ。
そして隣のシンに凄んだ。
「お前、オレの患者に何をしようとしてんだ!」
胸倉をつかみ、今にも殴りかかろうとするアルザスに、エノは全力でぶつかった。
尻を思い切り打ち付けたアルザスの上に、一緒になって倒れこんだエノが訴えた。
「アルザス、だめ! この人は!」
「え?」
アルザスがその人物を確認するのは一瞬だった。
その代わり、その動揺を落ち着かせるのには多少の時間が掛かった。
数分後……ベンチにはシン、エノ、少し離れてアルザスが座り、なんとも不思議な雰囲気が三人を包んでいた。
この中で一番戸惑っているのはアルザスだろう。
第一、シンとエノの関係が全く分からない。
何度も確認したが、シンも本物だと言う。
シンはアルザスに声を掛けた。
「あなたが、エノを助けてくれたんですね? 本当に、感謝しています」
アルザスは驚いて両手を振った。
「い、いや、オレ……私は、医者として当然の事をしただけで」
シンはニッコリと笑った。
そして、まずはアルザスに、事の説明を始めた。
エノは『傭兵村』で育った、ファンデ家に仕える兵士だったこと。
エノとシンは愛し合っていたこと。
彼女は騒ぎを大きくしないために自ら犯罪者と名乗り、罰を受けたこと。
そして、エノにもその後のことを説明し始めた。
エノが追放されたあと、シンとディアの婚約が正式に決まった。
それがエノを助ける条件だったからだ。
その姿が消えてから、せめて命だけは永らえて欲しいと……自分やファンデ家を恨んでもいいからせめて生きていてくれと、ずっと願っていた。
そうこうしているうちに、ディアを迎え入れる準備は着々と進んでいた。
ディアと過ごす時間が増えると、シンも気持ちを切り替える覚悟をした。
彼女もまた、生まれ育った地を離れて嫁ぐ覚悟をしているのだから。
厳しい教育を受けてきただけあって、才女であった。
生まれ持った性格も悪くない。
家柄の宿命を受け入れなければならない。
シンもまた、自分と戦っていた。
しかしそう思おうとすればするほど、その心の中にはエノが現れては消え、シンを苦しめるようになった。
そしてとうとう、行動に移してしまったのだ。
シンは毎晩のように外に出た。
姿を隠して行動するなら、夜の方が都合が良い。
エノもきっとそうしていると信じていた。
彼女が知っているであろう土地を歩き回り、せめて少しの手がかりがあればとひたすら探した。
庶民の格好という、変装までした。
おかげで誰にもバレずにこれた。
そんな中、ディアとの結婚が正式に決まり、発表することになった。
ドランの町では、きっと盛り上がっている。
もしかしたら、エノも居るかもしれない。
と、僅かな期待を背に、今日も屋敷の中で夜が更けるのを待っていたのだった。